峠道を越えたら――3
「これでお前だけになった。赤いの。どうするつもりだ?」
頬に返り血をつけた少年が、真顔のまま問う。
赤色の男は動こうとしない。少年と、倒れて血の海を作っている紺色の男双方を見やっている。
少年は苛立ってか、切っ先を空に向け、構えた。
赤色の男は、懲りたらしい。山道を外れた。佐奈井たちに恨みに満ちた視線をやりながら、茂みの中に姿をくらませていく。
怖かったのだろう。理世が腰を抜かし、地面に尻をついた。
少年は刀を下ろす。
「……余計な手出しをしなければ、死なずに済んだものを」
自分が斬り捨てた男を見下ろしながら、手ぬぐいで刀についた血を拭い、鞘にしまった。ついでに顔の返り血も拭っている。
「助かった」
峰継が少年に対して声をかけた。
「たまたま通りがかってよかった、というものかな」
少年が、うっすらと笑みを浮かべた。その不器用な笑い方も、佐奈井には慶充に重なって見える。
「あんたら、一乗谷から逃げてきたのか」
「そうよ。助けてくれたついでに、できれば傷の手当てもお願いしたいけど」
園枝が遠慮もなしに言う。
少年が、うずくまったままの佐奈井を見た。肩や背中の手当てもされていない、無残な傷。
「そういうあんたらも、万全じゃなさそうだな」
少年は園枝に視線を戻した
「園枝よ、娘は理世」
そっちは、と少年は峰継のほうに目を向ける。峰継は刀をしまった。
「峰継だ。息子の名前は佐奈井」
「凍也」
「危ないところを、助かった」
「いいってことよ。それより理世だっけな、あんたも歩けないのか」
「た、立てるよ」
理世は起き上がる。
「俺の家、この先あまり離れていないところにあるんだ。傷の手当てなら、まあ何とかなる」
凍也は道の先を指し示した。
佐奈井は、理世に背負われた。
「佐奈井、行くよ。変な無茶をして」
理世が叱りつけてくる。
「説教は後でしてくれ」
凍也の声が飛ぶ。そして前を向いた。
「……あの!」
佐奈井は口を開いた。
「ん、どうした?」
凍也が佐奈井を見つめる。
佐奈井はどうしても、その姿につい慶充を重ねていた。刀を腰に差している様子が、滝の前で剣術を教えていた慶充に似ている。凍也は慶充よりずっと色黒で、目つきも鋭い。慶充とはまったく顔立ちが違うのに。
「……ありがとう」
緊張ゆえに、うわずった声になる。
「気にするな。迷惑だなんて思っていねえよ」
凍也はまた、笑いかけてきた。
凍也に続いて歩いていくうちに、山道を抜けた。佐奈井たちの目の前には、平野が広がっている。
「どこがお前の家だ?」
峰継は凍也に尋ねる。
「もうすぐ。あそこに村があるだろう。そこからちょっと外れたところに家があるんだ」
凍也が道の先を指差す。
稲が刈られ、焦げ茶の地面があらわになった田園地帯の先に、確かに村と、そこから外れたところにぽつんと建つ家が見えた。
「いきなりたくさんの人が村の近くを通り抜けていってね。百や二百って程度じゃない、万単位の。ちょっと様子を伺っていたんだ」
怪しまれるよりも先に、とばかりに凍也は言い出した。
「山道をぶらついていたら、賊の輩が三人もいて、隠れるのに必死だった。お前たちが現れてくれて、むしろこっちも助かったってもんだよ」
峰継に向かって、凍也はヘマしたことを誤魔化すように笑いかける。
「佐奈井、息子の休める場所は……」
「当然、用意する。家は無駄に広いから、妹も嫌がらないだろうし」
凍也には、妹がいるのか。他に家族がいるような素振りは見せないから、きっと二人で暮らしているのだろう。
佐奈井は、凍也がますます慶充に似て見えるようになった。
引き続き歩いていく。理世の背中の上の佐奈井は、理世の足取りがふらついているのに気づいた。
「大丈夫か?」
「あともう少しなんだから」
理世は平気なふりをしている。
冷たい風が吹く中で、一行は村の外れの家に着いた。
「日向、いるか」
凍也が戸を叩く。とたとたと軽い足音が聞こえて、戸が開かれる。
「おかえり、兄さん」
出てきたのは、佐奈井や香菜実と同い年くらいの娘だった。兄の背後に四人も知らない者たちがいるのを見たとたん、きょとんとして、動かなくなる。
「この人たち、中に通してくれないか。例の一乗谷から逃げてきたらしい」
理世に背負われている佐奈井と、日向と呼ばれた娘の目が合う。
「ひどい傷……」
「ちゃんと手当てすれば大丈夫だ。中に入るぞ」
その時、佐奈井は体が揺れるのを感じた。理世がその場に座り込んだからだ。疲労が限界にさしかかったらしい。
峰継は、佐奈井を抱え上げた。
「もういい理世。すまなかったな。無理をさせて」
「別に、構わなくてよ」
理世は顔色を悪くしながらも、笑みを浮かべていた。まだ無理をしている。
凍也は、理世に駆け寄った。
「あんたも疲れたんだろう。ほら、家の中は暖かいから」
座り込む理世に肩を貸して、立ち上がらせる。二人互いに密着した凍也と理世。
「……ありがとう」
理世が戸惑いながら礼を言う。
凍夜の妹日向は、引きつった顔でその様子を見ていたが、
「どうしたの? 早く入って」
まくし立ててきた。
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