横浜スロー・ラバーズ

妙正寺 静鷺

第1章 水無月

第1話 HKL

六月初頭の日曜日、太陽も少し傾き始めた昼下がり。

梅雨の前の最後の五月晴れという言葉が当てはまる位に良く晴れていたが、気温は20度後半を超え、汗ばむような暑さに見舞われていた。

横浜駅から横須賀線で次の駅の間にある小高い山の中腹に建っている5階建てのマンションの最上階の一室。


2LDKの間取りで、ベランダに沿って12畳ほどの広いリビングダイニングに8畳ほどの洋室がつながり、そのリビングや洋室からベランダにそのまま出入りのできる大きなガラスのサッシからは、横浜ランドマークタワーやみなとみらいの大観覧車、横浜港など観光名称が一望できた。

また、4畳半ほどのキッチンもダイニングルーム向いて作られているため、キッチンにいても眺めを独り占めできるかのような眺望が売り文句の高級マンション。

気温は髙かったが、半開きのガラス窓から海風が涼しい新鮮な空気を連れてレースのカーテンを揺らす。


その涼風の先には、セミダブルのベッドが置かれている洋室があり、ベッドの上には水色とピンクのピロケースに包まれた大きな枕が二つ並び、その枕の下でキルトケットに包まれた二人の男女が裸のまま、気持よさそうに寝ていた。

男は目を覚ますと、自分の腕の中で気持よさそうに、そしてまだあどけなさが残る女の寝顔を、微笑みながら飽きもせずに見つめていた。


どのくらい時間が過ぎただろう、男はふと時計を見ると、午後の3時を回っていた。

窓から流れ込んでくる海風が男の髪をくすぐり、寝ている女の髪を撫でているようだった。

風のいたずらか、女の前髪が顔にかかる。

男はそっと女の前髪をかき上げると、女は眠りながら気持ちよさそうな顔をした。

なんて気持ちいい時間なんだろう。

もう少し起こさずに、寝かせておこうか。

しかし男は、女が夕方に用事があると言った言葉を思い出した。


「……。

 ほら、そろそろ起きないと。

 これから用事があるんだろ。」

男は優しく女の肩を揺さぶり起こす。

”う~ん”

女が小さな声を上げるのを聞き、男は女が覚醒するのを感じると、ベッドから抜け出し、洋服を着始めた。


男が下着とブラウスを着た頃、女はゆっくりと目をさました。

そして、自分が裸であることに気が付くと恥ずかしそうな声を出した。

「す、すみません。

 また、寝てしまったようで…。」

「いいよ。

 気にしないで。

 それより、今日はこれから用事があるんだろ?」

男は女の恥ずかしそうな顔を見てクスッと笑うと、ズボンを履きベルトを閉めながら話しかけた。


「あ…。」

女は思い出したように、時計を見て時間を確認した。

「すみません。

 今日はこれで上がらせていただきます。」

そう言いながら女は、大きなバスタオルで裸の身体を隠すと洋服を持ってそそくさとバスルームに消えて行った。



しばらくしてシャワーを浴び、着替え終わった女が、帰ろうと支度をしていると、男が何かを持って女に話しかけた。

「はい、今月分。

 先月は月末が給料日前だったので、遅くなってすまない。」

男はそう言い茶封筒を女に差し出すと、女はそれまでの柔和な顔付きから一転、強張った顔つきになり「ありがとうございます」と、それを受取りバッグの中に仕舞った。

「中身を確認しなくていいのか?」

「え?」

「ちゃんと枚数があるか、確認しないとだめだよ。」

女は怪訝そうな顔をして男を見つめ、バッグに仕舞った茶封筒を取り出した。


女は、西山七海にしやまななみ

横浜市内の女子大に通う21歳。

身長154㎝と小柄でほっそりとしていたが、痩せすぎでもなく、女性らしい柔らかで綺麗な身体の線の持主。

小顔の美人というよりも可愛らしい顔で、ミディアムヘアの黒髪を後ろで縛りポニーテールにしていた。


男は、槇野翔平まきの しょうへい

横浜市内の有名コンピュータ会社に勤めるシステムエンジニアで30歳。

身長178㎝、体重73㎏と引き締まった体形の持主。

浅黒く女性受けする顔つきで、普段はぼさぼさ頭だが、仕事の時は七三分けにしていかにも真面目そうな雰囲気を醸し出していた。


七海は翔平の問いかけに、渋々と封筒の中の1万円札の枚数を数える。

「ちゃんと15枚あります。」

七海は、強張った顔でそう答えると茶封筒を再びバッグにしまった。

「じゃあ、また次の週末に。

 連絡するから。」

「はい。」

翔平の”また次の週末に”という言葉を聞き、七海は強張った顔を解き、柔らかな顔を見せると、翔平もほっとしたようだった。


「今日は、本当に送って行かなくていいのか?」

翔平の言葉に七海は笑顔を見せる。

「大丈夫です。

 来た時にお話したように今日は買い物をして帰りたいので。」

時計はすでに夕方の5時を差していた。


七海は3ヶ月程前に翔平とHKLの契約を結んでいた。

HKLとは、HouseKeepingLoversの略で、契約した男の家に通い、家政婦のように身の回りの世話をするが、家政婦とは異なり、男の求めに応じセックスの相手もする家政婦と愛人を足したような仕事の呼び名だった。

愛人と言っても、恋愛感情なしにビジネスライクに割り切り、月々一定の金額で契約を結んでいる仮想愛人だった。


七海がHKLを始めたきっかけは生活苦からだった。


七海が、まだ小学生の時、実の父親が家の外で愛人を作り、それが原因で母親と離婚した後、父親はすでに愛人と暮らしていて七海を引き取るつもりはさらさらなく、七海は経済力のない母親に引き取られ、女手一つで育てられてきた。

七海の母親は身を粉にしてパートやアルバイトで七海を育て、高校無償化も手伝い、なんとか高校を通わすことができたが、当然、大学に通えるほど生活に余裕はなかった。しかし、進学率を上げるという高校の方針とそれに従った担任の強い勧めで奨学金を使って今の大学に進学したが、七海が大学2年の時に母親がそれまでの長年の過労から心身症を患い、仕事に無理が利く状態ではなったのを境に生活費に困窮する様になっていった。


平日は学校にきちんと通い、それなりの成績を維持しないと奨学金が打ち切られるため、七海は、土日のみで、効率よく、かつ、手当ても高額なバイトを探していた。

しかし、そんな虫のいい働き口など、ましては学生のバイトで条件に適ったバイトなど普通にあるはずがなく、思い悩んでいたところを見かねた七海の友人が七海をサークルに誘った。

そのサークルは、仕事が忙しい家主のためにハウスキーピングといって、家事手伝いを行うサークルで、ハウスキーピングの仕事は主に授業のない土日のいずれか、または連日、朝から夕方まで、掃除、洗濯、炊事、買い物など客にニーズに合わせた家事を必ず2人以上で行っていた。


当然、ハウスキーピングのみでそれ以上のこと、女子大生の体に触ったり、体を求めたり、強要することは契約書に禁止事項として記載してあり、契約を結ぶときに強調して説明し、家主に誓約書も書かせるくらい重要な事項として徹底していたが、それでも女子大生の安全を考え2人以上で行動することを規範としていた。


日当は一人8千円で二人分となると少々高めではあるが、丁寧な仕事の上、明るい女子大生が家にやってくるということで評判になり、契約の依頼が多く入る、引く手あまたのサークルだった。


しかし、その表向きの仕事とは異なり、裏では一人で家事は当然のこと、家主の要求に応じてセックスの相手をする、HKLの紹介も行っていた。


HKL側のサークルの役目は、希望する家主と女子大生を引き合わせるまでで、それ以降のこと、特に家主との契約金など金銭的なことには一切関与せず当事者同士に任せる決まりになっていて、サークルの収入減は、登録時の入会金、月々の会費、但し会費は女性との契約が結ばれるまでで、契約が結ばれれば会費の徴収は停止となっていた。


当然、相手となる家主については、HKLに登録時、責任ある人間の推薦、金銭面で確かな収入があること、前科や反社会的勢力に関係がないこと等厳しい審査が課せられていた。

また、家主からは自分から見た女性の好みや嗜好、癖、性格、趣味など事細かい自己紹介を綴ったファイルの提出を受け、それを見てOKを出した女性のみを引き合わせる女性主導型だった。


但し、それで全ての条件が揃う訳ではなく、その後、数回お見合いのように二人で会って話をして、それでお互いが納得出来たら最終的に月々の給金の取り決めが行われ、そこで女性が納得したら初めてサービスが開始されるので、女性が家主のファイルを見てから契約までは1ヶ月以上かかるのが普通だった。


一月の契約金額も上限下限の規則もないので、男性からの提示を受け、納得してからになるので、1か月の準備期間を要しても、契約が成立しないケースもある。


契約期間は1年契約で、お互い納得すれば更新もあり、そこで、金額の再考も可能だが、反対に男女どちらかの申し出による解約や1年未満での途中解約も認められていた。


七海は最初、サークルが行っているHKLのことを聞いた時、風俗と変わりないのではと、“とんでもない”と思ったが、サークルの責任者の真面目な人柄や様々なきちんとした規約の説明を受け、お金欲しさも手伝い、取りあえず家主の自己紹介シートに目を通すことにした。


ただ、その時でも目を通すだけという気持ちが強かったのだが、ノートPCでぱらぱらと家主の情報を見ていくうちに、一人の自己紹介ファイルで目が留まった。

それが、翔平の自己紹介ファイルだった。



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