第4話 崩壊

榎本は、家事をしている七海に声をかける

「え?

 健康診断書?」

七海は聞き直した。

「そうだよ。

 性病とか変な病気を持っていないかの検査結果だよ。

 HKLは、それを確認する約束だろう?」

榎本はじろりと七海を睨む。


「は、はい。

 ここに。」

七海は慌ててバッグから茶封筒を取り出し、榎本に差し出すと、榎本はその封筒を七海からひったくるようにして取り、中身を確認する。

「まったく問題なしか。

 検査日は2週間前ね。

 じゃあ、よしとしよう。」

榎本は、ふんと鼻を鳴らすと、検査結果を封筒に入れ、自分のバインダーに挟む。


「え?

 返してくれないのですか?」

七海は驚いて声をかける。

「当たり前だろ?

 あとで違いましたなんて言われたら、こっちはたいへんだろう。」

「そうですか。

 じゃあ、榎本さんの…」

「なにぃー!」

七海が榎本に『診断書を見せてほしい』と言いだす前に、榎本大声を出して遮る。

「ひっ」

榎本の大声に七海思わず肩をすくませる。


「僕の診断書を見せろというのか?

 僕は、毎年きちんと人間ドックを受診しているんだ。

 それで、ちゃんと検査をして、OKをもらっているから出す必要はない。

 だいたい、あなたたち学生が何して遊んでいるかわからないから提出させるものだろ?」

榎本は七海の診断書の入った封筒を手に取り、掌にパンパンと叩く。

「こっちは、君たちが遊んでいる時に、遊ぶ暇なく汗水流して働いているんだ。

 海外旅行も、国内旅行も最近では行ったことのないくらい時間が取れないんだよ。」

時間が取れないのは確かだが、榎本自身、英会話は苦手で、海外では自分の思った通りのことが言ったりできないので、行く気がないのが本音だった。


「わかるか?

 僕なんか、ユーザー先の女性から好意で声を掛けられたりするけれど、それに答える暇もないんだよ。」

「す、すみません…」

七海は、小さくなって謝った。


榎本は、休日は朝昼晩と栄養管理している料亭から食事を運ばせると言っていた。

その日も、昼に配達員が昼食を運んできて、朝の食器を持って帰った。

(これって、ファミレスのデリバリーじゃない)

七海は栄養管理した料亭と聞いていたので、ファミレスの配達員が昼食を届けに来たのをみて驚きを隠せなかった。

「西山。

 言っていなかったから、昼食の弁当なんか持って来ていないよな。」

「は、はい。」

昼近くになると榎本は七海を呼び捨てにしていた。


「こっちも言わなかったから、仕方なしに、昼の料理を2人前にしてもらった。

 今度は、自分の分は弁当を持ってくるか、どこかで買ってきてくれ。

 一緒に注文するなら、HKLのお金から、その代金を引くからな。」

「はい。」

昼になり、七海は届いた“おかもち”の中に入っている総菜ののった皿を出し、テーブルに並べる。

料理はそれなりに豪華で、高いメニューの品を選んで注文した様だった。

そして、最後に弁当用の容器に入ったものが目についた。


「西山は、“それ”な。

 日替わり弁当を頼んでおいたから。」

通常はファミレスの宅配は、専用の弁当ケースに入れられてくるのだが、榎本はどう交渉したのか、ちゃんとした食器に乗せられ届けられていた。

「お茶を出してくれ。

 お茶は、冷蔵庫に入っているから。」

「はい。」

七海は榎本の指示通りに冷蔵庫を開けると健康食品のマークがついたお茶が並んでいた。

「賞味期限が近い奴から持ってきてな。」

テーブルから榎本の指示が飛ぶ。

七海が言われた通りにペットボトルを持って榎本の傍に置くと、榎本はじろりと七海を睨む。


「おいおい、ペットボトルのままかぁ?

 普通は、湯呑茶碗に入れて持ってくるだろう?

 どこの世界でペットボトルのまま出してくるやつがいるか。

 常識だろうに。

 そんなこと、会社でやって見ろ。

 速攻で、“首ちょんぱ”だよ、“首ちょんぱ”。

 あーあ、一気に食欲が失せたわ。

 食べられなかったら、この料理のお金、請求するからな。」

「す、すみません。」


七海は小さくなって謝り、榎本が食べ始めるのを待ってから自分用と言われた弁当を開けてみる。

中味は唐揚げとご飯だけの弁当だった。

そして、昼食の片付けが終わると、午前中にできなかった掃除を始める。


掃除をしている七海の後を榎本は着いて回り、掃除の出来をチェックしていた。

「埃が残っている」

「きちんとハタキがかかっていない」

「掃除機の使い方が駄目だ。」

都度、常識がないと駄目出しを行い、説教をするので、掃除に2時間以上かかっていた。

「まったく、掃除のイロハも知らんのか。」

「すみません」

「明日は接待ゴルフだって何回言ったらいいんだよ。

 僕は、ゆっくり休養を取りたいんだ。

 掃除を教えるためにHKLやっているんじゃないんだよ。

わかるか?」

顔を真っ赤にして詰る榎本に、七海はただ謝るしかできなかった。


掃除が終わると、すでに午後3時を過ぎていた。

「さあ、お待ちかねのエッチの時間だ。」

その時だけ榎本はニヤニヤした顔で七海を見る。

「え?」

七海はいきなりのことで、気が動転していた。

「何驚いているんだよ。

 HKLのLの時間だって言ってんだよ。」

榎本は怒り始めたのか顔が赤くなり口調が厳しくなっていた。


「す、すみません。

 じゃあ、ベッドに。

 でも、私、汗をかいて埃も…。

 シャワーを使ってもいいですか?」

「なにぃ?!

 シャワーだと?」

榎本の顔は赤黒くなり、怒りがこみ上げてきたようだった。


「誰が、見ず知らずに奴にシャワーを貸すってか?

 浴室は、僕が使うところだ。

 そこを、君の埃や汗で汚す気か?

 髪の毛が排水管に詰まったらどうするんだ。

 自分の家に誰かが訪ねてきて、お風呂使わせくれって言われ、『はい、はい』って使わせるのか?

 ええ?

 どうなんだよ。」

「いえ…、お断り…します…。」

「そうだろうが。

 常識だよな?」

榎本は七海に同意を促す。

七海は、「はい」と答えるしかなかった。

「でも、埃に汗もかいているか…、そうだな。

 じゃあ、タオルを貸すから洗面所で拭いて来てくれ。

 くれぐれも髪の毛を落としたり、汚したりしないようにな。

 ほら、タオル。」

渡されたタオルは使い古された旅館の名前が入ったものだった。

どこかの旅館に泊まった際、部屋に常備されていたものを無断で持って帰って来たものに違いなかった。


「綺麗に身体を拭いたら、そのまま、裸で出て来てな。」

「え?」

「そうだろ?

 汗やほこりを拭いたのに、それが付いた服を着て来るのか?

 ええ?

 常識だろ。」

「す、すみません。」

七海には、反論するなど余計な感情は既に残っていなかった。

七海が洗面所から出てくると、床に古ぼけたマットレスが引かれていて、その上に裸でお腹がぽっちゃりと出た榎本が厭らしい目で七海を見ながら座っていた。


「ほら、こっちにおいで。」

榎本はそう言うと片手で七海を手招きする。

「そこで…」

「そうだよ。

 あ、なにか?

 ベッドだと思ったのか?

 何言っているんだ。

 ベッドが汚れるだろが。

 僕や君の体液で汚れたベッドに寝るのか?」

だんだんと怒気をはらんでくる榎本の声を聞いて、七海は直ぐに「すみません」と謝りマットレスの榎本の方に近づいて行く。


「じゃあ、ほら、マットレスの上に横になって。」

榎本はマットレスを手で叩き、七海に来て横になるように促す。

七海は、言われた通りにマットレスの上に横たわる。

マットレスは、安物なのかゴツゴツしていた。

「やっぱり、若い娘はいいなぁ。

 肌もピッチピッチだし、柔らかいし。」

榎本はそう言いながら片手で七海の乳房を突っつく。


「すぐにいい気持にしてあげるからな。

 僕のアレは、いいって、今まで付き合っていた女の子がいつも涙を流していたから。」

榎本は自分の男性を誇示したかったのか、普通以下のサイズを逆のように作り話を吹聴すると、七海に押し被り、せわしなく七海の唇にキスをしたり、舌を出して、七海の唇や首筋を舐めあげる。

その感触は、七海には翔平とは全く別次元で、ただ気持ち悪いだけだった

そして、七海に両胸を両手で揉むと、榎本の息は荒くなっていた。

「や、やっぱりちがうよな。

 商売女と違って、初々しいよ。」

そう言って榎本は七海の乳房や乳首を舌でべろべろと舐め揚げ、そして乳首に吸い付く。


「うーん、なんて柔らかなんだ。

 どうだ?

 気持ちいいだろう。」

榎本は、はぁはぁと息を切らしながら七海の耳元で囁く。

七海には、まったく気持ちいいとは感じず、気持の悪い醜い化け物に身体を弄ばれているとしか感じていなかった。


七海は、榎本に身体を弄ばれながら、頭の中で七海と周平の好きな女性グループの歌が浮かんでいた。

『どこかに誰かが隠れているよ。

 暗闇の中、じっと息をひそめて…』

榎本は女性の胸に異様な執着心があるのか、七海の乳房や乳首を舐めたり吸い付いたりをずっと繰り返していたが、だんだんと七海は気にならなくなってきていた。

『死んでなんかいないよ、ただ身体が冷たいだけ。』

なぜ、七海はそういう歌を思い出したのか考える気も失せていた。

『もうすぐそこへ行く。

目を開けて起き上がる。

ここから出してほしい。』。


(痛い!)

榎本の片手が七海の女性部分を乱暴にこする。

七海はその痛さに頭の中の歌も忘れ、身体を捻じるが、それを榎本は感じていると勘違いし、更に胸と女性部分への必要以上の執着を見せた。

そして、ごそごそと自分の男性にスキンを装着すると、七海の両脚の間に身体を割りこませてくる。

(え?)

七海は気持ち悪いだけで、迎え入れる準備も出来ていなかったが、潤滑油代わりのローションがべったりと付いたスキンをかぶせた榎本の男性が嫌がる七海の女性から強引に体の中に入って来る。

(い、痛い、痛い)


翔平の元を去り、悲しみから翔平のことを考えないように自分にいい聞かせていた七海。

お金のために、新しいHKLの家主を選んだストレス。

その家主の榎本に受けた仕打ち。

自分が悪いのかと思いつつも、釈然としない心のわだかまり。

好きでもない男に、身体を許すことへの葛藤。

無意識で感じていたものを含め、全てが七海の心の中で渦巻いていたところに、身体の芯に走った激痛と恥辱感で、七海の心は壊れていった。

それは、七海本人の記憶、意識の中から翔平のこと、翔平と過ごした時間の記憶全てを奪い、また、七海の心から希望というものを奪い去って行った。


七海は痛みで眼を閉じ、眉間に皺を寄せるが、それを榎本は、七海が気持ち良くて、よがっていると勘違いをしてか、ひたすら自分の男性を突き入れまくる。

七海は痛みを感じていたが、頭の中では、また歌が聞えていた。

『恨んではないよ、仕方ないから。

 恨んではないよ、もう諦めた。』


「ほっ、ほっ、ほっ。」

榎本は、掛け声のように息を切らせながら一心不乱で突きあげ、七海の身体はマットレスの上部にずり上がる。

そして、腰を動かし入れ続けること3分程で七海の中で放出する。

その榎本が放出したことをうっすらと感じた七海は、物凄い嫌悪感を榎本に対してと、受け止めた自分に向けていた。

榎本の方は、すぐに賢者モードに入り、七海の中から男性を抜くと、座り込んで、スキンを外し、穴が開いてないかをチェックし、テッシュに丸めてごみ箱に捨てる。


そして、自分の男性をテッシュで拭うと、冷めた目で七海を見下ろし、吐き捨てるように七海の声をかける。

「ほら、いつまで寝ているんだ。

 早く支度しないと、夕飯の配達が来るぞ。」

榎本の叱責に似た声に、七海はのろのろと体を起こす。

「気持ち良かったか?

 気持ち良すぎたか。

 明日、接待ゴルフが無ければ、もう少し可愛がってやるんだけど。

 ぐひひひひ。」

榎本の気持ち悪い笑い声を聞きながら、七海は洗面所に入り、無表情で洋服を着る。

(やっぱり、若い娘はいいな。

 それに、こいつは、なんて気持ちいいんだろう。

 見っけもんだな。)

榎本は、七海の後姿を見ながら、締まりのない顔をしていた。


その後、榎本の夕食の配膳をするが、そこには七海の分はなかった。

「夕飯は帰ってから自分の家でゆっくり食べた方が良いだろう」

それが榎本の言い分だった。

そして、夜の8時になると榎本に追い出されるようにマンションから出された。

「ほら、明日は早いから風呂に入ってとっとと寝るから、帰った、帰った。

 そうそう、今日の給金を渡さなくっちゃだな。

 いろいろ不手際があったけど、満額渡すから、また明日来週も頼むね。」

榎本はお金をむき身で七海に渡すと、にこやかな善人顔で、七海の労をねぎらうように手を振って玄関の中から七海を見送る。

七海は、受け取ったお金をそのままバッグに突っ込み、榎本に一瞥すると、背を向け、後ろを振り向くことなくマンションを後にした。

 

榎本のマンションを出てから家に着くまで、どうやって帰って来たか思い出せないほど、七海は嫌悪感に苛まれていた。

アパートの駐輪場に自転車を置き、階段に手を掛けると、一階に住んでいる初老の女性がドアを開け、顔を出す。

「あら、やっぱり七海ちゃんだった。

 いつも元気に帰って来るのに、今日はどうしたの?

 どこか具合でも悪いの?」

その女性とは七海がここに越してきた時から可愛がってくれている、七海にとっては家族のような人物で、会うと必ずおしゃべりをしていた。

しかし、今日の七海は、相手の顔を見て軽く会釈をしただけで二階に上がって行ってしまった。

「七海ちゃん…?

 どうしたんだろう。

 あんなに沈んだ雰囲気の七海ちゃんを見るのは初めてだわ。」

女性は心配そうな顔で七海の後姿を見送っていた。


七海は二階に上がり、自分と母親が暮らしている部屋の玄関を開ける。

その玄関を開ける音を聞きつけ、良子が部屋の中から顔を出す。

「七海かい?

 お帰り。

 …!

 ど、どないしてん?

 まるで、幽霊のような顔をしとるわよ。

 どこぞ、身体の具合でも悪いのかい?」

良子は七海の顔を見ると驚いた顔で寄って来た。

「大丈夫。

 ただ、新しいバイトで疲れただけ。

 お母ちゃん。

 お風呂入りたいんやけど、沸いとる?」

七海は、一刻も早くお風呂に入って、気持の悪い不潔な榎本の体液のついた身体を洗いたかった。


「沸いてんで。

 七海が、ぼちぼち帰って来る頃かと思って、沸かしといたんやで。」

「お母ちゃん、おおきに。

 すぐに入りたかったから、このまま、入っちゃうね。」

力なく言う七海を見て、良子は不安を隠せなかった。

しかし、新しいバイトの初日だということで、いろいろと気づかれなどしたんだろうと思っていた。

「ああ、わかったよ。

 着替え、持って来ておくから、ゆっくりお風呂で温まって疲れを癒すといいよ。」

「おおきに。」

七海は、手に持っていた荷物を玄関に置くと、そのまま、浴室に入って行った。


「ほんま、疲れているみたい。

 荷物、部屋に持って行って、着替えを持って来てやろう。」

良子は、甲斐甲斐しく、七海のバッグを持って、部屋の中に入って行った。

七海は、浴室で裸になると、榎本のピストン運動でこすれたのか、下着の女性の辺りに薄く血が滲んでいた。

「!?」

それを見て七海は血が出るほど唇を噛みしめ、下着を丸めると、洗面所に会った中身が透けて見えないビニール袋に入れ、ゴミ箱に入れる。

そして、浴室に入ると、皮膚が剥けるのではないかと思うくらい、何度も何度も全身をくまなく石鹸を付けたタオルで、ごしごしと洗っていた。


「なあ、七海。

 今度のバイト、たいへんなんだろ?」

夕飯を食べながら良子は七海を気にしていた。

「え?

 大丈夫だよ。

 ちょっと疲れただけ。」

七海は薄笑いで答える。

「明日もアルバイトなんだろ?

 そんなに疲れるほど、やらなくていいから。

 母ちゃん、パートがフルタイムになって、時給も上がったから大丈夫だよ。

 贅沢は、今までと同じで出来ないけど、食べて行けるって。

 あんたの身体の方が心配だよ。」

良子は、青白く、そして暗い顔をした七海を心底心配していた。


「大丈夫だって。

 今日は疲れたし、明日も早いから、今日寝るわ。

 ごめんな、母ちゃん。

 今日は、もうお腹いっぱい。」

七海は、夕飯途中で、箸を置くと、部屋に戻って行った。

ご飯茶碗には、ご飯が半分、おかずもほとんど手を付けていなかった。

「七海…。」

良子は心配そうな顔で、七海の後姿を見つめていた。


七海は日曜日、ハウスキーパーのアルバイトも入れていた。

最初、玲奈から無理じゃないかと心配されたが、どうしてもと無理を押して頼んだバイトだった。

(HKLで、1万5千円。

 HKで8千円。

 土日で、2万3千円なら1カ月で何とかなる)

七海はそう考えて、玲奈に頼んで入れたバイトだった。

部屋に戻り、布団に入ると、七海は良子に聞こえないように、布団をかぶってさめざめと泣いていた。

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