第28話 ジョゼの本心

 翌日、朝食を終えた後、イオリスとの稽古のために師匠は修練場へと行ってしまった。王子がどのくらい師匠に素直になれるかが心配だが、そこは彼自身に頑張って頂こう。


 私の今日の午前の予定は、ジョゼに文句をぶつけることだ。よくバラルダ方面に出向いているらしいが、今はラボにいると聞いている。

 今日こそ師匠にした悪行の数々を吐かせてやろう。

 私はジョゼのラボの扉をぶち破らんばかりに意気込んで突入した。


「たのもう!」

「……ミュリカ殿、ここは道場ではありませんが」


 入った途端、部屋の奥の方で嫌そうな顔をしたジョゼに出迎えられる。もちろんそんなことで怯まない。


「居たわね、このクソ魔道士。そんなのどうでもいいの。あんたには今日こそ師匠をどんな目に遭わせてきたのか聞かせてもらうわよ」


 ずかずかと中に入って、勝手にジョゼの前の椅子を陣取る。


「私はあなたみたいに暇じゃないんですよ」

「別に手は動かしたままでいいわ。天才魔道士様はそのくらい簡単でしょ。説明に納得できればすぐに帰るわ」

「……最初に言ったでしょう。躾をしただけだと」

「その説明で納得してればわざわざ来ないわよ」


 私なりにいろいろ調べていくと、ジョゼの行動には突っ込みたいところがいくつか出てきたのだ。ギース兄様がジョゼも師匠の『女神の加護』を狙っていると言っていた。そこに繋がるのかもしれない。


「あんたさ、師匠をこっちの世界に召喚した時、生意気だったから最初に隷属の腕輪を着けて、躾をしたって言ったわよね? その頃の尖った師匠のことを知る人間が他に誰もいないんだけど……。もしかしてあんた、師匠のこと閉じ込めてた?」


 私の質問に、ジョゼが眉根を寄せる。


「……あんなクソ生意気な状態の巧斗を王宮に連れて行くわけにもいかないでしょう。外に出せるようになるまで私が管理していただけです」

「でも師匠を王宮に連れて行ったのは私の父上でしょ。父上は私が帰還するはずだったのに連絡がないからとあんたのところに行って、そこで師匠の存在を初めて知ったと聞いているわ」


 その時に師匠が私の師であることを本人に聞いて、それならサラントで世話をすると連れ帰ったらしい。父上の話では、当時の師匠はかなり精神的にやられて覇気がなく、ジョゼを恐れていたという。


「本当は、『女神の加護』を持つ師匠を独り占めしようと思ってたんじゃないの?」

「……つまらない言い掛かりはやめていただきたい。私が王宮に連れて行く前にダン様が巧斗を引き取っていっただけのことです」

「言い掛かりねえ……」


 私は肩を竦めた。


「当時、アイネルはヴィアラントに国境の街を奪われたころで、あんたには王宮から再三の出仕要請があったらしいわね。それをずっと無視していたくせに、師匠が国の手に渡った途端に筆頭魔道士として召し抱えられたらしいじゃない」

「……偶然ですよ。年齢的にそろそろ一所に落ち着こうと思っていた矢先だったので」

「すぐに師匠のことを機密にする提案をしたのもあんただと聞いたわ。そうやってライバルを最小限にして、さらにその相手を私に管理させる……上手いことやるわよねえ」

「……何が言いたいのですか」


 ジョゼが少し苛立ったように眼鏡の奥から私を睨む。でもそんなのは気にしない。ここをはっきりさせておかないと、この男を教育できない。


「あんた、実は師匠のこと好きなんでしょ?」

「……!?」


 単刀直入に訊ねる。

 すると、ジョゼは何かとんでもない恐ろしい言葉でも聞いたように顔を強ばらせ、目を瞠った。

 しばしそのまま固まって。それから眼鏡のブリッジを震える中指で持ち上げつつ、視線を逸らした。


「あ、あなたは何を勘違いしているんだ、私が、巧斗をすっ……きだ、、などと、馬鹿なことを……っ」


 うん、分かりやすい動揺だな。


「この間ミカゲと師匠が友達になって、その上ミカゲが師匠の好きなタイプだと聞いて、不機嫌になってたでしょ。あれだって、師匠を取られるかもしれないからじゃない」

「ち、違います。部外者が入ってくると、今後の『女神の加護』を利用した国策に影響が出るからで……、そもそも巧斗は私の下僕であって、そういう感情などは」

「避けられてて会えないから、自分から師匠に寄ってくるくせに。師匠が逃げてるのに腕輪のエネルギーが満タンだったのは、あんたがマメに師匠にちょっかい出してるからでしょ?」

「それは、その、腕輪の燃料がなくなると困るからです。それに私は巧斗の反応を楽しんでるだけというか、泣かせたいだけどいうか」


「それが好きだからってことでしょ。他の人間には興味を示さないのに、師匠にだけ執着してる時点で自覚しなさいよ」


 きっぱりと言い放つと、ジョゼは呆然としたままたっぷり五分ほど固まった。


「自覚……」


 それからぽつりとそう言って、大きくため息を吐いた。直後に唸りながら頭を掻く。


「あ~……くそ」


 いつものジョゼらしからぬ、取り澄ましたふうのない、生の声。なんだか諦観の響きがある。


「……巧斗をこっちの世界に呼び寄せた時……ああ、そうか……」

「何? 何かあったの?」


 私が身を乗り出すと、ジョゼは観念したように椅子の背もたれに体を預け、手元の仕事を止めた。


「……五年前、元々はあなたを呼び戻すために私はダン様に依頼されて、異界へ通じる扉のある塔に上りました。そこで『女神の加護』の魔力を見付けて、巧斗の方を召喚したのは前に言った通りです」

「うん。それは分かってる」

「最初から『女神の加護』を持っていることは承知してましたから、彼の及ぼす影響も知っていた。だから、初めて会った時も冷静に対処したし、巧斗に別段の興味を引かれることもなかったのです。……ただ、ここに来た当初の巧斗は怒るわ喚くわ喧嘩腰だわで、到底王宮に連れて行ける状態ではなかった」


 確かに、昔の師匠ならいきなり訳も分からず異世界に呼び寄せられて、黙ってなどいなかっただろう。


「ん? でも、王宮には連れて行くつもりだったの? まだ出仕前の話よね?」

「巧斗の持つ『女神の加護』にどれだけの価値があると思ってるんですか。国に超高値で売るつもりだったんですよ」

「うわっ、さらっと人非人。だから隷属契約を取り付けて、躾と称して師匠を虐めたのね」

「……最初の頃は着けてませんでしたよ。契約輪は貴重なものですし、依頼されて作っていたものなので」

「依頼されて……?」

「その辺は守秘義務があるので答えませんが、とにかく初めは何も着けずに躾というか、この世界の勉強をさせました。……巧斗は喧嘩腰ではありますが、絶対に暴力に訴えてはこない。数日経てば冷静に状況を把握していました。あと五年は確実に戻れないと知ると、頭を切り替えるのも早く、思いの外賢くて扱いやすい男でした」


「んん? だったら、わざわざ隷属契約する必要なかったんじゃないの?」

「……そうですね、売ってしまうだけなら……。ただ、その間にですね、巧斗は小言を言いながらも家事を全部引き受けてくれてましてね。かいがいしく世話をしてくれて、特に料理が抜群だったわけです」

「……? そうね、師匠の料理は美味しいけど……それが?」

「あまりにその食生活が快適で、つい少し売るのが惜しく感じてしまって……」

「あー、胃袋掴まれちゃったのね」


 もうこの時点でだいぶ師匠のこと好きになっちゃってんじゃん。本人は気付いてないっぽいけど。


「そんなある日の食後に、仕事の謝礼で手に入れたちょっと良い酒があったので、巧斗にも飲ませたのです。そしたらですね、それまで無愛想でにこりともしなかったあの男が、ふにゃふにゃと可愛らしく笑って甘えてくるわけですよ。体温が上がるとフェロモンが活性してすごく良い匂いがするし、……それで、ついつい下僕にすべく隷属契約輪を着けてしまいました」

「えええ何ゆえ!? その思考の展開が謎なんですけど!?」

「だって下僕にしておけば、私の所有物になるでしょう?」


 これが普通だと言わんばかりにきょとんとしているが、こっちが目が点だわ。


「萌えたんだったら優しくするとか可愛がるとかしなさいよ!」

「何を言っているんですか。素早くマウントを取って首根っこを押さえておかないと、逃げられるでしょうが」

「そうやってマウントを取って逃げられてるのが今のあんたでしょうが!」


 私の突っ込みに、ジョゼは反論できずに押し黙った。


「はあ……。それで、隷属契約を着けたあんたはそこから師匠に躾と称してどんな悪行を働いたの」

「……悪行とは失礼な。言うことを聞かない時にちょっとお仕置きをした程度ですよ。少し、私の作った薬や術を使ったこともありますけど、副作用のないものですし」

「十分な悪行ですありがとうございます」

「それ以来、私の前からたびたび隠れるようになって……」

「まあ、当然よね。自業自得だわ」


「私に見つかった時の怯えた様子が、何というか、もうゾクゾクするほど嗜虐心をそそるものですから困りました」

「やっぱりただのドSか!」


 おそらく恋愛なんて興味もないタイプだったのだろうけれど、最悪な方に拗らせてる。元々が力の優劣で決まる環境で生きていた男、自分が完全に相手を支配している感覚が優越感を刺激するのだ。

 それが本当に相手を支配できているかというと、また別の話だけれど。


「良かったわ、その後師匠が父上に引き取られて……。ていうか、あんたよく師匠を手放したわね。父上程度ならいくらでも言いくるめられたでしょうに」

「……その頃、巧斗がもう隠れるのもあきらめて、怒ったり笑ったりを一切しなくなりましてね。話しかけても何も言い返してくれないし、正直途方に暮れていたんです。……しかしダン様が来て、あなたの父親だと知ると、ようやく声を発して、笑顔を見せた」

「それで父上に預けようと?」

「私は他人をやり込めることしかできない。人を笑顔にするすべを知らない。今の状態では改善は見込めない。私にとっても巧斗にとっても、ダン様のところに行くのが一番良いと考えたんです」


 なるほど、この男なりに師匠のことをちゃんと考えていたようだ。だからこそ父上に『女神の加護』の話もきちんと伝えたのか。それをしておかないと、どんな輩に師匠を浚われるか分からない。


「直後に王宮に出仕したのも、師匠のためなんでしょ?」

「……『女神の加護』の件を機密にすべきだという話は、アイネル王にしなくてはいけないと思っていました。もちろんダン様経由でも良かったわけですが。……出仕した一番の理由は、王宮で高い地位に就けば、巧斗の動向を見ることもできるし、勝手に会いに行くこともできるからです」

「あら、正直。ふふん、認めるわけね、師匠を好きだって」

「……そういう認識ではなかったんですけどね、今まで。……巧斗は私の所有物で、それを陰から他人に取られないようにしていただけで……」


 その執着がすでに恋だろう。

 指摘するまでもなく、ジョゼは困惑した様子で視線を泳がせた。

 ギース兄様はジョゼが『女神の加護』を狙っていると言ったけれど、どちらかというと神条巧斗という人自体にやられているみたいだ。


「自覚したのなら、少しは師匠に優しくしたら? 今や師匠はあんたに会っただけで、恐怖で腕輪の燃料ゲージが満タンまで上がっちゃうくらいなのよ」

「……優しくなどと、やり方が分からない。それに、……私が近付くだけで巧斗は逃げるんですよ。その様子はたまらないのですが……本当は最近、直接的な意地悪は何もしていないんです。それでもニアミスをしただけで、彼の腕輪のゲージは跳ね上がる」

「あ、だから師匠の恐怖燃料は常にほぼフルゲージだったのね。まあ自業自得の極致だけど」


「……今の巧斗がどうしてあんなに穏やかなのか知っていますか? どんなクセのある人間でも、私よりは全然マシだという理由だそうです」

「ああ……はいはい、納得。ようやく腑に落ちた。そういうことかあ」


 とりあえず、ジョゼが思いの外師匠を好きなことは分かった。そして今の状態を楽しんでいるわけではないことも。


 過去に師匠にした悪行は腹立たしいが、本人に改善する意思があるのならまだ救いどころがある。


「関係を修復したいなら、まずは隷属契約を解消してあげなさいよ」

「……嫌です。そんなことをしたら接点が減ってしまうでしょう。どちらにしろ、巧斗はあれが隷属契約だと知りませんし。絶対服従は、いつも私が怪しげな術を掛けていると思っているだけですし」


 この男もいつもの不遜な態度に似合わず、自分に自信のない人間のようだ。人を手に入れるには、力尽くで繋ぎ止めておくしか方法がないと思っている。

 実際、今のジョゼでは師匠に逃げられてしまうだろう。


「……師匠との関係が改善できたら、隷属契約を外すつもりある? だったら、私も少し仲直りに協力してやってもいいわ」


 師匠がジョゼを恐れなくなり、隷属契約もなくなるなら、それが一番良い。そう考えて提案すると、ジョゼはしばらく逡巡した後、不承不承という感じで頷いた。


「もし、できるのなら……隷属契約は外します」

「分かった。約束よ。とりあえず今後、絶対服従の発動を禁止します。もちろんもう虐めちゃ駄目。あと、師匠と会う時は私を通してちょうだい」

「……分かりました」


 不満げではあるが、もう自分の手だけで状況を改善するのは不可能だと観念しているのだろう。

 わりと素直に受けたジョゼに溜飲を下げて、私は師匠の異世界生活を少し快適にできそうだと、ひとまず安堵した。

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