戦時下の現実――3

 凍也と佐奈井は、村外れのちょっとした林に入っていた。枯れた草木に囲まれて、身を隠すにはちょうどいい場所だった。

 村の人たちは、去るならば追わないつもりらしい。佐奈井は凍也に腕を引かれながら走っているが、その途中で背後から石が飛んでくることはなかった。追い立ててくる声も聞こえてこない。 

 凍也は佐奈井の腕を離した。後ろを見たのは一瞬だけで、刀を握ったまま前方を見つめる。

「佐奈井、刀は抜いたままにしておけ」

 凍也は言いつけてくる。さっきの敵意は感じない。いつもの凍也に戻っていた。

「どうして?」

 佐奈井は尋ねながら、刀を握り直す。

「身を守るためだ。あとあまり離れるな」

 凍也が言い終えると、佐奈井は人の足音を聞いた。さっきの村の人たちが追いかけてきたのではないかと思ったけれど、前方からだ。

 凍也が刀を向けている先の茂みが揺れた。そして人が出てくる。これまで同行していた、凍也と同じ村の者の一人だ。

「どういうつもりだ? 凍也」

 男は言ってくる。きっと、凍也や佐奈井のことを監視でもしていたのだろう。急に凍也が戦うのをやめ、佐奈井を連れて逃げ出した。先回りして潜んでいたらしい。

「こんなことをしている暇はないんじゃないのか」

 凍也は男に向かってたしなめた。

「なぜ俺たちを気にかける?」

「それよりお前は何だ? ここでその子を逃すつもりか? 邪魔をしたというのに」

 凍也が刀で男に襲いかかった。男の目の前で刀を振り上げる。男はとっさに刀を抜き、受け止めようと振り上げた。

 だが凍也は、急にかがんだ。男のがら空きになった膝を蹴りつける。男はあっけなく前に転んだ。刀も手から離れて、地面の上を転がっていく。

 武器を失った男の喉元に、凍也は刀を突きつけた。

「逃げるなら今のうちだ。俺や佐奈井を襲うつもりなら、容赦はしないが」

 言い放つ。男は、身を転がした。刀を拾い上げる。だが立ち上がる前に、凍也がその右足の膝の下を切った。

 悲鳴が上がり、血が飛ぶ。男は足の傷を押さえてうずくまった。

 一瞬の出来事に、佐奈井は目を見開いた。襲ってきたとはいえ、血を流して苦しむ男の様子に、刀を握る手が震え始める。

「……凍也、やっぱり邪魔をするんだな」

 痛みに顔を歪めながら、男は口を開く。

「一人欠けたところでお前たちには問題ないだろう。それにここまで来れば、お前たちも日向に手を出せない」

 ――日向に手を出せない?

 奇妙な言葉に、佐奈井は困惑する。

「佐奈井、行くぞ」

 凍也は刀の血を拭い、鞘にしまって、駆け出した。男が恨めしそうに血のついた手を伸ばしてきて、佐奈井は怯え半分に男に刀を向ける。

「何をしている、早く刀をしまって走れ」

 凍也にせかされて、佐奈井はやっと刀をしまった。駆け出す。

 林の中は、思ったよりも広かった。走り、木の根を跨ぎ、岩を越えて、逃げていく。

 ここで逃げなければ、凍也の村の者たちに出くわして、多人数相手に戦わなければならなくなる。仲間を傷つけたのだ。凍也も佐奈井もただでは済ませないだろう。

 焦るから、佐奈井は呼吸が苦しくなってきた。走るのが、つらい。足取りがふらついて、肩が木の幹にぶつかった。なぜかしら、完全に塞がったはずの背中の傷がうずき、佐奈井は倒れていく。

 だが地面に膝をつくより先に、凍也に手を掴まれていた。立たされる。

「もういいだろう。ここまで来れば追ってこない。ゆっくり歩いてて、林を抜ける」

 凍也の声に、穏やかなものがあった。さっき人を傷つけたとは思えないほどの。

「あの人、どうなるかな」

 佐奈井は尋ねた。

「知らん。あいつが何とかするだろ」

 凍也は佐奈井の手を離した。

 凍也の態度が、わからなかった。佐奈井に刀を向けたというのに、どうして、仲間を敵にまわしてまで助けてくれた?

「どういうことだよ、凍也。俺を始末するんじゃなかったのか。何で助けた?」

 今さらそんなことを聞くか、とばかりに凍也はため息をつく。

「ああしたほうが都合がよかったからだ。あいつらが集団でお前を襲ってもおかしくない状況だったからな。一人で大勢を相手にできるのか?」

 ふりをしていただけ、というのだろうか。

「でも、これであんた」

 帰る場所を失った。自分の村の人たちを敵にまわして、これからどうするというのだろう。

「あの村の人が襲われかけた時、もし佐奈井が何もしなかったら、俺が飛び出しているところだった」

 凍也はきっぱりと言ってのけた。

「元々あいつらについていったのも、脅されたからだ。来なければ日向がどんな仕打ちを受けるかわからない、最悪、後の憂いを断つために殺すとまでほざいてきた。佐奈井、お前たちについてもな」

 結局、凍也は自分たちを守ってくれていたのか。

「圧政が続いて、他の村から略奪しないと生きていけない事情はわかる。でも俺がしたいのは略奪なんかじゃない。家族の仇を討ちたいという本音はあるが、残された日向を見捨てるなんて馬鹿げているだろう」

 凍也は皮肉げに笑ってみせる。その姿が、やはり慶充に重なった。

 刀を向けるべきなのは弱い者ではなくて、強権を笠に着て乱暴を働く者。

「お人好しだな」

 佐奈井はつぶやく。自分の立場を危うくして。

「お互い様だろう。むしろお前に先を越されたっていうのかな。強がるばっかりの子どもかと思ったら、意外と勇敢なんだな。多人数を相手にすることになるのに怯えなかった」

 佐奈井を見下ろしながら、凍也は微笑みを浮かべる。佐奈井は、またしてもこの少年に慶充の姿を重ねていた。

 つい情に流されて、本来ならば助けなくてもいい人まで助けてしまう。負傷し、一乗谷から逃れてきた自分たちを助けてくれたのも、結局は日向の面倒を押しつけるためではなくて、もっと素朴な理由からだろう。

 やっぱりこの人は、慶充と同じだ。

 慶充も、本来なら香菜実の無事だけを考えて動けばよかったのに、佐奈井たちを守るために戦って、そして死んだ。

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