第21話 黒猫との遭遇
サラントに帰ってきてから数日、日本と比べると不便なことは多いけれど、やはり生まれ故郷、馴染むのは早かった。
領内ではドレスを着る必要が無いから、女性剣士用の服を着て歩く。動きやすくてとてもいい。住民もすっかり私のこの姿に慣れてしまって、令嬢というよりは街の用心棒みたいに扱ってくれるのが気楽だ。
忙しい父上に代わって、今日も領内を視察する。
本人の希望で私専属の近衛兵となった師匠がついてきてくれるから、街の困りごとなどはその場で大体解決できる。師匠の指導を受けたことがある民兵が街中には多くいて、みんな協力的なのだ。
「ミュリカ様、美味しい果物が採れたので食べていって下さい」
「お姉様のためにリボンを作りました! 着けてみてね!」
「うん、ありがとう」
そして男性に群がられる師匠と対照的に、なぜか私の周りには女の子が集まる。『神の御印』の力が「雄」寄りの能力だからなのかな。これはこれで嬉しい。
「サラントはいい街だな。まあ、総じて言えばアイネル王国がいい国なんだけど」
街の外れにある農場の辺りにまで脚を延ばして、広がる緑を眺めながら師匠がしみじみと言う。ふにゃんと微笑むこの表情にももう馴染んでしまった。
未だにジョゼに何をされてこうなったのか聞けていないけれど、その話を持ち出そうとするたびに師匠がガクブルし始めるので、結局そのままなのだ。
そのうちジョゼ本人を問いただそう。
「今の国王陛下は名君だからね。昔から治水をしたり、街同士の往来を活発にするために街道を舗装したり……。徴収した税金をわかりやすい形で国民に還元してくれるから人気が高いわ」
「上下水道も整備されてるしな。この国の技術って、ちょっと向こうの世界と似てる。言葉も、思わぬIT用語が通じたりするし」
「アイネルは日本と通じる扉を持っているから、向こうの知識が入りやすいの。技術を得るために留学する人間もいるし、偶然でこっちに落ちて来ちゃう向こうの人間もいる」
「へえ。他の国には向こうの世界と通じる扉はないんだ?」
「ううん。あるらしいよ。時々、異世界の人間が他国でも落ちてきたって話は聞く。ただ、その場所が判明していて、意図的に行き来できるのがアイネルだけなの」
「そういうことか。だからアイネルは文化度も農業や畜産のレベルも高い。……そうして培われた豊かさが、隣国にも狙われる理由かな」
そう話していた時、不意に農場の脇の茂みから視線を感じて、ちらりとそちらを見た。師匠も目線だけを動かして同じ場所を見る。
姿は見えなかったが、その気配に師匠が声を潜めた。
「……また来てるな」
「またって、よくいるの? 密偵か何か?」
「そうかもしれない。一度捕まえたことがあるが、黒猫だ」
「黒猫……。どこかの魔道士の使い魔かな。捕まえたのに逃がしちゃったの?」
「ああ、その頃の俺は使い魔の概念がなかったから。捕まえてみたら人懐っこいし、俺を引っ掻くような敵意も見せなかったし。そのまま放してしまった」
「ふうん……」
アイネルで使い魔を使役しているのは、以前国内を流浪していたジョゼくらいだ。そのジョゼも、王宮勤めではあまり使い魔の必要がないらしく、先日訪れたラボでも奥の部屋で自由にさせていた。
ちなみにあいつの使い魔はカラスだ。
ということは、この黒猫が使い魔だとしたら、確実にアイネルの魔道士のものではない。普通に考えて、隣国……ヴィアラント王国の魔道士の使い魔だろう。
「ちょっと捕まえてみるわ」
「俺も手を貸すか?」
「ううん、平気。この距離なら猫が逃げようと城壁に脚を掛けたあたりで追いつくから」
少し身軽にするために腰につけていた護身用の剣を師匠に預けると、私は身を翻して最初からトップスピードで猫のいる場所に突進した。
それに驚いた黒猫が慌てて逃げ出す。
成猫だ。赤い首輪をしている。人に飼われている猫であることは間違いない。
それを追って距離を詰める。私は城壁から木と壁を使って城外に逃げようとする猫にあっさりと追いついた。
よし、想定通り。その身体を後ろから捕まえる。
すると猫が牙をむいて思い切り暴れ出した。
「ちょ、師匠! 全然人懐っこくない! シャーシャー言ってるんだけど!」
「あれ、ほんとに? 俺の時は平気だったんだけどな」
後から来た師匠が、今にも引っ掻かれそうな私から慌てて猫を取り上げる、と。
……何故か猫がいきなりおとなしくなった。
何だろう、師匠のフェロモンは猫の雄にも効くんだろうか。
「突然のことでびっくりしたのかな? もう大丈夫みたいだ」
師匠の腕に抱き直されて、顎下をくすぐられた猫は、ごろごろと喉を鳴らしている。いや、これ明らかに態度が違うでしょ。
「この猫、もしかして師匠のこと見てたのかな」
「俺のこと見たって意味ないだろ。それにこの猫、いつも農場や牛舎でしか見ないよ」
「そうなの? じゃあ、何が目的なんだろ」
私はとりあえずその所属を確認しようと首輪を見た。そこに書かれている契約術式は難しいが、使役者名くらいは私でも読み取れる。
読み取れる、はず……。
そう思ったものの、首輪に書かれている術式は私の知らないものだった。
え? この猫、使い魔じゃない?
「なあ美由、捕まえたはいいけど、この猫をどうするつもりだ?」
「……連れて帰りましょう」
「館に?」
「館っていうか、王宮に送るわ。ジョゼに見てもらう」
術式の種類は専門家じゃないと分からない。この猫をあの男に見てもらうのが一番確実で手っ取り早い。
しかし、そう言うと師匠は困ったように眉尻を下げた。
「え……ジョゼに送るのは可哀想じゃないか……? どんな目に遭わされるか……」
「でも、正体が分からないことにはね。敵の使いなら放っておくわけにもいかないし」
「いや、だけど、前に放した時も特に何も問題はなかった。ほら、こんなにおとなしいんだぞ?」
師匠の腕の中の猫は、マタタビの匂いでも嗅いだように恍惚としている。これ、師匠のフェロモンにやられてるだけじゃないのか。
そして逆に考えると、この猫が『女神の加護』に選ばれるに足る、とても高い能力を持っているということになるのでは。
……これを放っていいものだろうか。
「美由……」
ああもう、おっさんのくせに、そんな叱られた子犬みたいな可愛い顔をしないで欲しい。
「……分かったわよ。その首輪だけ回収して、猫は放ってあげる」
「本当か!? 良かったなあ、お前! 次に捕まったらどうなるか分からないから、もう来るんじゃないぞ?」
黒い身体を両手で持ち上げて、師匠が正面から猫の顔をのぞき込んで語りかけた。それに猫が一鳴きしたけれど、分かっているのかいないのか。
「師匠、首輪取るから押さえておいて」
私が首輪に手を掛けると、我に返ったのか猫が嫌がって身を捩った。しかし師匠に爪を立てる気はないらしく、割とあっさりと外せる。
そこで、猫の雰囲気が明らかに変わった。
抵抗を止めた猫は、師匠に興味を失ったようにするりと腕をすり抜け、そのまま去って行ってしまったのだ。
まあ、こちらが普通の街猫の反応だ。
この首輪が、あの猫を操っていたのは明白だろう。
「館に戻りましょう、師匠。この首輪を早急に王都に送るわ」
「そうだな。あの猫を操っていた者の正体が判明するに越したことはない。ここにいた目的も分かるかもしれないし……」
「あまり大事にならないといいけどね」
そう言ったものの、大事になりそうな予感はひしひしとする。
この独特な術式はおそらくオリジナルだ。下位の貴族に作れるものではない。使用者は王族にゆかりのあるものか、よほど高位の貴族か。その術式が敵側に漏れたとなれば、ヴィアラント王国にとっては一大事のはずだ。
いきなり攻め込んでくることはないだろうが、何かアクションがある可能性はある。
一応父上にも話をして、もしバラルダに何かあればすぐに加勢に行ける準備をしておこう。
その日のうちにジョゼに宛てて早馬を飛ばし、私はそれから数日を緊張して過ごした。
それから四・五日経ったある日。
「ミュリカ、ジョゼ魔道士から書簡が届いてるぞ」
父上が私宛の書簡を持って、部屋にやってきた。
使用人に預けずに持ってきたのは、父上もその内容が気になるからだろう。
「ああ、ありがと父上……って、何コレ、分厚っ!」
封筒に入った書簡は、一センチくらいの厚みがある。開けてみると、手書きでみっちりと文章が書かれていた。
うわあ、読むのも大変そうだけど、これを数日で書き切ったジョゼもすごい。
「この間言ってた首輪の件だろう? ジョゼ魔道士は何て?」
「ちょっと待って……。ええと、首輪についてたのは、何か憑依系の術式っぽい。……使役者の名前も分かったみたい。何か、ミカゲっていう名前の人」
「ミカゲ!?」
術式の使役者の名前を読み上げると、父上がひどく驚いた声を上げた。
「知ってるの? 父上」
「いや、知ってるも何も……ミカゲは、ヴィアラント王国の皇嗣だ」
「へ!? 隣国の王子!?」
「今の国王はミカゲの兄だから、王弟にあたる男だよ」
「そ、そんな大物がサラントの領地に……!?」
これは、想像したよりもずっと大事かもしれない。
後に続くジョゼの書簡は、今後の対応を書いたもののようだ。
私は急いでそれに目を通した。
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