【1巻/第五話】第五話 ヤマタノオロチ、いただきます その7


    7


 その日、《わにづら》では昼ごろから《らんどう》の出張食堂が開かれることと相成った。

 まずは脳を潰したウナギの下処理である。最初に首を落とし、再生が始まる前に血抜きをする。血液がなくなれば、PACの効果は消えたも同然。八又の分岐点で胴体を切り分け、それぞれを三枚に下ろす。とはいっても、それだけで重労働である。カクタスの戦車が半身を持ち上げつつ、骨と身の間にヤシギが長剣を滑らせた。

 ウカと《漁師ピスカトール》は粘膜のヌメリとり。身体からだしびれないという理由で、見物をしていたルアンまでもが協力に駆り出される。その間、リコはリブラリウスのもとへ行き、木刀を片手に瞬間はつこうしよう酵母を作れと脅迫。一時間の猶予を与えたら、今度は原料となる大豆の確保に向かう。これはルアンとのピクニックを参考に、《わにづら》中の栄養粉末を集めた。正直なところ、大豆の他に何が入っているか分かったものではないが、化け物のようなウナギを食べる時点で、もはや葛藤が生まれるはずもない。リブラリウスの奮闘により、本当に一時間ほどで新型酵母は出来上がり、しようづくりは成功。砂糖や酒を混ぜ合わせ、たる一つ分のタレが完成する。

 材料集めに限らず、鰻のかば焼きを作るための燃料を募集したところ、《わにづら》の住民たちが続々と炭を持ち寄ってきてくれた。無論、鰻のかば焼きがタダで食べられるとあって、そのちょっとしたお礼のようなものである。

 鰻の串は鉄パイプ。カクタスを中心になんとか串打ちを終え、いよいよ太陽が天高く昇る頃、が始まった。大きさは一つの串で一畳ほど、厚さは三十センチ弱もある。ウカの号令のもと、それをひっくり返せ、これにタレをれ、あっちに炭を追加しろと、もはや住民たちまで動員して、ウナギを焼く、焼く、焼く。《わにづら》にはたまらなく食欲をそそるしようと脂の焦げた香りが立ち上り、岩壁の奥の方に引きこもっていた者も、匂いにつられてやってきた。

 出来上がったら熱々のうちに切り分けて、訪れる客に配ってゆく。一度もらった者は、カンナの監視によって全てチェックされ、重複は禁止。できる限り多くの人にヤマタノオロチを味わってもらおうと、《らんどう》の出張食堂は何時間も奮闘を続けた。

 やがて《わにづら》の岸壁では自然とうなぎまつりが始まってゆく。全ての人がうなぎしたつづみを打ち、どこからか酒を取り出しては白昼堂々うたげを始めた。いつもは商売敵の隣人も、今日は同じかば焼きを食った仲である。うまい、うまい、と叫ぶ声が、ひっきりなしにウカたちのもとへ届き続ける。ヤシギも、カクタスも、合間を縫ってうなぎをかじり、《漁師ピスカトール》もまたリコに押し付けられたうなぎを渋々食べた。しかし、一口食べた後の感動に震える表情を見て、一同が暖かな笑いに包まれたことは言うまでもない。

 そして、結局リコが鰻の焼きから解放されたのは、客もほとんどいなくなった昼遅く。ヤマタノオロチとの戦いよりも、かば焼きづくりの方がよっぽど身体からだを酷使した。人込みを離れ、港の桟橋に腰を下ろすと全身が鉛を入れたように重い。

「──リコちゃん、お疲れ様」

 隣に座ったのは、白いエプロンをすすで汚したウカ親方。もはや彼女の役目も終わったのだろう。その手には二人分の鰻のかば焼きを乗せた皿があった。

「はい、こっちの大きいのがリコちゃんの分ね」

「……ここまで大きいと、やっぱりウナギに見えないな」

 包み紙から軽くあふれる特大サイズ。お客に配っているものの三倍ほどあるのは、役得ということだろう。見た目は巨大な肉の塊といった印象なのだが、手に持った感触は驚くほど柔らかい。熱々の湯気と共に膨らむタレと炭の香りに、あやうく溺れそうになる。

「いただきます」

「召し上がれ」

 もう、空腹は最高潮に達していた。リコは思い切り口を開いて、ガブリ。たちまちあふる肉汁に火傷やけどしそうになりながら、それでも思わず、二口目、三口目と続いてしまう。ガブリ、ガブリ、もっしゃもっしゃと、呼吸をするのも忘れてウナギをらう。そして、早速半分ほどを平らげてようやく、海に向かって叫んだ。


「おいし──────────いっ!」


 リコはいきと共に、もう一度、「これ、本当においしいよ……」と繰り返す。

「身がふわっふわで、外はパリッパリ! 脂がたっぷりなのに、全然飽きない! それにさ、さんしようの爽やかな香りが絶妙に甘いタレを引き締めてる。よくこんなの見つけたな!」

「それ、さんしようはかけてないよ?」

「え」

「たぶんね、《漁師ピスカトール》が漁で使った花椒ホアジャオの風味だと思う。ヌメリは出来る限りとったけど、粘膜質に海水がたっぷりんでいたから」

「……すごいな。完璧な味のバランスだぞ」

「それはもちろん腕がいいから……って言いたいところだけれど、今回ばかりは運がよかったね。皆の協力がなかったら、こんなにおいしくできなかったし。──あ、ただ、他の人の鰻よりも、この鰻の方が美味おいしいっていうのは、わたしのおかげだからね」

「……どういう意味だ?」

「ヤマタノオロチって八つの首があったけれど、よく見たら四つだけ婚姻色だったの。産卵のために成熟した、一番おいしい状態ってことね」

「子供のウナギと、大人のウナギが一緒になっていたってことか? しかも、それが同じ個体なんだよな。意味が分からない」

「まあ、確かにどうしてあんな形になったかは分からないけど、《漁師ピスカトール》が言うには、案外合理的なんだって。普通、ウナギは一度産卵すると体力を消耗して死んじゃうの。どんなに長生きして成長しても、繁殖回数は変わらない。でも、半分ずつ産卵して体力を温存すれば、長生きしつつ、繁殖回数も増やせる。PACがあるからこその強引なやり方だけどねー」

「ほんと、人間なんかより、よっぽどしぶといよな」

 リコは感心すると共に、またガブリ。このあふれんばかりの脂はウカのきのおかげということらしい。そう思って食べると、なんとなく、また一段と美味おいしい気がする。

 木刀を弾く肉厚な皮はさすがにれないが、皮と身の間にある脂はほとんど濃厚なスープのようで、めばむほどうまみ出してくる。ウカも真剣な表情で皮目をかじっては、「あえて切り取って、酢の物にしちゃうとか、ありかも……」などとぶつぶつつぶやいている。

 リコは再び鰻に食らいつき、二人はしばらく黙って昼食を楽しんだ。内海の静かな波間は、ほんの少し前まで巨大な怪物が暴れまわっていた場所とは到底思えない。桟橋の脚をたたく水音や、船がこすれ合うきしみだけが、わずかに時が動いていることを気付かせてくれる。

 すっかりウナギを食べ終えたリコがふと隣を見ると、ウカは海を見つめたまま、なぜか小さく微笑ほほえんでいた。

「……どうしたんだよ。うれしそうじゃん」

「え? そうかな」

「すごく、幸せそうな顔してるよ」

「まあ……うん……そうかも」

「求めていたウナギの味は、たんのうできたもんな」

「ちょっと多すぎるくらいね」

「でも、ほんと美味おいしかったなあ……。それに、楽しかった」

「そう、それ、楽しかった」

「……朝はどうなることかと思ってたけどな」

「わたしは、こうなると思ってたよ?」

「さすが、《自律人形遺産ノア・シリーズ》」

「そうです。わたしが《調理師コクトール》です」

 えっへん、とウカが肩をそびやかすと、リコは穏やかに笑って返す。それは昨日までと同じような会話のようでいて、たぶん、全く違う穏やかさに満ちている。

「……今日、帰ったら《らんどう》再開する? オレ、もうヘトヘトなんだけど」

「そりゃ、するに決まってるよ。沢山のお客さんが待ってくれてるんだもの」

「そうだけどさー」

「なあに? きゆうさんは職務放棄をお望みなの?」

「いや、なんというか、もう少しこの感じを味わっていたいなあって……」

「えー、どうして? 別に、これからはいつでも味わえると思うけど。わたしとリコちゃんが一緒にご飯を食べたら、たぶん、何度でも味わえるよ」

「……そっか」

「うん、絶対に」

 ウカが微笑ほほえむと、リコは思わずその小さな腰を抱き寄せる。頭をそっと寄せて目を閉じれば、金髪と黒髪のこそばゆい触れ合いを感じる。こうしてどんなに近づいても、ウカの身体からだは温かくない。鼓動の一つも聞こえない。しかし、それが今は無性に心地いいとリコは思う。

「ウカと、もっと話したいことがあるんだ」

「……たとえば?」

「うーん……わかんないけど」

「なにそれ」

「話したいって気持ちがあるというか……。ずっとこうしていたいって感じなんだよ」

「……そっか」

「わかるだろ?」

「うん」

「だよな」

「うん」

 二人は再び静かに海を眺めている。ウカはふと、そのに映る風景が朝に見た過去の美しい地球に似ていることに気付く。いや、やはりそれ以上に美しいことに気付いてしまう。

 そのことをリコはまだ知らない。

 だから、それほど遠くない食卓のひと時に、話してあげようとウカは思う。

 美味おいしいご飯と一緒に、この世界一素敵な発見を教えてあげようと思うのである。

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