峠道を越えたら――2

 佐奈井たちは峠を越えた。ここまで来ると、もう戦の喧噪は聞こえなくなっている。

 北からの風に乗って、煙のにおいがかすかに漂っているが、それだけだ。

 佐奈井は理世の背で眠りに落ちていた。本当は、眠りたくはない。香菜実の身の安全や、峰継の足の古傷、自分たちの今後のこと、心配なことはたくさんある。激戦地を抜けたとはいえ、いまだ危険なのは変わりない。

 だがとうとう、佐奈井は睡魔に負けたのだった。出血で、意識を保つのもつらかった。

 起きて歩いている三人も、互いに黙ったままだ。峰継は、いつ襲われてもいいように腰の刀に手を添えている。

 その峰継が、足を止めた。

 園枝も理世も足を止める。

 体の揺れが唐突に止まり、しかも不穏な気配までして、佐奈井は目が覚めた。ぼやけた視界で、周囲に目をやる。

 峠は越えたが、周囲は林だ。枯れた木々の枝が、風で揺れている。

「離れるな」

 峰継は前を向いたまま口を開いた。腰の刀を抜く。どこかに潜んでいる者たちへの警告か、刀を一振りした。

 佐奈井は、周囲の低木が揺れるのを見た。色褪せた紺色の着物をまとった男が道の脇から姿を現し、峰継の前に立ちふさがった。

「誰だ、お前」

「手負いだ。狙いやすい奴が来たぞ」

 現れた男は峰継の問いに答えず、その口に薄気味悪い笑みを浮かべた。

 男の声に応じるようにして、岩の陰から仲間らしい別の男も姿を現す。こちらは赤色の着物をまとっていた。二人とも、懐から錆びついた短刀を取り出す。

 賊の類。怖くて、佐奈井は、理世の着物をきつく握った。襲うつもりだ。もし峰継が負けたら、自分もただでは済まない。

「戦えるとしたら先頭の男だろうが、手傷を追っているぜ。いい獲物だ。一乗谷が襲われたと聞いて、ここに潜んでいた甲斐があったというものだ」

 岩の陰から出た男が、勝ち誇った笑みを浮かべた。

「女は刀を持っている。気をつけろよ」

 紺色の着物の男が言う。どうやらこちらが目上らしい。

「わかっている」

 赤色の着物の男が、峰継に近寄った。

「近寄るな」

 峰継が刀を振って威嚇する。

「おっそろしい」

 その男は笑みを浮かべたままだ。

「何のつもりだ。私たちから盗める物などない」

「その身を売れば、金にはなるだろう。特に娘と小僧をだ」

「小僧の傷はひどいがな」

 紺色の男が、後ろから口を挟む。

「使い物にならないほど弱っているなら、適当な場所に捨てればいい」

 峰継の刀を握る手に力が入った。骨が浮き出る。

「勝手なことをしゃべるな。息子に手をかけるなら容赦しない。そんな短刀で太刀打ちできると思うな」

 紺色の男が鼻で笑う。

「そんな傷を負って、娘たちを全員守り切れるとでも言うのか」

「傷をかばうつもりはない」

「そうかい」

 紺色の男が、慶充の背後に目をやった。

 佐奈井たちの背後の茂みが揺れた。

 そして新手が飛び出してくる。今度は、黒色の着物の男だ。

 黒色の男は園枝に組みついた。

「母さん!」

「慌てたらだめ」

 園枝は男に抵抗しながら娘を制する。

 と、赤色の男も動いた。短刀で峰継に切りかかる。峰継は刀で受け止めた。押し返し、蹴り飛ばす。

「抵抗はやめろ」

 紺色の男がわめいた。

「女子どもに危害が及んでもいいのか」

 黒色の男は、園枝から刀をもぎ取ろうとしている。佐奈井の手が、怒りでこわばっていく。

 ――慶充の刀が。

 大事な友達の形見。あれまでも失うわけにはいかない。

 佐奈井は、理世の背中から降りた。着地と同時に膝が折れそうになるが、持ちこたえる。

「佐奈井、よしなさい!」

 園枝が声を飛ばす。佐奈井は、園枝に組みつく男を睨む。

「その刀に……触るな!」

 佐奈井は、黒色の男に迫り、その腕を掴んだ。慶充の刀から引き離そうとする。

「何だ、この小僧」

 黒色の男が、佐奈井に掴まれている手を振り上げた。佐奈井の――矢傷がある――左肩を叩きつける。

 激痛に、佐奈井は地面に膝をついた。痛む肩を押さえる。それを、黒色の男は歪んだ形相で見下ろしていた。

「こいつ、嘗めた真似をしやがって……ぐっ」

 黒色の男が園枝から片方の手を離した隙に、園枝が肘を男の鳩尾に当てたのだった。黒色の男はよろめき、園枝を離す。

「峰継さん!」

 園枝が叫ぶ。

 峰継が刀を振った。前方の二人を、刀で牽制し、そして園枝のそばにいる黒色の男に駆け寄る。

 黒色の男は背を向け、逃げ出した。峰継は追いつき、その背中を刀で裂いた。

「お前、やれ」

 紺色の男が命じた。赤色の男が、動き出す。

 だが狙ったのは峰継ではなく、佐奈井だった。人質にするつもりだ。体が自由に動かない中、佐奈井は男の視線を浴びてたじろぐ。

一乗谷の時のように、殺される。

 理世が、佐奈井との間に割って入った。短刀を持って迫る男に真正面から対峙する。

 ――ここでも俺を……

「があっ……」

 男の悲鳴が響いて、その場の者たちは凍りついた。悲鳴の主は、紺色の男だ。大きく口を開け、見開いた目を宙に向けている。

 そして倒れた。

 さらに背後には、緑色の野良着をまとった、長身でしっかりとした肉付きの少年がいた。刀を持っていて、切っ先が血に濡れている。

 佐奈井は、その姿に目を奪われていた。助けてくれたということよりも……

 その少年が、死んだ慶充と同じくらいの年だからだ。

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