アニメソングと夢咲く少女。
傘木咲華
プロローグ
プロローグ
アニメソング――アニソンとは、生きる上で必要不可欠なものだ。
と言ったら、誰もが大袈裟だと思うだろう。でも、
十月上旬。今日は行隆が通う
行隆は今日という日を心待ちにしていた。声優アーティスト、
しかし行隆は今、体育館の中にいる。並べられたパイプ椅子の五列目という、なかなかに良い席でその時を待っていた。携帯電話の電源は早々に切り、ペンライトを片手に持って準備は万端。開演前のBGMとして鈴葉の曲が流れていたため、自然とテンションと緊張も昂っていく。
――しかし。
視線を右に移すと、少々目触りなものがちらついた。
(この人、本当に鈴葉さんのファンなのかな……)
思わず、眉間にしわが寄り、低い唸り声が漏れそうになる。が、なんとか堪えた。
右隣に座る人物は、紺色のワンピースタイプのセーラー服で、袖部分とネクタイは赤色の道ヶ丘高の制服に身を包んだ女子生徒だった。浅黄色の肩にかかるくらいのセミロングの髪に、左耳を出して留めている赤いヘアピンが印象的な彼女の視線の先に、行隆は唖然としてしまう。あと数分で始まるというのに、彼女は携帯電話をじっと見つめていたのだ。いや、周りにはちらほら携帯電話を見ている人もいる。しかし、彼女の場合は携帯電話の画面に釘付けすぎるのだ。携帯電話よりも今から始まるライブに集中すべきだと思うのだが、彼女は本当に鈴葉に興味があるのだろうか。行隆の頭はぐるぐる回る。今日のイベントは学生と一般客の割合が半々で、学生は無料だが整理券が必要だ。鈴葉を知らない人がわざわざ整理券をゲットするのだろうか。わからなくて、行隆は心の中で首を傾げた。
すると、流れていたBGMが止まり、体育館の明かりも消えた。途端に行隆を含む観客は立ち上がり、「フウウウゥ!」と歓声を上げる。隣の女生徒も慌てて立ち上がっていた。
「皆、ただいま! 瀬名川鈴葉が母校に帰ってきたよーっ!」
姿を現す前に、鈴葉の声が響き渡る。観客の歓声がますます大きくなり、体育館中を緑色の光が包み込んだ。行隆も当然のように緑色のペンライトを振りかざす。
「まずは私のデビュー曲を聴いてください。
曲のイントロが流れると同時に、鈴葉がステージに現れた。緑色のリボンでポニーテールにした栗色の髪。優しさに溢れるタレ目も、格好良い曲調に引っ張られてか鋭く見えた。
無我夢中で腕を振り上げながら、行隆は鈴葉をじっと見つめる。ステージに立ったばかりで緊張しているのか、鈴葉は何度も瞬きを繰り返していた。肉眼で表情までわかってしまう近さは初めてで、無意識に口が開いてしまう。やはりこれは夢なのではないかと錯覚してしまう程、行隆は幸せの真っ只中にいるのだ。
でも、やっぱり、これは夢ではない。
やがて行隆の耳に飛び込んできた歌声で、徐々に「これは現実なんだ」という気分になってくる。CDで聴くのと同じくらい――いや、それ以上と言っても良いだろう。可愛らしい声なのに力強く、どこまでも響き渡る歌声が耳に心地良い。たった三歳年上なだけなのに、どうしてここまでのオーラがあるのだろうと不思議に思う。きっと、初めて鈴葉のステージ見た人でも鈴葉ワールドに引き込まれてしまうのだろう。
そう、例えば隣の席の女子だって――。
(えっ……あ……)
ひっそりと隣を確認すると、行隆の想像とは少し違った光景が広がっていた。「本当に鈴葉さんのファンなのか」と疑ってしまったのが申し訳ない程、彼女は盛り上がっていたのだ。
「はい! はい! はい!」
彼女は周りにつられるようにして、コールをしながら腕を振り上げている。手にはもちろん緑色に光るペンライト。そして表情は、感動しているのか、興奮しているのか、心の底から楽しんでいるのか。とにかく満面の笑みで鈴葉を見つめていた。もしかしたら、彼女も自分と同じ気持ちなのかも知れない。そう思うと、行隆の心は自然と軽くなっていった。
そうだ。そうなのだ。これだからライブはやめられないのだ。
行隆はすぐに前を向き、隣の女子に負けないようにコールをしながら腕を振るう。ライブというのは、同じものを見つめて、同じことを感じて、皆で盛り上がるものだ。学園祭では通常のライブとは勝手が違うし、盛り上がりに欠けると思っていた。でも、最初は興味なさそうに見えた彼女も予想以上に楽しそうにしている。なんだか嬉しくなって、行隆はこれからの時間をますます夢中になって過ごした。
と言っても、今回はライブではなく「ミニライブ&トークショー」だ。二曲歌ってMCをはさみ、また二曲歌ってライブコーナーは終わってしまった。「早いなぁ」なんて思いながらも、行隆はすでに汗だく状態。短いからといって張り切りすぎた結果がこれである。
その後のトークショーでは主に道ヶ丘高の話をしていた。鈴葉が「ただいま」と言って登場したのは、鈴葉が道ヶ丘高の卒業生であるからなのだ。「私以外にも、道ヶ丘高から声優やアニソン歌手になる人が出てきたら良いなぁ」と鈴葉が言っていたが、行隆としては他人事のように思うことしかできなかった。行隆には小学生の頃からライトノベル作家になるという夢があるのだ。まぁ、高校生になった今でもまったく成果が表れない訳だが。
自分の夢のことを考えてしまって一瞬暗い気持ちになってしまったが、すぐに忘れて鈴葉の話に夢中になった。こんなにも間近で鈴葉を見られることなんてないと、行隆はトークショーが終わる最後の最後までじっと見つめ続けていた。
しかし、楽しい時間が過ぎるのはあっという間なものだ。気が付いた時には、
「今日はありがとう。また戻ってくるね!」
と、手を振ってステージから去っていってしまった。
普通のライブよりも短いのだから、仕方のない話だろう。でも、確実に記憶に残るイベントになるだろうと思った。学園祭で鈴葉を間近に見られたこと。隣の女子が予想以上に楽しそうにしていたことも含めて。帰り際に彼女の様子を見てみると、放心状態で席に座ったままだった。さすがに疲れてしまったのだろうか。そのくらいはしゃいでくれたのなら、行隆としても嬉しいことだ。
自分だけではない。聴いた皆を至福の時間へと導く。
そんなアニソンが大好きだと、やはり行隆は断言していた。
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