70.天佑

 アルシアの後ろでは巨大な頭が大きな音を立ててどんどん裂けていく。

 そしてそこには異形なるモノが立っていた。

 中には急激な体の変化に耐えられずに液状化した者もいたがその殆どはアルシアの言う所の“昇華”を果たし、人間とはかけ離れた姿をしている。


「ど〜だい? 素晴らしいだろぉ!! この|醜(うつくし)き姿こそまさしく女神様のお力なのだ!!」


 そうやってアルシアは1人で恍惚とした表情を浮かべて得意気に語っている。

 この言葉からも分かるようにアルシアは女神に心酔しきっている。

 これも女神の呪いの力なのだろう。

 誰も彼もがこの状況に思考が追いついていない。

 ある者は恐怖に怯え、ある者は友人の変化に戸惑い、ある者は自らの信じてきた|力(魔法)に恐れを感じ、またある者はこの状況に絶望を感じていた。


「そうか···。そこまで無反応だということはこの|呪い(ちから)の素晴らしさがまだわかってないのだな。ならば思い知らせてくれる···。行け!! 我が同士たちよ!!」


 そう言ってアルシアが腕を振るった。

 それを合図に千の瞳が一斉にこちらを振り向いた。


「く、来るぞっ! お前ら、死ぬんじゃねぇぞ!? 」

「それはこちらの台詞ですよ。バティこそ死に急がないようにしてくださいね。」

「理も死ぬんじゃないよ? あたいらにとって王は理なんだ。その王がこんなとこで死ぬようじゃ他の魔族に示しがつかないよ。」

「うん。わかってる!みんな!! 誰一人欠けちゃダメだから···絶対に生きて!!!」

「「おう!!!」」


 そして僕らは一斉に散らばった。

 多勢に無勢のこの状況、もはやみんなはやけくそ気味になっているのかもしれない。

 それでもどれだけ恐怖が襲いかかってこようとも誰もが生きることだけを考えていた。

 それを見て遠慮はいらずと考えたか異形なる者たちも獲物を求めて一斉に動きだした。


「このまで来たら···やってやる!! 闇魔法ッ!!」


 そう言って僕は足元の影から無数の腕を出現させた。

 幸いなことにまだお昼だ。

 腕を出す影ならごまんとある。

 魔人の時ほど時間がとれないせいもあって同時に補足できたのは30ほどだった。

 這ってくるもの、飛んでくるもの、走ってくるもの、それらの影に意識を向ける。

――今だ!


「闇魔法!!!!」


 その瞬間、それぞれの影から2対の腕が出現し、その影の持ち主を捉えた。


“バギッ!!”


 音とともに至る所で黒腕にやられた使徒たちが倒れる。

 その見るも無残な潰れ方から間違いなく倒したと確信がもてた。


「よしっ!」


 一度の数は少ないがこの調子ならなんとかなる。

 このまま行けば誰も死なずに済む。

 いける、いけるんだ!!


 そう思った矢先だった。


「オ、ゴァァァ!!」


 そんな呻き声につられ音のした方へ振り向く。

 その次僕が見た景色は綺麗な青空だった。


「えっ···?」


 そして遅れて激しい痛みが襲ってくる。


「ゴハッ···!!」


ズザァァッ!


 そんな音を立てて僕は地面を転がっていた。

 5mほど離れたところでようやく止まる。

 そして次第に感覚が戻ってくる。

 まず左肩から下が異様に冷たい。

 右手を使ってなんとか体を起こして確認する。


「ひ、左腕が···。」


 そこには潰れてもはや使い物にならないものが辛うじてぶら下がっていた。

 それを脳で認識できた途端、胃の中身がせり上がってきた。

 堪らず吐き出す。


「オェェェ、グッ、ゲホッゲホッ···。ハァハァ···何が、起きたん···だ?」


 ぼやける視界でなんとか僕の元いた場所を見るとさっき倒したはずの使徒、その全てが何事もないかのように立ち上がっていた。

 この時やっと僕は使徒に殴り飛ばされたんだと理解する。


 な、なんで···?

 さっきの手応えからして奴らは間違いなく倒したはず···。

 しかも潰れた瞬間もこの眼で見たんだ。

 なんで···。

 ···いや、ダメだ。

 考えたってわかるわけがない。

 ならそんなことを考えるより動かなきゃ。


 一気に頭を高速で回転させて結局は考えることを放棄した。

 ただこの状況で考えるより先に動けは正解だと言える。

 なぜならもう既に別の使徒たちが理目掛けて動き出しているからだ。

 痛みと恐怖になんとか打ち克ち立ち上がる。

 体中が冷や汗でびしょびしょだった。

 吐き気も半端じゃない。

 それでもなんとか構えて再び闇魔法を発現させる。


「ハッッ!!!」


 気合を入れるために声を出し、眼前に迫る驚異に再度攻撃を放つ。

 

“グシャッ!!”


 そんな音とともに使徒は潰れて地面に落ちた。

 見紛い様のないほどそれは原型をとどめていなかった。

 今度こそやったか?


――しかしそんな気持ちも当然のように彼らは打ち砕いてくる。


「ヴォァァ!!」


 さっきまでの惨状が嘘のように平然と使徒は立ち上がってくる。


「くっそぉぉぉ!!!!」


 そこからは数の暴力による蹂躙が始まった。

 四方八方、蟻の抜け道すらないほどに拳や脚、尾や角が飛んでくる。

 それをありったけの力を使い、全神経を集中させて手当たり次第に影という影から黒椀を出して攻防を繰り広げる。

 気付けば僕の周りにはおよそ70体の使徒が暴れ回っていた。

 潰されては雄叫びとともに復活し、また襲いかかってくる。

 不死身の使徒に対してこっちは生身の人間だ。

 疲労もあれば怪我なんて治るわけもなく次第に体中至る所に裂傷やら打撲やら骨折やらが出来ていく。


 なんか右側がよく見えない···。

 音も聞こえないしもう痛いとこが多すぎてどこが無事なのかもよくわかんないや。

 そういえば僕ってまだ立ててるのかなぁ···。

 多分脚もボロボロなんだろうなぁ···。


 こんな時の|脳内麻薬(エンドルフィン)というのは怖いもので痛覚の殆どは認知できていなかった。

 そのお陰もあってか全身、至る所に大怪我を負っているものの幸か不幸か意識だけは飛ばずにはっきりとしていた。

 それでもこちらの都合などお構い無しにどんどん増えていく攻撃に対処しきれるわけもなくついに鳩尾に強烈なアッパーが突き刺さる。


「グォッ!!!」


 そして鮮血だけをその場に残し、僕は弾き飛ばされた。

 そのまま地面に着地するまもなく10mほど離れたところまで飛ぶと今度はくの字に曲がった体に蹴りが入る。

 恐らく背骨が折れたのだろう、ほとんど無かった下半身の感覚が完全に消え去る。


 このままじゃ···。

 なんとかしなきゃ。

 でももう体が動きそうにないや···。

 まさか僕の人生がこんな終わり方するなんて考えたこともなかったなぁ···。

 仕事して結婚して子どもができて孫ができてそんなありふれた幸せに包まれながら人生を終えれたらなんて考えてたのに···。

 もうだめかぁ···。


 そうやって諦めかけていたその時だった。


“ガシッ!”


 突然誰かに抱きしめられる。


「あなたが|今の(・・)魔王ですね? 遅くなってしまってごめんなさい。でももう大丈夫です。あとは私に任せてゆっくり休んでてください。」

「え、えっと···。」


 ぼんやりとする頭でなんとか返事をしようとしたところで、柔らかな感触に包まれながら僕の意識は消え去った。

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