一章 マーダー 1—3
店内はイルミネーションがめまぐるしく点滅して、光の波長を青から赤へ、赤から緑へひっきりなしに変えている。
時間は早いが客も集まっていた。長いこと流行していたスケルトンボディーにまじって、最近流行の動物の角や、蝶や鳥の羽を模した装飾パーツをとりつけた連中が、ちらほら目につく。
酒場のなかは、ちょっとした動物園だ。
カウンターで、ジェイドはトリックオイルを二つ頼んだ。
トリックオイルにもいろいろあるが、回路を流れる電流速度を遅くしてくれる、スローリーだ。
カウンターに座ってスローリーを飲むと、エヴァンのまなざしに知性が戻ってきた。
エヴァンは、おもに演算装置と記憶装置が失われたので、通常の速度でAIが働くと処理しきれなくなってしまう。伝達速度をゆるめたほうが、むしろ残りの集積回路をまともに働かせることができるのだ。
「ああ……JAか」
「うん。もう一杯いる?」
「もらおうか」
と言って、エヴァンは口を左右に細長くひらいた。人工皮膚がないのでわかりづらいが、微笑したのだろう。
「また、アンバーの、夢を、みたのだな?」
のろくさい、とぎれとぎれの口調で、エヴァンは言った。
「うん。わかるかな」
「わかるさ。泣いた、あとが、ある」
ジェイドは親指で頬をぬぐった。たしかにオイルが指につく。考えごとをしてたから、ふいてくるのを忘れていた。ジェイドはシャツの袖で急いで頬をふきながら、言いわけをする。
「考えこんじまってさ」
「なにを?」
アンバーは誰かに殺されたんじゃないかという疑問は、アンバーが死んだあと、エヴァンには打ちあけてある。
エヴァンは、その部分の記憶装置が失われてしまったので、忘れているのだ。
そして、一時記憶をためておくハードディスクは、調整機が使用できないから、いつでも満杯だ。
つまり、短期記憶がない。
エヴァンには今、自分が何をしているのかさえ、よくわかっていないのだ。
エヴァンが最近のことだと思っている記憶は、すべて七十年前の事故の直後だ。
だから、アンバーの死の疑問を、何度、ジェイドが教えても、その場で忘れてしまう。
それでもエヴァンの問いに答えないのは、あまりにも彼を侮辱している気がする。これまで何度もそうしたように、ジェイドは今度も丁寧に説明した。
エヴァンはジェイドが話しているあいだ、二杯めのスローリーを飲んでいたが、なんとなく物思うようすに見えた。いや、何かを思いだそうとするのだが、損なわれた記憶装置が追いつかないのでイラだっているのだ。
この話をするときのエヴァンは、決まって同じ反応をする。
「エヴァン、もう、よそうか?」
関節のガタついた手で握りこぶしを作って、カウンターをたたきだしたので、ジェイドは聞いてみた。
カウンターは分厚いチタンだから、傷つけることはない。
だが、エヴァンが自分で直した手のほうが、ポロリと落ちてしまうのではないかと心配だ。
「エヴァン」
「思いだせない! 私は、君に伝え、なければならない、ことが……あったのに」
「いいんだ。もういいんだ。な、もう一杯、飲めよ」
二人のほうを白い目で見ているマスターのHに、ドリンクのおかわりを注文して、ジェイドはあわててエヴァンの口につっこんだ。
ちょっと乱暴だった。
スローリーを立て続けに三杯も飲んだエヴァンは、AIの働きが停止寸前になって、カウンターにつっぷした。
「店内でもめごとはお断りだよ」
Hが赤外線スコープの赤い目を、ピカピカ光らせてにらんでくる。光スコープでも充分、見えるのに、わざわざ赤い目でおどしているのだ。
ジェイドはマスターが基本タイプHであることしか知らないが、商才にたけているのは、決まってこのHタイプだ。
「わかってる。もめてるんじゃない」
ジェイドはHが、ひんぱんに彼の店にまぎれこんでくるエヴァンを——ポンコツのエヴァンを——快く思っていないことを知っている。
かくいうジェイド自身も、感情抑制装置が傷ついたとき、分身権と配合権をとりあげられた、半ポンコツだ。
Hは機会さえあれば、ジェイドともども二人を出入り禁止にしてやろうという気でいるのだ。
「そうかい? 言い争ってるように見えたがね」
「あんた、目玉つけかえな。故障してるんだよ」
Hはムスリと黙りこんだ。故障してるのはオマエらだと言いたいところを、ぐっとこらえるふうで。
ジェイドは片手にグラス、片手にエヴァンをかかえて席を移った。
Hのいるところでは、落ちついてオイルも飲めやしない。どこかに空席はないかと目で探していると、奥のほうで女の細い腕が上がった。
「ジェイド。こっちに来ない?」
パールだ。ジェイドの数少ない友人、その二である。
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