家出少女とオムライス
雉里ほろろ
家出少女とオムライス
「わたしの貯金残高は27円です」
夕暮れの公園に一人でたたずんでいた少女の第一声はこれだった。
「……つまりは?」
「ちょうど良いところに来てくださいました。ほら、家出少女ですよ、わたし。お金無いんですよ。今晩泊めてください」
仕事を終え、疲れた体に鞭を打ちながら電車に揺られ、駅から自宅に帰る途中。彼は自宅マンション近くの公園で一人の少女を見つけた。
大きめのリュックサックを背負うジャージ姿の彼女は高校生か、中学生か。それくらいの年頃の少女が一人で公園にいた。しかも大きなリュックサックを背負って。周りに人はおらず、彼女自身も何をするわけでもなくただぼんやりとベンチに座っているだけ。
この公園は駅の近くではあるが、このあたりは街灯が少なく日が落ちるとほとんど真っ暗になってしまう。
もしかして、と思った彼は意を決し、公園のベンチに腰掛けている少女に声をかけたのだが……。
「えと、家出?」
「はい、家出です。あと、貯金残高が27円です。もうお小遣いを使い果たして財布にお金が残っていないので、缶ジュースも買えません」
「君、親御さんは? もう日も暮れるし、きっと心配するよ?」
「あ、そういうのいいので。もう三日目ですからそろそろ野宿も厳しいんです。日も落ちてきましたし、夏とはいえ夜は寒いんです」
「えっ、野宿?」
彼の疑問には答えず、彼女はまっすぐに彼を見つめる。
「それで、今晩泊めてくれませんか?」
「いや、いきなり泊めてと言われても……というか、家出ってそんな……」
彼女のいきなりの申し出に彼の反応は微妙なものだ。そしてそんな彼の反応から彼女も無理だと感じたのだろう。
「無理ならいいです。では、わたしに構わないでください」
そう一言告げると、もう興味は無いと言わんばかりに視線を外した。
少し、彼は悩む。
家出というものを彼はしたことがない。家族の仲も良好だ。今は一人暮らしをしているが、年に一、二度くらいは実家に帰る。
ただ、もし自分が彼女の年頃に家出を決心したといたら、それなら自分はどんな気持ちで家出をしただろうか。今の自分ですら一人暮らしには慣れたが大変なことに変わりは無いのに。
世間を知らない少女のただの我が儘と言い切ってしまっていいのだろうか。だが彼女の横顔には後悔の気持ちが見られない。彼女の言葉を信じるなら三日を過ごしてなお、彼女は帰る気がない。初対面の知らない男に泊めてほしいと頼むくらいなのに。
彼の頭の中を色々な思考が巡る。それは自分の家族のことや、ニュースで話題になった虐待の事件の数々だったり。そして――。
「……一泊だけなら構わないよ」
彼の言葉に、少女は弾かれるように顔を上げた。
「今なんて言いました?」
「泊めてあげるって言ったんだ。理由は知らないけれどさ、ここで見なかったことにして帰るのも……何だか嫌だし」
彼の一言に彼女は勢いよく立ち上がり、公園から出て行く。突然の行動に彼が驚いていると。
「何しているんですか。わたしはあなたの家の場所を知らないのですから、しっかり先導してもらわないと困ります。ほら、早く早く」
ついてこない彼を振り返った少女がせかす。
「あれ、思ってた反応と何か違う」
彼も少女を追いかけて歩き出した。
◆ ◆ ◆
彼の家は最寄り駅から徒歩で向かえる距離にある小さなアパート。その二階の一部屋に一人暮らしをしている。
「お邪魔しまーす」
彼が鍵を開けるとすぐに少女は部屋の中へ入っていった。その様子に遠慮は見られない。
「いや、確かに未成年の自称家出中の女の子を公園においてくるのはって、自分から言い出したんだけれどさ」
もっと、こう、何というか、一応客人なのだから、という言葉が彼の口からこぼれ出る。
「何をさっきからぶつぶつ言っているのですか? 不審者みたいですよ」
「君のほうがよっぽど――あれ? ひょっとして女の子を家に連れ込んでいる俺の方が不審者?」
気づいてはいけないかもしれないことに気づいてしまったが、疑問に答えてくれる人がいるはずもなく自問自答しながら彼も自分の家の中へ。
バス・トイレ付きの1DKは、若くて一人暮らしの彼には十分なのだが。
「狭いですね」
「君、遠慮とか配慮とか覚えた方が良いと思うよ」
彼は上着を脱ぎ、手近なハンガーに掛ける。ネクタイもほどいて同様に。
「適当に座ってて。何か飲み物出すから」
キッチンの冷蔵庫を開け、目についた市販のペットボトル紅茶をマグカップに注ぐ。
「はい、紅茶。ペットボトルので悪いけれど……って、何やってるの?」
四つん這いになり、なにやらごそごそと動いている少女。ベッドの下をのぞいているようだが。
「いえ、男の人の部屋に入るのは初めてなので、ベッドの下の都市伝説を確認しようかと」
「それやっていいの男友達とかだから! むしろ今時は男友達でもやらないから!」
「何もなかったですけれど。いや、何かあってもそれはそれでリアクションに困るのですけれど」
「だったら尚のことやめてくれないかな!」
起き上がった少女にマグカップを手渡し、彼は少女の対面に座った。少女は受け取ったマグカップの中身を一息で半分以上飲み干してしまう。豪快な飲みっぷりに家の主も苦笑いだ。
「それで、落ち着いたところでとりあえずお互いに自己紹介しようか。俺は新田ね。君の名前は?」
「新田さんですか。そういえば表札のところに書いてありましたね。私の名前は――」
と、そこで少女が言葉をためらう。
「――この場合、本名を伝えるべきなんでしょうか? 愛称のほうがいいですか?」
「もう、何でもいいよ」
「では、わたしの名前はみーたんです」
「じゃあ、みーたんはさ――」
「すみません訂正します。思っていた以上に気持ち悪かったので、ミカって呼んでください」
「ホント君、追い出すよ?」
新田は大きなため息を一つ。
「それで、ミカちゃんは見たところ学生のようだけれど?」
「甘いですよ新田さん。女性の年齢を見た目で判断するのは早計です」
「え、違うの?」
「いえ、高校生ですが」
「いちいち話の腰を折らないでくれるかな」
こうもいちいち話を遮られると新田も腹が立ってくるというものだ。早くも彼女を泊めると言ったことを後悔しそうになる。最も新田も、ここまできてやっぱりやめるとは言わないが。
しかしその前に、一つだけ訊いておかないといけないことがある。
「それで、一泊うんぬんの前に家出の理由って……訊いてもいいかな?」
「あ、その……えっと」
新田の質問に気まずげに視線をそらすミカ。「えー……」「うー……」のような意味のない声がミカの口からこぼれ出る。
ちらりと戻されたミカの目が、あまり深く聞かないでほしいと新田に訴える。新田も、こういった事情はあまり強く聞かないほうが良いのだろうと判断した。
「あー、話したくないなら無理に話さなくてもいいよ。気が向いたらで構わないから」
新田のその一言にミカは小さく呟いた。
「その……すみません。事情も話さないだなんて虫が良いのは分かっているのですが」
「その申し訳なさそうな態度が出来るなら家に上がった段階で見せなよ」
さっきまでの態度とは違うミカの反応に思わず新田が突っ込む。
「む、何ですか新田さん。わたしだって悪いと思ったときや申し訳ないと思ったときはきちんと伝えますよ」
「つまり君は俺の家を狭いと言ってもいいと思ったのか」
「わたし、嘘はつかないタイプなんです」
えへん、となぜかミカは自慢げだ。
「君って絶対友達少ないでしょ」
「なっ! 別に少なくないですから! それに多くても仕方ないですし!」
「いや、どっちなのさ」
二人はそんな風に他愛もない会話をつづけた。ミカが話し上手なのか、二人の会話が弾む。ころころと表情を変えながら話し続けるミカを見て、新田はどこか微笑ましい気持ちになる。
そうこうしているうちに、いつの間にやら時計の針が8時を回っていた。ふと時計を見た新田がそれに気づく。
「あっ、もうこんな時間じゃないか。そういえば、晩ご飯どうしようか……」
一応、食べ物はあるにはある。しかし。
立ち上がった新田はキッチンをガサゴソと漁り、目的のものを見つけた。それを持ってリビングへ戻る。
「ミカちゃん、カップうどんとカップ焼きそばとどっちが良い?」
「え、何ですかその二択」
「いや、家にこれくらいしかないから」
両手にカップ麺を持ったままの新田にミカはおそるおそる訊ねる。
「……ひょっとして、新田さんって料理しない人ですか?」
「包丁はあるけどあんまり使わないかな」
いっそ清々しい新田の答えにミカはため息をついた。
「もう、しょうがないです。タダで泊めていただくのも申し訳ないと思っていたので、お夕飯くらいはわたしが作りますよ」
座っていたミカがわざとらしい腕まくりをしながら立ち上がる。
「へぇ、ミカちゃん料理できるんだ」
「馬鹿にしないでください。むしろ得意ですよ」
新田に応えながらミカはキッチンの冷蔵庫を開けた。しかし、当然と言えば当然なのだが普段料理をしない男性一人暮らしの家に十分な食材がストックされているはずもなく。
「なんでビールばっかり……」
缶ビールをはじめとする飲み物ばかりで、食材として使えそうなものがほとんどない。そもそも、冷蔵庫の中に物が少ない
「本当に仕方ないです。今からスーパーに買い物に行きましょう。この冷蔵庫の中身は流石に見ていられません。いくら何でもひどすぎます」
冷蔵庫のドアをバタンと閉め、ミカは新田へと振り返った。
「え、でも」
「いいからいきますよ。あ、食材費は出してくださいね」
ミカは新田の手を引くようにして彼をマンションから連れ出した。
◆ ◆ ◆
二人が徒歩でやってきたのは近所にあるスーパー。しかし夕飯の買い物にはもう遅い時間帯なので買い物客の数は少なく、売り場も商品がなくなった空白が目立つ。そのせいか明るい店内BGMもどこか寂しく聞こえてしまう。スーパーのお総菜売り場では割引シールが貼られたパックがいくつか残っているが。
「ミカちゃん、何を作るつもりなの? あっちのお惣菜が割引だったしそれで良くないかな?」
「駄目です。わたしがせっかく料理をしてあげると言うのに、何ですかそれは。えーと、そうですね。でも時間ももう遅いですし、簡単にオムライスにでもしましょう。今から炊飯器でご飯炊いても時間かかりますし、ご飯だけは電子レンジのパックで」
ミカは必要な食材を買い物かごに入れていく。かごを持つのは新田だ。
「ついでに明日の朝ご飯の分も買っておきましょう。この時間のスーパーだと売り物も少ないですが」
てきぱきと売り場を回っていくミカと、その後を荷物持ちとしてついていく新田の二人。
「……ミカちゃん、何だか買い物慣れしてるね」
「このスーパーではないですけれど、スーパー自体にはよく行きますから」
そうなんだ、と新田は隣を歩くミカを見下ろす。
「あの、どうかしました?」
「あ、いや何でもないよ」
新田は目をそらし、そのまま二人は買い物を済ませてスーパーを後にした。
◆ ◆ ◆
新田のアパートに戻った二人。ミカはさっそくスーパーの袋から食材を冷蔵庫に移し、また必要な食材を並べ料理の準備を始める。
「それじゃ、パパッと作っちゃいますので新田さんは座っててください」
新田はミカに促されるままに居間でテレビを見ていることにした。
テレビのバラエティ番組の音に混じって、キッチンから軽快な包丁の音、コンロをつける音、そして微かに鼻歌のようなものが聞こえる。
「――――」
何の歌だろうか、と新田は耳を澄ませる。綺麗な声だ。聞いたことがある曲だとは思うのだが。ミカは無意識に歌っているのだろうが、楽しそうだ。
しばらく続いた鼻歌も終わり、ミカができあがった料理を運んできた。
「はい、出来ました。オムライスです」
お皿に乗って出てきたのはオムライス。ふわりと黄色い卵で包まれ、見た目はきれいに出来ている。
「おお、すごい。美味しそう」
「当然です。あ、新田さん、ケチャップで何か絵でも描いてあげましょうか?」
ミカも自分の分を運んできたあと、悪戯っ子のような笑みを浮かべて言った。しかし新田の目はオムライスに釘付けのまま。
「いや、それはいいよ。それより早く食べよう」
新田は手を合わせ一言いただきますというと、すぐにスプーンですくって一口。ふわりとした食感のタマゴと、それにくるまれたケチャップライスの優しい味が口の中に広がった。
「うわ、美味しい!」
ミカが自分で料理が得意と言っていたのは本当らしい。久々に食べる美味しい食事に新田はスプーンで掻き込むように食べていく。
「ふふ、そういってもらえるのは嬉しいですけれど、そんなに慌てて食べると体に良くないですよ?」
ミカも新田の様子を見て微笑みながら、自分も一口食べる。どうやら出来は彼女にとっても良かったらしく、満足そうに頷いた。
「うん、ちゃんと出来てます。時間があれば他にもスープやサラダもつけられたのですけれど……」
「いやいや、これでも十分だって。サラダとかスープは、また今度にでも作ってよ」
オムライスをがっつくように食べながら、新田は無意識にそう言ってしまった。
「えと、また今度……ですか……?」
ミカの表情が曇る。同時に新田は気づいた。
「あ……えっと、ごめん」
――ミカを泊めるのは今日一日だけだと自分で言ったのに、また今度もないだろうに。
「あ、謝らないでください。わたしは、今日一日泊めて頂けるだけでもありがたいですから」
慌てたようにミカがそう言うが、スプーンを口に運ぶペースがお互いに落ちた。
どこか気まずい空気の中、二人の食事も終わる。せめて食器の後片付けくらいやると新田は申し出たが、食器洗いもミカは譲らなかった。
仕方が無いので新田は何をするわけでもなく、テレビの賑やかなバラエティ番組をぼんやりと眺める。だがぼんやりしているせいか内容が頭に入ってこない。新田はテレビの電源を切った。
ミカが食器を洗う流し台の水の音だけが聞こえる。
「……新田さん」
ふと、水の音にミカの声が混ざった。
「どうしたの?」
「……つまらない理由なんです」
キッチンから声だけが聞こえる。新田は背を向けたまま黙って耳を傾けた。
「わたしのお父さん、わたしが小さいときに病気で死んじゃいまして。お母さん一人でわたしを育ててくれたんです」
消え入りそうな声で、ミカは続ける。
「お母さん、わたしのために働いてばっかりで。家に帰ってくるのもすごく遅いので、家のことくらいはって、わたしが家事をしていたんです。大変でしたけど、寂しかったりもしましたけど、それでもわたしはお母さんと二人で過ごしてきたんです。でも、お母さん、つい最近再婚しまして」
蛇口が止められ、水の音が消える。
「こんなの世間じゃよくあることだし、きっとお母さんにとって再婚は良いことだとは分かっているんです。お母さんも嬉しそうで。ただ、どうしても『新しいお父さん』が受け入れられなくて、お母さんがとられちゃったような気がして……。我が儘ですよね。お母さんも幸せそうで、新しいお父さんも、きっと悪い人じゃないと思うんです。でも幸せそうな二人を見ていると、わたしが邪魔なのかもって思ったりして」
「……それで、家出したの?」
「はい。子供っぽいですよね……だから、あんまり話したくなかったんです」
自嘲のような、投げ出すような声に、新田は何かを言ってあげたくなる。
「ミカちゃんは、お母さんのこと好きなんだね」
違う、言いたいのはこんなことじゃない。言わないといけないことは、こんなことじゃない。だが新田の口から出てきたのはこんな意味の無い言葉だった。
そんなこと、確認しなくてもわかりきっているのに。
「はい。好きです。でも、もしかしたらお母さんはそうでもないのかも、なんて」
ミカの声が震えている。新田にはそんな気がした。
「もし家出したら、お母さんもまたわたしを見てくれるんじゃないかなって、ちょっと思ったりもしたんです。馬鹿ですよね。でも三日目に新田さんにこうしてお世話になってる時点で、きっと二人ともわたしを探してないですよ」
新田は何か声をかけようとした。しかし、何も言葉が出てこない。
「……ミカちゃん。洗い物終わったなら、先にシャワー使っていいよ。俺、ちょっとコンビニに行ってタバコ買ってきたいから」
それだけを絞り出すように言った新田はそのまま財布を掴むと、逃げるように自分の家から出た。
◆ ◆ ◆
近くのコンビニでタバコを買った新田。「あざしたー」という気だるげなバイトの声に見送られコンビニを後にし、明かりの少ない通りを歩く。しかし、あとは自分の家に帰るだけだというのに足取りがひどく重い。ちろちろと頼りなく明滅する切れかけの街灯が嫌に気になる。
「……情けない大人だなぁ、俺」
ミカが自分に事情を話してくれたのに、自分は何も言えなかった。ミカと自分とでは事情が違うから、何を言っても空虚になってしまう気がして。自分が悩むことなく大人になった問題に、今悩んでいる子がいる。だというのに、自分は考えもしなかったことだから、ヒントすら与えてあげられない。
今のままは駄目だと分かっているのに、その答えを上手く言葉に出来ない。
そんなことが新田の頭の中をぐるぐると回る。
「あの、すいません」
突然、背後から声をかけられた。
新田が振り返ると、そこには一人の中年女性が立っていた。
「すいません、この辺りでこの子を見かけませんでした? 名前は小西美佳というんですけれど」
そういって女性が差し出したのは一枚の写真。そこに写っていたのは制服姿のミカだった。
新田の表情が強ばる。
「えっと、この子がどうかしたんですか?」
「私の娘なのですけれど、実は家出していなくなってしまって……もう三日も家に帰っていないんです」
なんと、女性はミカの母親だった。新田が改めて女性の顔を見てみると、確かにどことなく似ている気がする。
「そ、それは大変ですね。警察にはもう届けたのですか?」
「それが……娘が手紙を残していきまして。そのうち帰るから探さないで、とあったのでまだ。でも、心配なので明日にでも届け出ようと思っています。三日となると、もしかしたら何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかって……」
新田はふと思った。ミカが今自分の家にいることを彼女に打ち明けて、母親に引き渡せばいいのでは、と。
そうだ、それが正しいはずなのだ。娘を心配して探している親御さんに、娘を引き渡さないほうがおかしい。
だけど、それだと何も解決しない。きっとこのまま帰しても、ミカはまた家出してしまうだろう。そんなことが新田の頭をよぎった。
そして何より、それじゃあまるで自分は彼女から逃げたみたいじゃないか、と。そんなもどかしい感情が、新田の中を駆け巡った。
「えと、見てないですね」
だからだろうか、新田は思わず嘘をついた。
「そうですか……あの、もし見つけたらこの番号に連絡してください。お願いします」
そういって新田が渡されたのは、携帯電話の電話番号らしい数字が書かれたメモ用紙だった。
「分かりました。早く見つかるといいですね」
ミカの母親は頭を下げると、また歩いていった。きっと、ミカを見た人がいないか聞き回っているのだろう。
何が早く見つかるといいですね、だ。新田は心の中でつぶやく。
ミカの母親だという女性の顔にはひどく疲れが浮かんでいた。ミカのことを心配して、必死に探し回っているのだろう。そんな人に嘘をついた自分にも、そしてそんな母親を心配させているミカにも無性に腹が立ってきて。
「探してない、なんて嘘じゃないか……」
今まで何も言葉が出てこなかったはずなのに、どうしてか今はミカに言いたいことがたくさん浮かぶ。全部を言葉には出来ないかもしれないけれど。全部が伝わるとは思わないけれど。
新田は自分の家へと駆けだした。
◆ ◆ ◆
ガチャン、と勢いよくドアをあけ、新田は自分の家の中へと飛び込んだ。
「きゃっ! ……あ、新田さんですか。もう、びっくりさせないでください」
驚いた表情で出迎えたのはミカだ。きっと新田に言われたとおりシャワーを浴びたのだろう、髪が少し水気を帯びている。それに服装もジャージ姿から、シンプルで可愛らしいシャツとズボンになっている。きっとリュックサックの中に詰め込んであったのだろう。
新田はそのままミカの前に腰を下ろした。
「ミカちゃん」
「な、何ですか改まって」
真剣な新田の声色にミカがたじろいだ。
「さっき、君のお母さんに会ったよ」
ミカの表情が固まる。新田はその顔をまっすぐ見ながら言葉を続ける。
「お母さん、すごく心配していたよ」
「そう、ですか」
ミカの表情に変化は見られない。それが、新田にとってひどく腹立たしい。
「そうですか、じゃないんだよ!」
突然の新田の大声に驚き、ミカは身を縮めた。しかしそんなことはお構いなしに新田は出てくる感情をたたきつける。
それは決して大人からのアドバイスではなく、自分のふがいなさからの八つ当たりのようなものだ。
「ミカちゃん、お母さんのこと好きって言ってたじゃないか! そんなミカちゃんの大事なお母さんが、今、ミカちゃんのことを必死に探してる!」
「そ、そんなの分かっています! でも……」
「でもじゃない! 今更謝りにくいとか、本当は迷惑しているんじゃとか、そんな風に思ってるんでしょ、どうせ! 子供のくせに色々と考えすぎなんだよ!」
新田は立ち上がり、ミカを見下ろすような態勢で吠える。
「探してほしいって思ってたって言ってたでしょ? だったらお母さんが必死に探してくれていることを素直に喜びなよ! それで、その後にちゃんとお母さんに謝るべきだ! 子供なんだから、心配かけてごめんなさいでいいんだよ!」
「子供子供って……わたし、高校生です。高校生にもなって……そんな……」
「自分で子供っぽいって言ってたくせに何を今更! 別にいいんだよ。でも、お母さんに迷惑かけたのは間違いない。だからさ、ちゃんと謝って、もうこれ以上お母さんに心配かけるのは終わりにしよう。大好きなお母さんを、困らせたいわけじゃないんでしょ?」
ミカは新田を見上げる形になっている。そして、ミカは気がついた。
「……どうして、新田さんが泣いているんですか」
「知らないよ、馬鹿。俺だってまだ子供だってことなんでしょ、多分!」
乱暴に顔をこする新田。本当に、これではどっちが子供なのか分からない。
自分はこうも感情的になるタイプじゃないと思っていたのに、なんてことを新田は頭の片隅で思った。どうして自分はこうも怒っているのだろうか、と。
そして自分勝手で我が儘で、子供っぽいのは新田のほうも同じなのだ。ミカの今の状態が受け入れられないから、気に入らないからこうして喚いている。
「……わたしが帰ったら、お母さんの邪魔になったりしませんか?」
「娘のことを邪魔だって思うような人は、自分の足で人に娘の行方を聞いて回ったりしないよ」
新田はできる限り優しく意識した笑顔でミカに言う。涙で赤くなっている目だから、優しそうには見えないが。
「……だからさ、今晩泊まったら、明日の朝一番にちゃんと帰ろう。家まで送ってあげるからさ」
ミカはしばらく間を開けた後に黙って頷いた。それを見て新田はホッと胸をなで下ろした。
「良かった……。じゃあ、明日に備えて今日はもう寝よう。俺はシャワー浴びてから寝るからさ。ミカちゃん、ベッド使って良いよ。俺、床で寝るから」
新田はそれだけ言うと、着替えと携帯電話を持って脱衣所へ向かった。
「さてと、電話しておかないとな……」
脱衣所で、新田は携帯電話に数字を打ち込んでいく。一枚のメモ用紙を確認しながら。
「あ、もしもし。夜分遅くにすみません。私、新田という者なのですが――」
◆ ◆ ◆
翌朝、新田とミカはあるアパートの前まで来ていた。
「ここです。ここが、わたしの家です」
ミカの案内で来たのは、とある家族向けアパート。このアパートの103号室が、ミカの家族が暮らす家だそうだ。
新田がインターフォンを鳴らそうと手を伸ばす。が、ミカは新田の服の袖を掴んで止めた。
「自分で、押しますから」
新田は素直に場所をミカに譲る。少し笑っていたためか、ミカに「何が可笑しいのですか」と言われてしまった。
ピンポーン、というどこにでもあるチャイムの音が鳴った。そしてすぐに玄関のドアが開かれる。
「あ……」
小さく漏れた声はミカのものかそれとも、目の前の母親のものか。新田には分からなかった。だが、そこはどうでもいい。
「美佳……」
「お母さん……」
ミカが何かを言おうと口を開くその前に、ミカの母親は我が子を抱きしめた。
「もう……心配かけて……!」
力強い母親の抱擁に、ミカも静かに涙をこぼす。
「うん……ごめんなさい、お母さん……」
新田はそれを後ろから黙って見つめていた。それを見てどこか満たされた気持ちになる。
しばらくして、ミカの母親が思い出したように新田のほうへ向き直った。
「すみません。新田さん、でしたよね。恩人なのに何のお礼も言わずに……」
「いえいえ。娘さん、見つかって良かったですね」
ミカのお母さんに新田は笑顔で応えた。
「何か、お礼がしたいのですが……」
「いえ、お礼なんて……」
わざわざお礼をされるようなことはしていないと、新田は思った。そもそも一度嘘をついているため、心情的に素直にお礼を言われるのも変な気分なのだ。断ろうとする新田だったが。
「新田さん、わたしからも何かお礼が出来れば」
母親と並ぶミカにもこう言われてしまっては断りにくい。
新田は少し頭を悩ませた。そして、一つの良いアイデアが下りてくる。
「わざわざお礼を貰うのは気が引けるし……どうしてもって言うなら、ミカちゃんが作ったオムライスをまたいつか食べさせてよ」
新田の言葉に一瞬、ポカンとした表情を浮かべたミカだったが。
「ふふっ、そんなので良いならまた是非作りますよ、新田さん」
ミカの満面の笑みに、新田も笑顔を返した。
◆ ◆ ◆
「それで、俺としては綺麗にまとめた気がするんだけれど。ミカちゃん、なんでまたウチに来たのさ。お母さん、心配するよ?」
「テスト勉強を見てもらうって言って来たので大丈夫です。お母さんも新田さんならって、安心して見送ってくれました。それに約束通りオムライスを作りに来たんですから、夕飯を食べ終わったらちゃんと家に帰りますよ」
三日後の土曜日。新田の家にはミカの姿があった。
「俺としては約束だけのつもりか、もし来たとしてももっと間が空いてからだと思ってたよ」
きちんとしたエプロン姿のミカがキッチンから応える。
「お母さんに心配かけるのは良くない、っていうのはもちろん分かってます。新田さんのおかげで。けれど家の居心地が悪いのには変わりないんですよ。お父さんも、まぁ、悪い人じゃないですけれど、それでもやっぱりどこかまだぎこちないですし。それで、ここに避難しているんですよ」
そうして喋りながらもミカの料理を作る手はよどみなく動く。
「そこで何でわざわざ俺の家に来るのさ。別の友達のところとか……あっ」
「何ですかその『あっ』は。友達はいますからね? ……良いじゃないですか。それにわたしが来なかったら新田さん、せっかくの休日をダラダラと過ごしていたでしょう?」
「せっかくの休日だからダラダラ過ごしたいんだよ」
「ご飯もちゃんとしたもの食べないでしょう? どうせ、わたしが帰ってからもカップ麺とか出来合いの総菜ばかりだったでしょう」
「う、それは……」
図星を突かれた新田が口ごもる。その様子に何故かミカは嬉しそうだ。
「ということで、わたしが栄養あるご飯を作りに来てあげているんですよ。もっと感謝してください」
「お礼のはずなのに恩着せがましいな……」
口ではそういう新田も、ミカとまたこうして話していることをどこか喜んでいるのかもしれない。
「ちゃんとスープとサラダも作りますよ。約束の『また今度』ですからね」
「あ……そっか。何というか、その、ありがとう」
「いえいえ。――そういえば聞こうと思っていたんですけど、新田さんってオムライスが好きなんですか?」
「ミカちゃんのおかげで好きになったんだよ」
「……そういうの、ずるくないですか?」
家出少女とオムライス 雉里ほろろ @kenmohororo
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