第13話
自分の部屋に戻ってくると、念のために軽くノックをする。
「どうぞ、入ってください」
莉愛の声が聞こえてきたので俺は扉を開く。
どうやら二人は真面目に勉強していたようで、シャーペンを持つ莉愛と頭から湯気が見えそうなほど混乱している伊緒が机に向き合っていた。
「頑張ってたみたいだな。これ、差し入れだ」
「わーい、お兄ちゃん大好き――!」
コンビニの袋をみると伊緒の元気が回復して、俺に抱きついてくる。
すると莉愛が慌てて近づいてくる。
「ダメー! 有場さんに抱きつくなんて伊緒ちゃんでも許しませんよ!」
伊緒を無理やり引き離す莉愛。
頬を膨らませて、ふくれっ面になっている。
「別にお兄ちゃんをとったりするわけじゃないよ……」
「わ、わかってるけど……」
不安げな表情を見せながら莉愛は俺の顔を見てくる。
その様子に苦笑しながら俺はテーブルの上に袋を置く。
「せっかくだし、ちょっと休憩にするか?」
「はいっ」
「うんっ!」
莉愛と伊緒の元気な声がする。
すると俺の後ろから声が聞こえる。
「有場さん……、本当にここに住んでるのですか?」
ゆっくり大家さんが顔を出す。
ただこの館に入った瞬間に口数は減っていき、恐る恐る歩いていた。
まぁ、いきなりこんな広い館に連れてこられて、ここに住んでますとか言われても信用できないよな。
俺自身も信じられないレベルだから……。
「えぇ、ここが俺の部屋ですよ……」
すると、大家さんの顔を見て、莉愛がぽっかり口を開けていた。
「あ、有場さん……、ど、どうして有場さんが大家さんと!? ま、まさか二人は付き合って――」
じわっと目に涙が浮かんでくる莉愛。
俺たちの様子を見て、大家さんはニヤリと微笑んで、俺の腕を掴んでくる。
その際に俺の腕を豊満な胸が包み込んでくる。
勝ち誇った大家さんと悔しそうに口を噛みしめる莉愛。
全く、何をやってるんだ……。
俺は呆れ顔になりながら余計なことを言おうとしてる大家さんの頭をチョップする。
「そうなの。私たち付き合って――。痛っ!」
「何変なこと言ってるんだ。莉愛も勘違いするな、大家さんはお前たちに勉強を教えに来てくれたんだ。元々塾の講師をしていたらしいからな」
「ほ、本当ですか!?」
莉愛が涙目で俺を見上げてくる。
そんな莉愛の頭を撫でて落ち着かせる。
するとそんな俺たちを見て大家さんがニヤニヤと微笑む。
「やっぱり二人は仲良いですね……」
すると莉愛が真っ赤になって一歩後ろに下がっていた。
「大家さん、からかうのはほどほどにしてくださいね……」
俺は苦笑を浮かべながらテーブルにお菓子を広げていく。
ただし、あまり多すぎても困るだろうから残ったものを別の机の上に置いておく。
そのついでに大家さんから受け取った手紙も置いておく。
「やったー、ポテチもあるよ」
「あぁ、たくさん買ってきたからな。これからもテスト勉強をしにくるんだろう?」
「うっ……」
伊緒が言葉を詰まらせる。
「だ、大丈夫。食べた後にしっかり勉強するよ……」
俺と視線を合わせようとしない伊緒。
あまり勉強する気はなさそうだ。
まぁ、俺が外に出ていた間は頑張っていたようだし先ほどの様子を見る限りだと、いきなり詰め込めすぎても伊緒の頭がパンクするだけだろう
「まぁ怒られない程度に頑張れ……」
言葉を考えて応援しておく。
◇
おやつを食べながら談笑をした後、大家さんが莉愛たちに勉強を教えてくれていた。
それをのんびり眺めてながら大家さんから受け取った手紙を一つずつ調べていった。
基本的にはどこかのスーパーの安売りや不動産のチラシといったものだった。
まぁこっちはあくまでもおまけ……だもんな。
メインはこっちだな。
株式会社リグルストからの手紙。
直接渡してきたところを見るとただのチラシとかではないと想像できる。
そんなものを今の俺に渡してくる理由……。
まさかとは思うが、引き抜き……とかじゃないよな?
ありえない想像に思わず苦笑いする。
こうして莉愛の……神楽坂グループの一社員になれただけでも夢にしか思えない出来事なのに、別の会社から引き抜きをかけられる……なんてどこの漫画の世界だ。
鼻で笑いながら手紙の中身を読む。
有場健斗様
拝啓
若葉の香りに伸びやかになるこの頃、ますますのご清祥のこととお喜び申し上げます。
早速ですが、貴殿の力は我が社の欲するところであり、是非一度直接お会いしたく存じます。
つきましては貴殿の都合がいい日、いい時間に一度弊社にお越しいただくことはできないでしょうか?
良いお返事を心よりお待ちしております。
敬具
えっと……、これは……?
まさか読み間違いかと思って何度か読み返す。
やたら丁寧に書かれているが、要するに「俺を引き抜きたい。一度話を聞きにきてくれ」ってことだよな?
……どうして俺なんだ?
俺が今までしてきたことといえば、ブラック企業で働いていたことと莉愛と過ごしていたこと……。
何か特別なことは一切していないはず……。
手紙を持つ手が震えてしまう。
ただ、この動揺を気づかれないように手紙を元の封筒に戻しておく。
そして、手紙を机に置くと平然とした顔を作る。
「あれっ、有場さん? どうかしましたか?」
莉愛が不思議そうに訪ねてくる。
「い、いや、なんでもないぞ」
動揺してしまい、声が上ずってしまう。
「何かわかりませんけど、わかりました。私にできることがあったらいってくださいね」
なんだか莉愛が頼もしく見える。
でも、流石に俺に引き抜きの話が来ている……なんてことは莉愛に話すことはできない。
結果的に曖昧に返事することしかできなかった。
◇
一通り勉強し終わると伊緒と大家さんは家へと帰っていった。
それから俺と莉愛はテーブルを挟んで二人、向かい合うように座っていた。
莉愛が問題を解いて、俺が成否を教える。
そのくらいしかできなかったが、莉愛はそれで十分だったようだ。
満足した様子で笑顔を見せてくれていた。
ただ、ふと思い立ったのか、莉愛は筆を止める。
「あの、有場さん、お願いがあるのですけど……」
「んっ、どうした? 何か取ってくるか?」
「い、いえ、違います。もし、今回のテストでテストの合計で学年一位を取れたら――」
何か褒美がほしいってことか。
たしかにただ勉強するより何かの目的に向かって勉強したほうがやる気が出るもんな。
「その、私のお願い、一つだけ聞いてもらってもいいですか?」
「……あぁ、いいぞ。どんな願いを叶えたらいいんだ?」
「そ、それは今は言えません! 一位が取れそうになったら言わせてもらいます!」
莉愛は慌てた様子で赤く染まった顔をノートの方に向ける。
まぁ、前みたいに手を繋いでどこかにいってほしい……とかそういったことなんだろうな。
その程度で莉愛のやる気が出るのなら安いものだろう。
それにしても……学年一位か。
やっぱり莉愛はすごく賢いんだなと改めて思い知らされた。
◇
莉愛が自分の部屋に戻った後、俺は再びリグルストから受け取った手紙を眺めていた。
俺と合わせるようにスマホで会社の情報を見ていた。
しっかりとした福利厚生。
きっちりと有休は取らせる。
休みは年百三十日以上。
労働時間は九時から十七時で間に一時間休憩。
強制参加の煩わしいイベント事は一切なし。
給与は若いうちから年収千万を優に超える。
あくまでもネットの情報なのだが、これを見る限りすごくホワイトな企業だ。
おそらく前のブラック企業にいた時なら飛びついていたのだろうな。
ただ今の俺は神楽坂グループの社員……ということになっている。
やってることは莉愛と過ごすだけのヒモみたいなものだが……。
いつまでこんな生活ができるんだろうな。
そんな不安がどうしても襲ってくる。
勇吾さんやこの家の使用人たちにも好意を抱かれているのですぐにどうにかなるわけではないだろうが。
とにかく一度話だけは聞きに行かないとな。
ベッドに寝転がりながらしばらく茫然とその手紙を眺めていた。
◇◇◇◇◇
翌日、莉愛を送り届けた後、リグルストの会社の前までやってきた。
ただ、そのあまりに大きな会社に俺は茫然と前で立っていた。
一階がまるでカフェのようになっている綺麗なビル。しかも入り口にはガードマンが二人ほど立っているし、受付には綺麗な女性が控えていた。
流石に大きい会社は違うな……。
ただ、あまりキョロキョロと周りを見てても不審者にしか見えないだろう。
俺は真っ直ぐに受付へと向かっていく。
「すみません、この手紙を受け取ってきたのですが?」
手紙を受付の女性に見せる。
「かしこまりました。少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
女性がしばらくどこかへ電話していた。
しばらく待っていると俺の前にしっかりとスーツを着込んだいかにも仕事のできそうな男性がやってくる。
短く整えられた髪とデザイン性の高い眼鏡、スラッと背が高くすごく真面目そうな人だ。
歳も俺とほとんど一緒なんじゃないだろうか?
そんな疑問を浮かべていると男性が名刺を渡してくる。
「お待たせして申し訳ありません。私は
「どうも、ご丁寧に……。俺……いえ、私は有場健斗といいます」
俺も軽い会釈で返すと名刺を受け取る。
そこには様々な肩書きがたくさん書かれていた。
それだけでかなり仕事のできる人なのだろうと想像が付いた。
「はい、とってもよく存じておりますよ。本日は我が株式会社リグルストにお越しいただきありがとうございます。では、こちらに来てください」
生島の案内で俺はこのビルの上層階にある会議室へ連れてこられる。
中に入ると二十……いや、三十人でもゆうには入れそうなほど広い会議室だった。
そこの一部を使い、向かい合うように座る。
するとすぐに部屋をノックする音が聞こえる。
「失礼いたします。こちらお茶になります」
入ってきた女性にお茶を差しだされる。
こんなにサービスをしてもらえるのか……。
それだけで俺は驚きを隠せなかった。
「では、早速本題に入らせていただきます。有場様の時間を使いすぎても申し訳ないですから」
「いえ、時間の方は問題ないですが――」
莉愛を迎えに行くのが間に合うだろうか?
そこだけが少し不安に思う。
「ありがとうございます。まず今日お越しいただいたのは有場様にはぜひうちの会社で働いて貰いたいと思ったからなんです。理由はいくつもありますが、やはりあの神楽坂オーシャンパークの一件……ですね」
どういうことだろうか?
俺はただ、報告書を書いただけのはずだが?
首を傾げていると生島が理解を示すように頷いてくれる。
「もちろん有場様が知らないのも存じておりますよ。あとは失礼ですけど前職のほうも調べさせて貰いました。よく耐えられたと驚きを隠せないほどの企業だったみたいで――」
そんなところまで調べてるのか?
いや、でも、わざわざ入ってくれって言うのならそれが普通……なのか?
このあたりの普通が俺にはわからないのでただ乾いた笑みを浮かべるしかできなかった。
「その観察力と忍耐力、そして、あの神楽坂勇吾が存在を隠そうとしているほどの力の持ち主……。それほどの逸材をこのままにしておくのはもったいないと思ったのですよ」
存在を隠そう……? まぁ堂々とヒモを雇ってますとは口に出せないか……。
「でも、俺に出来るようなことなんてあまりないですよ?」
「いえ、貴方ならすぐに我が会社に馴染んでくれると思ってます。ですからどうでしょうか? 我が会社に来ていただけませんか? 今なら最高の条件を提示させていただけると思ってます」
「条件……?」
「えぇ、貴方ほどの方を勧誘してるわけですから――。まず住むところは会社支給で高級マンションの一室を準備させて貰います。もちろん家賃は全額会社が負担、そして、送り迎えには専属のドライバーを付けさせて貰います。あとはお金の方ですが、最低でも年収二千万。そこにプラスして成果次第で上乗せさせていただきます」
……はっ!?
今のは何かの冗談だろうか?
さすがの俺も笑いがこみ上げてくる。
「そんな冗談を誰が真に受けると?」
「冗談だとお思いですか? 我々は貴方にならこれだけ支払っても良いと思っているのですよ。いかがでしょうか、我が社で存分に力を発揮していただくか、それともこのまま一生神楽坂のヒモで終わるか……」
生島の目が光ったように感じた。
嫌なところを突いてくるな……。
ずっとこのままでいて良いのかは俺が悩んでいるところでもある。
どうしたら良いだろうか……。
ちょっと考えてもすぐに答えが出そうにはなかった。
「返事を少し待ってもらっても良いですか……?」
「大丈夫ですよ、今すぐにお返事を聞こうとは思っておりませんので――。また、お決まりしましたらそちらの名刺に書かれてる電話番号に一報を入れていただけるとありがたいです」
笑顔の生島に見送られて俺は会社を出て行った。
ただ、その足取りは地に足が着いていないようでふらふらとしたものだった。
今のままお金の心配はないものの莉愛に養ってもらう仕事をしていくか……、それとも、自分の力を挑戦するために別の会社に行くか……。
今後の一生を決める大事な選択だと真剣に考える。
ただ、転職となると莉愛が悲しむだろうな。
その想像をしたその瞬間に胸がチクリと痛む。
ははっ……、俺も莉愛と会えなくなることを寂しいと思ってるんだな……。
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