第2話 『メリー・ウィドウNo.2』

 いらっしゃいませ。


 ほぉ これは嬉しいですね。私の趣味でやっている様なバーにまたいらして下さいまして、私のカクテルは気に入って頂けましたか?


 え? カクテルもだが話を聞きに来た?

 これはこれはお客様も物珍しい。


 良いでしょう、今の時間はお客様は貴方1人だ。では、今夜は私がこのバーを開いたばかり、三十年くらい前にいらっしゃったお客様の話でも致しましょうか。

 カクテルは……私のオススメで宜しいみたいですね。


『メリー・ウィドウNo.2』


 チェリーブランデー 30ml

 マラスキーノ 30ml


 この二つを混ぜてカクテルグラスにマラスキーノ・チェリーを飾り、チェリーにカクテルピンを刺して出来上がりです。ジンベースでも同名のカクテルがありますから、このリキュールベースは名前の後にNo.2が付きます。



 ※※※


 日本人にとっては長く激動だった『昭和』も終わり、好景気に日本中が沸いた『平成』に入った年の事である。

 老夫がやって来ては先に待っていた老母の隣に腰を下ろした。



「こんなに素敵なお店を知っている何て……手紙でのやり取りは二・三年前からしてたけど、会うのは何十年ぶりだろう? 君は変わってないなぁ」

「もう何を言ってますか。半世紀近く立つのよ。顔もシワクチャだし恥ずかしいわ」



 老夫は被っていたハットを取ると、少年のような無邪気な笑顔を見せた。


「面影が残っているから十八歳の頃と変わらないよ。僕こそ、この通りにすっかり髪をなくしてしまってね」

「あら。ツルツルで可愛らしいじゃない」


 老母が口に手をやり上品に微笑むと、老夫は自分の頭をパチッと叩き笑い声をあげた。



「君と話してるとやっぱり調子が狂うなぁ……」



 老母の唇の端に浮かんだ笑みが陰りを帯びる。



「私が貴方を待たずに結婚した事を怒ってますか? 」


 老夫は懐かしむように目を細め首を横に振った。



「時代が時代だよ。君に怒るのは筋違いだ。もし、君が不幸せになっていたら、自分に怒っただろうけど幸せだったんだろ?」


「……えぇ。三年前に亡くなった主人はとても優しく、お陰さまで2人の子どもにも恵まれ、孫が可愛くて仕方ないのよ」


「そうか。僕は結婚もしなかったから、もちろん子どももいないし孫もいないから感覚が分からないなぁ」


 二人の間には静かにゆっくりと、確実に時を埋める空気が流れていたのを老母が変えた。


「……本当は私も待っていたかった。生死不明何て聞かされても、笑顔で帰ってくる貴方をずっと待っていたかった」


「すまない。僕は終戦時には中国山西省にいてね。終戦後も国境内戦で国民党軍の残留日本軍人として4年間戦わされていた」


「それを知ったのは私がお見合い結婚をした直後だったわ」


 老夫は長い沈黙のあと静かに口を開いた。


「……君は正しい事をしたよ。何も間違ってはいない。君には君の先の人生があったんだ」


「そうね。でもたまに思うのよ、もし貴方とそのまま結婚出来てたら……と」


 老夫は自分の考えを否定するかの様に頭を左右に小さく振った。


「……口に出しては君の亡くなった主人に失礼だ……」


 老母は心外そうに眉間にシワを寄せると老夫に詰め寄った。


「何を言っているの? 私も主人も互いに、それは素敵に愛し合ったわ。主人と結婚して良かったと心から思える。主人の最後まで添い遂げられましたし、子どもも我ながら2人とも良い子に育ちました」


 老夫は詰め寄る老母に唖然としている。


「貴方が手紙に書いてある様な話をいつまでも切り出さない上に、元夫に遠慮までする始末。と、言いますか女々しいから言わせてもらいますが、私と結婚する気はあるのですか? 」


 老夫は唖然としながらも首を縦に振った。


「何ですか? はっきりと言葉で仰って下さいな」


 老夫は姿勢を正すと深々と頭を下げた。


「どうか残り少ない人生を僕と過ごして下さい。巻き戻すことは出来ない時を今から進めたい。君が思い出だけにならない様にこれからを作りたい、僕と結婚して下さい」


 老母は息をフッと吐くと老夫の手を握った。


「『残り少ない』とか陰気ね。中身の濃い時間にすれば良いのよ。宜しくお願いします」


 老夫は顔を上げると涙を流した。


「あらあら。泣いちゃってみっともない。近い内に2人で私の元夫の墓参りに行きましょう」


 老母がハンカチで涙を拭うと老夫は頷いた。


「でも貴方は二番目よ。元夫が一番目ですから」

「もちろんだ。君の主人にも頭を下げて誠意をもって許しを貰うよ」


 老夫は何回も頷いた。老母は涙を拭ってあげるとマスターに飛びっきりの笑顔を向けた。


「ほら。話した通りに素敵な良い人でしょ?」


 マスターは指で丸を作ると笑みを浮かべ頷いた。


「息子も了承してくれたみたいね」


 老夫は目を丸くすると頭をパチッと叩いた。


 ※※※


 えぇ。お気付きの通りに私の母親と再婚相手のお話ですよ。今では天国で2人、いえ父と再婚相手の義父で母を取り合ってるかも知れませんね。


 はい。『メリー・ウィドウ』は陽気な未亡人として有名なオペレッタでございます。

 甘さとほろ苦さが絶妙な大人のカクテルですね。


『メリー・ウィドウNo.2』カクテル言葉は


『もう一度素敵な恋を』



 誰もが別れは悲しいものですが、乗り越えた先には素敵な事も待っているのかもしれませんね。

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