五章 メモリー 2—2


「たった……これだけ?」


 オニキスは、がらにもなく重々しく、うなずいてみせる。


「そう。これだけだ。この少し前、船にもっとも深刻なトラブルが起きた。おそらく、原子炉の事故だ。その直前までは、乗組員は減少しながらも、まだ数万人はいたんだ。

 それが、ある日をさかいに、最後の数十名を残し、全員、死亡リストに移行する。第一セクション——つまり、今、我々がいる、このあたり以外の船の七割を封鎖したのも、このときじゃないかと思う。数万人が生活するには、第一セクションだけでは不可能だからね」


「じゃあ、この二十人弱は、その災厄を乗りきった生き残りか」


「事故原因については、いずれ航行記録を調べてみなくちゃならん。今のところ、まだ、航行記録のファイルが見つからないんだ。なにしろ、膨大ぼうだいなデータなんでね。だが、おもしろいのはここからだ。君たち、このリストを見て何か気づかないか?」


 ジェイドは気づかなかった。

 が、EDはとっくに悟っていたらしい。

 そくざに答える。


「AからZだ。彼らの型式は、最初の一文字が、AからZに一人ずつ、わけられる。Q、Y、Zは最初の一文字ではないが、ドットのあとのサブ型式の頭文字が、それで始まっている」


 目で追うと、ほんとにそうなっていた。


(あれ? でも……)


 ジェイドは、あることを疑問に感じた。


 しかし、そのあいだにも、得意の絶頂になったオニキスが、Aから始まる生存者の型式をクリックした。


 とたんに、ジェイドは細かいことなんて、一時記憶のなかから、ふっとんだ。

 巨大スクリーンいっぱいに映ったAのプロフィール画像。

 アンバーだ。

 いや、オリジナルボディの、フランス人形のA——


「Aだ。これは、Aオリジナルじゃないか!」


 ジェイドは興奮して叫んだ。

 だが、どこか違う。

 この動き。この質感。この肌あい。

 AはAでも、バイオボディだ。

 エンジェルと同じ、バイオボディのA。

 エンジェルよりもう少し成長した、大人の体のA。


「待ってくれよ。これ、Aオリジナルじゃないのか? Aオリジナルがバイオボディだった、なんてことはないよな? だとしたら、バイオボディの……オリジナルヒューマンのA? でも、Aタイプと同じ顔してる」


「そうさ。Aだけじゃない。これはB。これはC。D。それに、E」


 オニキスは次々に、詳細データを切りかえていった。

 Eで止めると、そこにはブロンドにエメラルド色の瞳の、バイオボディのEが映しだされた。きれいな男だが、少し鼻持ちならない感じがする。


 さらに、オニキスは画面を変える。

 今度は、Jだ。

 ジェイドと同じ顔をした、黒髪に黒い瞳の男が無表情に立っている。武器を持ち、つねにあたりを警戒するふうで。


 ジェイドは頭の奥がガンガンするような衝撃を感じた。人工知能の集積回路が焼けそうに熱い。何か熱いかたまりが、そこからとびだしてきそうな……。


「ねえ、あなた、ジュンでしょ? ほんとに忘れてしまったの? わたし、アンジェリクよ」


 女の声がしたので、ふりかえる。

 アンジェリクが立っていた。


 ジュンが目をふせると、アンジェリクは歩みよってきて、ジュンの手をとる。ジュンは船内の見まわり中だ。あたりには二人のほか誰もいない。


「どうして返事をしてくれないの? わたし、あなたを忘れたことは一度もなかった。わたしたち、子どものころ、いつも肩をよせあっていたじゃない。つらかったけど、あなたがいてくれたから、わたし、耐えられたのよ」


 ジュンもアンジェリクも子どものころに親を亡くした。そのため、下層階級の人間が暮らすスラムで育った。


 たとえ宇宙船のなかでも、旅の途中でも、身分階級や差別は生まれる。そこに人間がいるかぎり。

 かぎられた資源しかない宇宙船のなかだからこそ、差別は激化していった。

 親のない子どもが生きるには、とても厳しい環境だった。


 だが、アンジェリクは運がよかった。

 とにかく、容姿がずばぬけて優れていたから。彼女の美貌に目をとめた貴族が、養女に迎えた。アンジェリクが七さいのときだ。


 あれから十五年。

 アンジェリクは華麗に咲きほこる薔薇ばらのように麗しく花ひらいた。


 ジュンの身にも、彼女がおどろくに足る変化があった。


「ジュン。あなた、AIコマンダーになったのね」


 ジュンの手をにぎるアンジェリクの手がふるえている。今にも泣きそうに、青い瞳がうるんでいた。


「……みなしごが生きていくには、そうするしかなかったんだ」


 アンジェリクが、ハッとしてジュンを見あげる。


「やっぱり、おぼえてるのね。わたしのこと、忘れたわけじゃなかったのね?」

「君を……忘れるわけがない」


「じゃあ、どうして、知らないふりを?」

「君は貴族だ。りっぱな配偶者もいる。おれには手の届かない人だ」

「そんなことない! そんなことで、わたしたちのすごした思い出が消えるわけじゃないもの」


 ジュンは首をふった。


 頭の奥がかすかに熱いのは、脳に埋めこまれた人工知能が、アンジェリクの言葉に乱れそうになる感情を抑制しているからだ。


 どんな場面でも感情に左右されることなく、冷静に敵を排除する戦闘のプロフェッショナル。

 戦うためだけに改造された、なかば機械、なかば生身の体。

 AIの命令で、人間の運動能力を最大限に生かすことができる、機械じかけのコマンダー。


 それが、今のジュンだ。


「ダメだよ。おれには……君を愛する資格はない。おれは、もう人間じゃないんだ。アンジェリク。彼の言ったとおりだよ」


 美しいアンジェリクの瞳から、美しい涙がこぼれる。


 アンジェリク。おれには涙を流すこともできないんだ。この冷たい機械の心になってしまった、おれには……。


「彼を愛しているの?」と、たずねてみる。


 彼女の答えはこうだ。


「エドガーのことは……嫌いじゃないわ」

「見ばえのいい男だね。貴族の御曹司だし、天才的なエンジニアだ」

「だけど、わたしが好きなのは、あなたなのよ」


 アンジェリクのくちびるがかさなってくる。

 甘い……くちびる。


「愛してるのよ。ジュン。わたしたちは、みんな、もうじき死ぬのよ。もういいじゃない。貴族だって、AIコマンダーだって、関係ない。一人残らず死ぬんだもの。わたしたちが愛しあって何がいけないの?」


 彼女を抱きしめたい。

 この腕で力いっぱい抱きしめ、二度と離したくない。

 子どものころのように、ひとつの毛布にくるまり、抱きあって眠ることができたなら……。


 しかし、ジュンが両腕を伸ばそうとしたとき、感情が抑制数値をこえてしまった。情熱は制御され、引き潮のように去っていく。

 冷静沈着な機械の心で、ジュンは自分が言いはなつのを聞いた。かすかに胸の奥を刺す痛みとともに。


「君はもう帰ったほうがいいね」

「ジュン——」

「さよなら。アンジェ。彼とお幸せに」


 アンジェリクは目を見ひらき、遠い過去の思い出がこわれていく音に耳をすましているかのようだった。


 ジュンは歩きだした。

 真に愛しい、たった一人の人を置き去りにして。


 何がお幸せに、だ。

 おれの脳ミソに電極をつっこんで、コンピューターなんか植えつけやがったのは、アイツの親父だぞ。

 おれを好きな女も抱けない、機械の体なんかにしちまったのは、アイツらなのに。

 あんなヤツら、みんな、みんな、死んじまえばいいんだ——


 ほんとは泣き叫びたいのに。

 いっそ機械だらけの自分の胸を引き裂いて、いやらしい配線を全部、ひきずりだしてしまいたいのに。

 それが、できない。


 ただ、いつまでも消えない胸の痛みが、かすかに尾をひいていた……。

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