戦場で――5
篤英は転げた刀を拾い上げた。できればもう一度、あの佐奈井という少年に刀を向け、そして斬り捨ててしまいたい。好き勝手なことを言われた上に、この仕打ち。侮辱もはだはだしい。逃せない。
だが佐奈井は、すでに自分から離れていた。追いかけようにも、一揆衆どもの姿に紛れていて、振り払うのが厄介そうだ。
だが、いい。どのみちあの少年を手にかける機会はすぐにくる。
篤英は、刀を持ったまま、馬上の指揮官に向かって歩んでいった。
「背後の敵を討て。寄せつけるでないぞ」
富田長繁は馬の上から指示を飛ばし続けている。馬上から攻撃できるよう、手には槍を携えていた。篤英は近づいていく。槍の間合いの内に入れるように。
「殿」
篤英は富田長繁に話しかけた。
「篤英か、何があった」
「新しい動きがあります。報告を」
篤英は刀を抜いたままで、富田長繁に近づいていく。一揆衆からもよく見える。ここで討ち取れば、誰もが自分が富田長繁に手をかけたと・・・・・・
富田長繁が、槍を突き出してきた。槍は篤英の喉元の、甲冑に覆われていない部分を貫く。篤英は足を止めた。傷から吹き出した自分の血が顔にかかる。城兵が驚き、ざわめくが、篤英はただ富田長繁を見つめていた。
なぜ・・・・・・
声が出せない。
「見え透いたことをやりおって。お前も愚かよな」
富田長繁が槍を引き抜いた。篤英は力なく膝をつき、倒れる。刀が目の前に転がった。
「刀を抜いたまま近づいてくるなど、見え透いた意図よ。儂を殺めて、一揆衆に取り込むつもりだったろう。一乗谷と同じことを繰り返して生き延びようとするなど、見苦しい」
遠のく意識の中で、篤英は富田長繁を見上げた。富田長繁は倒れる自分などどうでもよさそうに、周囲の城兵たちに目を光らせている。
「皆の者、とくとこやつを見ておれ。こやつは裏切り、儂を殺して皆を貶めようとした。今、亡き者にしたぞ。結束を乱そうとする者は総じてこうなると知れ」
高らかに周囲に告げている。
「兵は集まれ。後方の敵を一掃した後、前方の敵どもを突き破るぞ」
富田長繁が声を飛ばした時には、篤英は事切れていた。自分から富田長繁が離れていき、兵たちがそばを通りすぎる中で、頼りなく横たわる。
佐奈井が振り返った時、富田長繁が篤英の体を槍で貫くところだった。
「嘘だろ」
一緒に見ている凍也がつぶやく。篤英は力なく倒れ、富田長繁が大声で兵たちに命令を飛ばしていた。
「香菜実の父親だってな。どうして殺されているんだ」
「一乗谷で似たようなことをしたからだよ」
佐奈井は教える。
「自分の身の安全のために、桂田長俊を殺した。今も、富田長繁を殺して一揆衆に取り入ろうとしたのかもしれない。信用されていなかったんだ」
「どうしてそう詳しく話せる?」
「一乗谷で見たから。目の前で」
富田長繁は馬を走らせて、篤英の亡骸から離れていく。兵たちも、篤英に構う様子も見せなかった。
佐奈井は前を向いた。
香菜実はこれで、完全に一人になった。守る者はいない。
「城に急ぐ」
佐奈井は駆け出す。凍也も後に続いた。
だが、城の手前を流れる川に、人の姿を見つけた。人が二人、岩をつたって、川を渡ろうとしている。
その片方の姿に、見覚えがあった。栗色の髪と瞳に、濡れているが柿色の着物。探していた人。
「香菜実」
その名をつぶやく。
「あいつがか?」
凍也が確かめてきた。ああ、と佐奈井はうなずく。すでに駆ける足は速まっていた。
無事を祈ってきた人が、目の前にいる。
こんなところで、見捨てたくない。
矢が飛んできて、佐奈井の肩をかすめた。首筋に風を感じ、そして視界に矢が見えて、佐奈井は自分が狙われていることに気づく。
「城に向かっているぞ。近づけるな」
声が飛んでいる。
佐奈井は、後ろを振り返った。甲冑をまとった兵が二人、刀を抜いてこちらへ駆けてくる。その背後にもう一人、弓を持った兵がいて、苛立った様子で次の矢をつがえていた。
矢で射止めたところで、槍を持っている兵二人でとどめを刺すつもりなのだろう。
――ただ、香菜実を助けたいだけなのに。
矢が放たれた。今度はまっすぐに、足を止めた佐奈井に迫ってくる。佐奈井は横によけて、矢の軌道から外れた。
これだと、香菜実と合流したところで彼女まで狙われる。
「佐奈井、行け」
立ち尽くす佐奈井の前に、凍也が割って入った。刀を掲げて駆ける兵二人に向かって、刀を向けている。
「引き止める」
香菜実を助けるならば、遠慮している暇はない。
「わかった。あんたも死ぬなよ。日向が待ってるんだから」
佐奈井は言って、またしても駆けた。矢が空を切る音が背後から聞こえたが、三本目の矢は凍也が空中で切り落としたのだろう。ぱき、という短い音と同時に風切り音は途絶える。
「香菜実!」
佐奈井は声を張り上げる。
川の中の香菜実は、佐奈井の声に手を伸ばしてくる。
「佐奈井!」
香菜実の声が響く。助けを求めると同時に、佐奈井を助けようと急いているような、切実な声だった。
香菜実は流れに足を取られながらも、川を渡りきった。枯れた下草に足を取られて転んだのを、近くの理世と同い年くらいの娘が助け起こす。
もう彼女との距離は、十歩もない。
背後から刀同士のぶつかる音が響く。
「矢が飛んだぞ」
凍也の声が響いた。そして矢が風を切る音が迫ってくる。佐奈井は振り返ろうとしたところで、右肩に衝撃を感じた。矢が当たったのだ。
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