レスポールの残像
初めて、一人で新幹線に乗った。
流石に新幹線で乗り物酔いはしないけど、保険も兼ねて窓際の指定席を買った。
頬杖ついて、冬なのか春なのかわかりにくい三月の風景を眺めていたら、乗り換えまであっという間だった。慌てて荷物棚からスーツケースを回収する。思ったより奥にいっていて、隣の席のおじさんに手伝ってもらってしまった。
おじさんにお礼を言って、わたわたと下車する。おじさん、昼なのにお酒飲んで、すごく幸せそうに、スマホで写真を見ていた。あの人はどこまで行くんだろう。
乗り換えのため、駅の中をちょっと歩く。地元では一番大きな駅だけど、なんだかあまり懐かしい感じはしない。まあ、こういったところで遊ぶようになる前に引きこもってしまったのでしょうがない。そして、記憶の中より人々の往来が少ない気がする。こんなもんだっけ。
少しぼんやりとしてしまったが、乗り換えの為に、改めて在来線のホームへ向かう。ホームへ続く階段を降りると、丁度電車が出発したところだった。
「わぁー車両数少な。ちょっと可愛い」
呑気に感想を独り言ちたが、電光掲示板に表示される次の発車時間が目に入った。
(うげ、15分待ちか、微妙すぎる……)
さっき駅の中でぼんやりしてなければ、前の電車に乗れたのか! 完全に油断していた。
どうしよ、とりあえず座ろうかな。
ホームを少し歩いて、備え付けのベンチに腰を下ろす。プリーツの入ったロングスカートと、タイツを貫通して木製の座面がひんやりする。ちべたい。
トレンチコートのポケットからスマホを取り出して、駅のホームから写真を一枚撮る。そのまま静音達とのグループチャットに、ヘドバンするネコのスタンプと共に送信した。
『地元ついたー!』
一言メッセージを送ると、すぐに画面を閉じてしまう。ヘッドホンを繋いでいるから、電池の減りが早いんだ、節約節約。そう自分に言い訳する。
三月下旬、進級を前に一度実家に帰省することにした。これからの進路とか、色々話さなければいけないことがたくさんあった。
両親とも気をつかって、祖父の家まで来ようかと言っていたが、それは断った。一度、高校を卒業する前に『今』のわたしで地元を見てみたいと思ったから。
実を言えば、少し緊張している。
あの頃の自分とは、見た目は完全に別人だ。この街は、男の子だった頃のわたししか知らない。
髪はすっかり伸びたし、メイクも覚えた。
貧相なのは否めないけど体つきはすっかり女性だし、洋服も女物を選んできた。
たぶん、誰もわたしに気づかないだろう。
自分にそう言い聞かせても、スマホを握る手は汗ばみ始めていた。
この街は、わたしが生まれ育った場所で、傷つけられた場所だ。いい思い出と、悪い思い出、どちらもたくさんあった。
(やっば、山めっちゃ近い。思ってたよりクソ田舎じゃん)
実家からの最寄駅の改札を抜けると、やはり記憶より随分と近いところに山がそびえていた。なんだか、久しぶりすぎて、距離感とかスケール感がおかしくなっているのかもしれない。
駅前のロータリーから、この街を貫く目抜き通りが続いているが人通りは少ない。それなのに、自動車はひっきりなしに行き交っている。完全に車社会だ。
——わたし、早生まれだから来年まで免許取れないのか、勿体無い。
ふとそんなことを思った。
駅から家まで、徒歩で15分ほど。新幹線を降りてから、乗り換えやら何やらで結構時間がかかった。確かにこれじゃ車社会になるのも頷ける、絶妙に不便だ。
そういや、近所に原付で登校している高校生のお兄さんが住んでたっけ。自分が高校生になった今、ちょっと憧れる。あれ、スカートはどうするんだろ。絶対風で捲れるよな。
舗装のひび割れた道をどこかフワフワした足取りで歩く。とても懐かしいような、何も変わっていないような街並み。でも、真新しい建物や、知らない道が出来ていたりして、少し切なくなる。変わらないものなんてない、ありふれた言葉が急にリアリティを持つ。勝手知った街なのに、そこはかとない疎外感を感じる。
「うわっ、このお店なくなったんだ……」
小さい頃、よく駄菓子を買っていた個人商店が、古びたシャッターを下ろしている。確か、中学に上がるまで営業していたので、わたしが引きこもってから閉店したんだろう。駄目押しの切なさが胸に満ちた。
「た、ただいまー」
ようやくたどり着いた実家の玄関を開けると、鋳造のベルの音がなった。こんなの付けたんだ。
街並みを確かめるように、寄り道を繰り返したせいで大分時間がかかった。赤いジャックパーセルに収まった足が熱を持っている。
「あら、おかえりなさい。結構かかったわね」
廊下の奥から、お母さんが顔を出す。
ああ、そっか。やっぱりわたし、この家で育ったんだ。
昔から変わらないこのやりとりに、ひどく安心した。
「なんだか、すごく久しぶりに帰ってきた気分」
部屋に荷物を置いて、懐かしの我が家のリビングで寛ぐ。少し遅めのお昼ご飯は、懐かしい味の焼きそばだった。お母さんが淹れてくれたコーヒーを、お母さんと一緒に飲む。三月のぼんやりとした陽光が差し込むリビングは、すこし眠たい雰囲気が漂っている。
「そうねえ。ここでこうやってゆっくりするのもいつぶりかしら」
「えーと、四、五年? そんなに経つ? ウソでしょ」
残酷すぎる時間の経過にゾッとした。それと同時に、両親に対する罪悪感。
「結構ドタバタしたものねぇ。でも、またこうやって帰ってきてくれて嬉しいわ」
本当に、時間がかかってしまった気がするけど、こうやって帰ってこれた。思ったより簡単で拍子抜けした。うじうじしていた自分が情けない。そうだ、今のうちに、聞けること、話すこと、まずはお母さんに伝えてみよう。
タイミングを計るために、コーヒーで唇を湿らせた。
「お、お母さんはさ、わたしが女になって、嫌じゃなかった……?」
ついに、訊いてしまった。それとない感じを装っているけど、心臓はばくばくいっているし、指先はピリピリ痺れるようだ。
恐る恐るお母さんを横目で見ると、なんだか呆れるような、遠くを見るような顔をしている。
「そうねえ……今となっては、性別なんて些細な問題よ。お母さんたちは、優有が生きていてくれるだけで十分だもの。贅沢は言わないわ」
なんとなく、なんとなく予想していた通りの返事だった。わたしは何度か死にかけた。病気で、自分の手で。その度に、両親にはどれだけの負担を強いてしまっただろう。どんな性別でも、夫婦二人の子供だということに変わらないと、お母さんの目は語っている。
「それに、あなたなんだかんだ女の子楽しんでるじゃない。可愛らしい服着ちゃって、髪もいい感じね。自分でしたの?」
「えっ、うん。自分でやってる」
「昔から器用だったものねぇ。あら、ピアス増やした? 程々にしなさいよ、私穴だらけな優有は嫌だからね?」
髪を編み込んで、耳を出しているせいで増やしたピアスが見つかってしまった。
ちょっと、気づいて欲しかったのはあるが、いらぬ心配をさせてしまっただろうか。
「だ、大丈夫だよ……あはは……」
実はもうちょっとだけ増やしたいのは黙っておこう。
「あ、あと、わたしさ、高校卒業したらこっちに帰ろうと思ってる」
話題を変えようと、今後の考えを切り出す。
「……もうそんな時期なのねぇ。何か考えてるんでしょ……?」
お母さんは形のいい指でコーヒーカップを包み、窓の外を眺めながら呟いた。
今日と明日、二泊の予定で帰省することを伝えていたが、その目的は連絡していない。それでも、わたしが何のために帰ってきたか、察しているようだった。
「うん……。お父さん帰ってきたら、もう一度話すね」
「え、暇。めっちゃ暇じゃん。どうしようこれ」
自分の部屋のベッドに横たわり、見慣れていたはずの天井に向けて呟く。
お父さんは夜まで帰ってこないし、絶妙に暇ができてしまった。でも、スマホをいじって時間を潰すのもなんか違う気がする。
あ、そうだ。チャリ乗りたい。しばらく乗ってないし、気晴らしになるかも。思い立ったが吉日、レッツゴー。
コートをはおり、部屋を飛び出す。
「おかあさーん、チャリかーしてー」
階段を滑るように降りながら問いかけると、ころころと笑いながら了承の返事があった。パパッとジャックパーセルをつっかけ、自転車の鍵をひったくり外に出た。車のいないカーポートの隅に置いてある緑のママチャリに取り付くと、早速サドルの高さを調節する。残念ながらわたしお母さんよりチビなんです。
昔から家にあった自転車だが、ペダルは快調そのものだ。タイヤも真新しいので、多分お父さんがこまめにメンテナンスしているんだろう。何気にライトも電池式の物に交換されている。ダイナモ発電のみーみーいう音も嫌いじゃないんだけどなあ。わたしはご機嫌で住宅街を飛び出した。
「ヒー! イズ! ザーペインキーラー! ディス! イズ! ザーペインキーラー! いやー……」
いやなんか違うな。メタルの気分じゃない。
やっぱりチャリ乗ってる時は青臭いのがいいなあ。
「イフユリスーニング、ウォーオーオーオオオー デーデーデッデデーデデー……シンギットバック、ウォーオーオーオーオー!」
最高じゃん。生まれる前の曲だけどエモの極みですわ。須藤先生に言ったらドヤされそうだけど。
しばらく自転車を漕げば、すぐに川沿いの長閑な田舎道に出る。久方ぶりの自転車は存外に楽しく、まだ冷たい風を切るのもむしろ心地良い。思わず歌い出してしまった。誰もいない田舎道の特権だ。思う存分歌っても咎める人なんていない、いつのまにか歌と身振りに熱が入っていった。
立ち漕ぎになり、大げさなアクセントで歌い出した途端。
「あかいきーせつ到来告げて! いまーおーれのまーえにあーるー!?」
——凄い勢いでガチ装備のチャリダー数人がわたしを追い抜いていった……。
驚きと恥ずかしさで心臓が止まりそうになる。おい待てよ最後の人少し笑ってなかった? 全身タイツみたいな格好でふざけやがって……。
「あっあっ、恥ずっ……かし……っ!! あー、帰るかぁ……」
立ち漕ぎの姿勢のまま漕ぐのをやめた。
わたしはどんどん減速していく。川沿いの少し湿った風が足の間を抜けていった。
興を削がれてしまった。まあ、堂々と歌い出してしまった自分が悪いのだけど、穴があったら入りたい。この川の浅瀬にはアメリカザリガニとかドジョウがたくさんいる。わたしも仲間にいれてくれ、みじめすぎる。
川沿いの道を逸れると、家に続く道を走り始めた。
「ルックアットザスターズ、ルックハウゼイシャインフォーユー……」
小声でも歌うのをやめられない。そういえば、一人遊びをするときはずっと独り言をいったり歌ってたっけ。だから友達少なかったのか。
恥ずかしさのもやもやは残っているけど、なんだか妙にスッキリしている。あー、なんだかんだわたし、こういう一人の時間好きなんだなぁ。そうだ、コンビニ寄って帰ろう。わたしは思考を散らかしながら帰路についた。
****
ジンジャーエールと激辛スナックは夜に取っておくとして、アメリカンドッグは今食べちゃおう。それにしても、このケチャップとマスタードの容器を考えた人は天才だと思う。
家からほど近いコンビニの軒下で、行き交う車を眺めながら軽食をとる。派手な改造を施したバイクが何台か、下品な音をたてて走っていく。
「珍走団じゃん、うるせー」
「まだ生き残ってんだよね、田舎だからさー」「うぇっ!?」
なになになにびっくりした! 急に声をかけられた? 誰に!?
飛び跳ねるように右を見ると、知らない女の人がニコニコ微笑んでいる。いやさっきまで誰もいなかったでしょ怖い。わたしより頭一つ分背が高い女性。タイトなデニムに濃いグレーのスウェットを着ていて、明るい茶髪は一つ結びにしてまとめている。眠たげな表情はなんだか狐っぽい。というか、なんでわたしに声を? 無意識に呟いてた?
あっでもなんか年近そう……。
「きみ、ほっぺにケチャップついてるよ」
「えっ、わっマジかっ、いや、すみません……!」
突然の指摘に動揺してしまい、指で頬を拭ってしまった。これじゃ二次被害だ。
横目でチラチラ盗み見すると、素性の知れないこの人はいまだ右隣でニコニコしている。
「さっきなんか歌ってたでしょ。英語の発音ヤバイね」
「へ……?」
今、なんと?
「ふぇっ!? えっあっその!! ……んんぁああ!!」
わたし、恥ずか死にます。
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