一章 マーダー 1—5
「おれには君しかいないよ。君さえいれば、それでいいんだ」
うちひしがれてジェイドが言うと、アンバーは急に吐息をついた。ふりかえったときのアンバーの微笑を、ジェイドは忘れえない。
アンバーに対して自分の意見を押し通したのは、あれが最初で最後だった。
いつもはケンカのあと、折れてでるのはジェイドのほうだったのに。
(なんで、あんなに強情をはっちまっただろう? アンバーの願いなら、どんなことでも叶えてあげるんだった)
そう思うと、自分が腹立たしい。
ジェイドがため息をついていると、パールは唇をクシャクシャにした。
パールはフレーバーオイルを、ジェイドはスローリーをなめるようにチビチビやっているうちに、エヴァンの酔いがさめてきた。二、三度まぶたの開閉シャッターをあけしめしてから、ゆっくりと首をまわす。
「酔いつぶれた、らしいね。今日はもう、充分だ。また会おう。JA」
パールと並んでいるジェイドを見て、気をつかったのかもしれない。
ぎこちなくテーブルをおりたところで、ちょっとふりかえる。手首をガックン、ガックンさせながら、合図を送ってくる。
ジェイドは立ちあがって、エヴァンのそばに寄った。
近くに立つと、オイル浄化装置が、うまく働いていないらしく、エヴァンの口はオイルくさい。ボディーが完全につぶれでしまう前に、オイル詰まりで回路がオーバーヒートするほうが早いかもしれない。
エヴァンはオイルの匂いをプンプンさせて、ジェイドの耳元に口をよせた。彼に出せる最小ボリュームで、耳打ちしてくる。
「Pタイプだ、な。彼女なら、君には、つくしてくれる……だろうが、君は、それでいい、のか? もう一度、Aをさがし、てみればいい。どの街にも、二、三千人は、Aタイプが、いる、だ、ろ、う。パートナーをな……亡くしたAも、いるんじゃないか?」
ジェイドはパールの手前、エヴァンの肩をかかえて、そそくさとその場を離れた。
どうせ支払いもしなければならないので、出口に向かって歩きながら、
「Aタイプはメールタイプに人気があるからな。独り身でいることなんて、まずないさ。それに——」
配合権をとりあげられた半ポンコツの自分は、美しいAにふさわしくない——と、エヴァンに言うのは酷だろう。
「それに?」
変な角度で首をかしげるエヴァンに、ジェイドは言いわけした。
「どんなに大勢のAがいても、おれのAは、アンバーだから」
どことなく悲しげな目をして、エヴァンはうなずいた。
「しかたない……な」
カラカラとガイコツが骨を鳴らすように指をふってみせて、エヴァンは店の出入り口のゲートをくぐろうとする。
すばやく、ジェイドはゲート脇の精算機の上に、手首のIDをすべらせた。
「今日はこれから、どこへいくんだ?」
「よく晴れている。公園へ」
こうなってからのエヴァンは、ひなたぼっこが好きなのだ。コアからの人工灯のふりそそぐ公園で。
あまり活動しなければ、消費電力も少なくてすむし、あそこなら自分たち以外、存在していないかのようなアベックくらいしか行かない。誰にもジャマされず、ポンコツのエヴァンでも、ノンビリすごすことができる。
「それがいいよ。じゃあ、また、エヴァン」
エヴァンは片手を骨ふりダンスみたいに揺らしながら、去っていった。
「あの人、いつも同じこと言うのね。しかたないのはわかってるけど。あたしのこと覚えられないのね」
テーブルに帰ると、パールは優しく笑っていた。
いつものことだから、あたしは慣れてるのよ、と言いたげに。
「新規記憶ファイルが保存できないからね。許してやってよ。おれには大切な友達なんだ」
「いいのよ。あたしもAのチップを持ってるもの。Eには好意を感じる。エヴァンはかわいそう」
「昔は、そりゃあ、かっこよかったんだぜ」
「わかるわ。でも、ジェイド。あたしは、あなたのほうがステキだと思う。エヴァンも帰ったし、どう?」
パールの体からはローズの香りがただよっていた。三時間は持続する。
「そうだな。君のうちに行こうか」
ジェイドも酔いがまわってきた。半分、眠っているような、いい心地になってくる。
ジェイドはパールと二人で外へ出た。エヴァンのあとを追うように。
二人のオイル循環器をつないで、オイルを循環させあうのだ。
エヴァンみたいな特殊な例外をのぞけば、オイルを燃焼させる火力発電に頼っている人間なんて、今時いない。
オイルは通常、関節の動きをなめらかにするためや、内部機器から熱を吸いとり、外部に発散させるために、体内を循環させている。
冷却装置で低温にした不凍性のオイルを、まず大切なAIなどのまわりに流し、あったまったオイルは気管の近くへ集められる。呼吸をすることによって、その熱を外気に逃がす。
オイルは体内に入りこんだホコリを排出するときにも使う。洗浄に使ったオイルはオイル浄化装置でクリーンにする。わずかに残る汚れは調整機で分解だ。
もっと、てっとりばやいのは、誰かとオイル交換することだ。
基本タイプの異なる個体は、オイル浄化装置で分解できる成分が違うのだ。
二人のオイルをまぜあって、循環させるときの恍惚は、ほかの何にもかえがたい。
普通、オイル交換は、たがいを再生しあうパートナーとおこなう。
そういう相手を伴侶と言い、それ以外のパートナーは、伴侶とは言わない。
ジェイドも以前は、正式な伴侶であったアンバーとしか、オイル交換をしたことがなかった。
アンバーは、ほんとのところ、どうだったかわからない。
ジェイドはパーツ探しで留守にすることが多かった。
ことによると、ジェイドがいないあいだ……ということはあったかもしれない。
ジェイドの前では、そんなそぶりはなかったから、ジェイドはアンバーを信じていたが。
(オイル……琥珀色の……)
床いちめんに広がっていた、アンバーの琥珀色のオイルを、一瞬、思いだして、ジェイドは首をふった。
「ジェイド……?」
不安げなパールに、
「なんでもない。まだ、そのへんにエヴァンがいるかもな。なにしろ、スローリーを三ばい飲んでるからさ。その前にも、なんか飲んでるはずだし」
「クィックだったら悪酔いしちゃうわよ」
「いや。あの感じなら、トリッキーかな。いつにもまして動きがチグハグだった。見かけたら公園まで運んどいてやろうか」
「いいけど。急いでね」
なまめかしい微笑は、ハッとするほどアンバーを思いださせる。
思わず、ジェイドが立ちすくんだときだ。
悲鳴が聞こえた。
男の声——エヴァンだ。
「エヴァンッ?」
声のしたほうへ、ジェイドは走りだした。
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