第221話「幾多の」 ポーリ

 ロセア元帥が異形の暗殺者に殺された。常人を幾度も殺せる執拗な銃撃はあの人のしぶとさを熟知していたようだ。

 戦死直前に受け取った力尽きた伝令の情報を受け、敵前線工廠への攻撃中止命令を出す。そして後方の友軍を救出するために予備軍を反転させる。

 伝令は疲労や深い負傷で判断力が鈍っていたらしく、ロセア元帥に今際の言葉のように伝言を行って事切れたが、懐に父からの手紙を忍ばせていた。もし言葉ではなく手紙を渡していたならあの狙撃は成功したのかと思ってしまう。

 手紙には左翼軍が確認、予測が出来た帝国連邦各軍の機動が描かれており、我が予備軍と後方で再編制中の――指揮系統の統一化もまだされていないと思われる――部隊群が分断され、眼鏡のように二連包囲されている様子が伝えられている。

 そして末尾に”我が軍はストレム軍の南下を最大限遅滞させるが阻止は困難。健闘を祈る。ギー・ドゥワ・ロシエ”。父の――おそらく最期の――言葉だ。

 ここに至り、自分の知覚神経に刺さっていた杭が抜かれていく気分を味わった。

 予備軍は西へ反転、移動を開始する。一応、名目上の最上位指揮官はレイロス様であるが、補給計画の観点から自分が部隊の全容を把握しているので実際に命令を出す。

「我に続け!」

 先頭に立って軍の進む方向を示すレイロス様の持つ”勢い”といのは炎のように凄まじいのだが、小難しいことを考えない性格である。考えないからこそ”勢い”を持つのであろう。一万五千の騎兵軍を一瞬で三百になるまで損耗させても元気な方である。後先考えないからこそだ。

 杭はまだ残っている。


■■■


 我が予備軍が制圧した帝国連邦軍の砲兵陣地跡を通過中に、聖都に駐在するマリュエンス外務卿が遣わした使者と合流した。

 その使者は、怠惰で平和を待ち望む顔をした南部軍の騎兵隊、神聖教会方のお墨付き用の高位聖職者、そして見届け人や通行証代わりの帝国連邦軍の騎兵将校を同伴していた。

 マリュエンス外務卿と聖女ヴァルキリカが連署する停戦合意文書にて伝えられた内容は、ロシエと聖戦軍との停戦合意が成ったことと、準備出来次第早急に講和会議へ移るということである。

 この話は全体に直ぐに広まった。そして士気が弛緩しそうになるものだがそうはならなかった。

 悪魔らしいというか、かの敵らしいというか、ベルリク総統ないしその代理責任者からの停戦命令が無い限り帝国連邦軍は攻撃を続行するというのである。早くに停戦合意を確認して命令を出して貰わないと後方の部隊群が皆殺しにされる危険性があるという見立てで、状況は悪く既に脱走兵が多数出ているそうだ。

 東のベルリクに停戦合意を確認させつつ、西の後方の部隊群を救出する必要がある。

 使者団に追加の護衛をつけて東に向かわせ、我が予備軍はそのまま西進するのが良いように思えるが、何かが違う。

 不意に小指に指が絡む。何事?

 見下ろせば旅装の、変装したノナン夫人である。何故ここに? いや影武者ならなんてことはないのか。

「ポーリ様、予備軍を掌握されておいでですね?」

「それはレイロス様が、ですよ」

「実質は」

「私ですが」

 自分が部下や関係各所から話を聞いて取りまとめ、レイロス様が何も考えずに「任せる」と裁可を貰って命令を発行する流れである。

「では大事な情報をお伝えします。モズロー中将と新大陸軍が東進を止めてオーサンマリンに戻っております」

「何を馬鹿な!?」

 十何万と再編制中の無防備な友軍を見捨ててオーサンマリンへ逃げる? 軍人として有り得ない。

「それからモズロー中将は議会の承認を得て国家元帥という役職に就くことが確定しております。貴種の匂いが無い国防卿のようなものですね。戦勝記念行事の時にそのように受勲、称号を得る段取りですね」

 まだ完全に停戦となっていないのに何を考えている? 停戦になるからと自軍の被害を抑えるために保身に走ったか? 被害を無視してオーサンマリンと議会を制圧して戦後のロシエを主導するつもりか? ただ言いなりか?

「モズロー中将はどのようなお方で?」

「予備軍にいる新大陸軍の方に聞いて頂ければ確証されるでしょう。人の言うことを良く聞く良い子です。積極的に指示を出すロセア元帥の指揮下であればそれは優秀な方だった。何というか、最良の四番手の方でしょうか」

「モズロー中将が今の共和党政権を潰す可能性は?」

「少ないでしょう。良い子がそんなことしますか?」

 主導する一番、参謀の二番、二番と争う三番、そして四番か。

 一応はロセア元帥下に結成されたが共和党が政権を握る勢い濃厚。今現在も一応は握っているのだが、それはロセア元帥そして大統領に加えて新大陸軍や理術軍団という救世主的存在あっての掌握だ。

 ロセア元帥亡き今、その権力は揺らいでいる。それを確かにしようというのならモズロー中将の新大陸軍は確保しなければならないだろう。

 だがそれでは弱い。今までロセア元帥の独裁に身を任せていた共和党議員と、今はその傘下に収まっている醜悪な共和革命派議員による合議制など意見がまとまるように思えない。軍に兵士委員会がくっついているようなものだ。全てを一元化しなくてはならない。

「停戦の代償は?」

「ルジュー一世陛下の戴冠と、共和革命派の人口減を許容した根絶。講和の代償は別にユバール、バルマン独立。アラックの王冠の返還。ロシエ王国軍は聖戦軍指揮下に入る。ロシエ王国内の聖職叙任権は聖皇の専権事項。それから減額予定らしいですが関係各国に賠償金の支払い。賠償金はちゃんと項目が履行されるか確認が取れるまでの担保ですね」

「それで済みますか?」

「一度絞り始めたら乳どころか髄液まで抜き取るのがかの容赦無き聖女ですよ。外務卿はお疲れの様子です」

 最後の杭が抜けた。

 清々しい気分だ。心の空は青一色、海は波紋一つなく鏡面のよう。

 全て見えた。自分がロセア元帥の後継となる。ロシエを抑えなくてはならない。

 力を集めるためには自身に引力を発生させなければならない。ここで失敗すれば弱いロシエになる。あの聖女に骨抜きにされ、牙を抜かれて家畜にされる。

 今予備軍内の有力者である各軍高官、大貴族の中に全体をまとめあげるに値する人物はレイロス様以外にいない。

 父が居れば筆頭だったかもしれないがおそらく戦死している。フレッテ卿も同様。モズロー中将がここにいればロセア元帥の後継者になったかもしれないが。

 後継者となるに躊躇はない。少し前の自分であれば畏れ多いと身を引いた。今の自分には容易い。

 説得すべきはレイロス様。損得で動かぬアラック野郎だ。

「レイロス様、時間がありませんので単刀直入に言います」

「おう、言ってみろ」

「私がロセア元帥の軍事と政治の後継者になるので支持して下さい」

「あ? 何だそりゃ」

 ノナン夫人が「閣下」と声を掛けるとレイロスが一瞬で跪いて彼女の手の甲に口付けした。

「これはノナン様、このような危険な場所に貴女のような美しい乙女がおいで下さるとは白昼夢でも見ているようです。しかしこの麗しの白いお手を拝見するに、夢の中ではなく楽園に誘われたようで」

 ノナン夫人の手に両手を添え、顔を見上げて寝言をレイロス様が吐く。

「これはレイロス様、お久しぶりです」

「いえ、何時も夢の中にてお会いしておりましたよ」

「まあ、相互理解が深いならもしかしたらお話も早く済むかもしれませんね」

「はい」

「今ロシエには強い指導者が望まれます。レイロス様が指導者になればレイロス様の等身の大きさとなります。しかしレイロス様が土台になってポーリ様を担ぎ上げればポーリ様にそれだけの価値があることになって影響力が上がります。ポーリ様は次期ビプロル侯。しかしカラン様の生死は不明で、そしてお若く影響力は小さい。理術兵器局局長という肩書きも関係者にしか凄みは伝わりません。ポーリ様がレイロス様を担ぎ上げてもその少ない影響力では微々たる支えにしかなりません。そこでレイロス様等身の影響力を土台にし、ポーリ様の影響力を引き上げるのです。影響力の錬金術とお考え下さい」

 とうとうと語るとノナン夫人に対してレイロス様が首を傾げる。

「俺の力じゃビプロル人なんか持ち上げられないぞ?」

 レイロス様が自分の脇に手を差して「ふんぬぅ!」と持ち上げようとしている。顔を見るに冗談で笑いを取りに来ていない。

「とにかく、レイロス様の後援があればポーリ様の影響力はロシエ一となります」

「ノナン様、もう一度その小鳥のさえずりを私の耳に入れて頂けないでしょうか? さすれば私は極上の……」

 どうやら埒が開きそうにない。ノナン夫人も困っている。

「レイロス様、私に従って下さい」

 アラック野郎には分かりやすい言葉が一番なのだ。

 顔つきを変え、レイロス様が睨んで来る。

「何だぁ子豚ちゃん。この俺を差し置いて頭になろうってか?」

「私しかいません。あなたでは頭が足りません」

「てめぇ、本当のこと言うんじゃねぇよ。やんのかコラ?」

 レイロスが刀の柄に手をやる。

「あなたが私のものになればロシエは私のものです。外務卿が取り付けた停戦合意とそれからの講和条約に至る流れを変える必要があり、それが私には分かります。老人達の弱いロシエを終わらせる必要があるので従ってください」

 ハッキリと言わねば分からないのがアラック人だ。難しい言葉はどの程度分かるか知らないが。

「俺を子豚ちゃんのものにするだと?」

「今、しましょうか」

 手袋を脱いでレイロス様に投げつける。そうするとレイロス様は口笛を吹いて周囲のアラック兵を呼び集める。

「お前ら立会人だ」

 内容を理解しているか怪しいアラック兵達は盛り上がり、他の兵士や士官達は何をしているんだ? という顔になっている。

「レイロス様が決闘をされるぞ!」

「相手はポーリ局長だ!」

「何で決闘するんだ?」

「そりゃお前、男二人にご婦人お一人となりゃ一つしかねぇだろ」

「そうか!」

 レイロス様がノナン夫人に一礼し「勝利を貴女に捧げます」と見当違いな台詞を吐いてからこちらへすかさず抜刀斬撃、左手で刀身を掴む。刀が引かれるが握り込んで止める。

「おっ!?」

 刀を引いて体が固くなって隙が生まれたレイロス様を右手で、防御する左腕ごと張り倒す。刀身が戦いで疲労していることもあって折れる。

 倒れたと思いきやレイロス様は転がって跳ね起きて、アラック兵が投げた刀を受け取って半身になり、切っ先をこちらに向けて構える。足取りはフラつきながら、左の顔半分を腫らし、左腕をダラっと下げ、背筋を延ばし舞踏のように優雅に動いている。

 アラック剣術は攻防一体、変幻自在で踊るように敵を切り裂くという。

 術で自分の全身を甲冑で覆う。間接部は蛇腹や鎖帷子で補強し、目や鼻と口の箇所には網状の装甲を施した。装甲戦列機兵四型の開発があれば取り入れたい。

 レイロス様が刀で斬り付けてくる。甲冑は全てを弾き、自身と甲冑の重さが衝撃を全て殺す。

 術で杖を作る。愛用していた物と同じ形状。

 両腕を広げ、逃さぬようにレイロス様へ走り込むと回り込むように跳ばれて腕の範囲より外へ逃げられる。それしか選択肢は無かった。

 回りこまれた側へ転がり、杖を振ってレイロス様の膝裏に杖の持ち手を引っ掛けて引き寄せる。胴体にぶつかって、同時に突き刺そうとした刀が圧し折れる。

 立ち上がる。仰向けに倒れているレイロス様に杖先を突きつける。

「従って下さい」

 レイロス様がフラつきながら立ち上がる。

「やるじゃねぇかポーリ君。さっきから何言ってるか良く分からんが、強い奴に従う」

 レイロスが自分の右腕を「重てぇ!」と言いながら上げる。アラック兵達が武器を収め、諸手を上げて『アッララレーイ!』と叫ぶ。

 ウォルが生き残っていたら仲裁に入って、色々妥協するか何かしつつレイロス様の面子を立て、そこそこのところで話を終わらされていたかもしれない。今は彼の戦死に感謝する。


■■■


 最高司令官故ロセア元帥の代わりとして、ポーリ・ネーネトが帝国連邦総統ベルリク=カラバザルに会って停戦合意を確認する。これは自身の影響力を高めるために重要な儀式、実績作りだ。

 停戦の使者団に自分が同行する。予備軍はレイロス様に任せて西進を続けさせる。

 どれほど東に向かえばベルリクに会えるのか不明で、不安だった。

 しかし帝国連邦軍の騎兵将校が馬の上に立って、指差した方向からやってきた。

 騎兵の群れが地面を揺らし、旗や武器を持って丘の向こうから黒い塊になって現れた。

 東からやって来た悪魔の軍勢。東の太陽を背に陰になった姿は見ただけで怖気が走る。何百万もの人々を殺戮するとあのような神の敵の姿になるのか?

 使者団が旗を、白旗国旗を振って敵意が無いことを必死に示す。

 ラッパと旗、各隊騎兵指揮官の刀を使う合図で騎兵の大軍は直進から左右への旋回機動に移り、そのまま円陣を両側から組みつつ徐々に速度を落として我々を囲む。

 騎兵は揃いの軍服、弓矢に小銃。蛮族ではなく立派な正規軍そのもの。

 戦史では蛮族軍は勢いづけば猛烈だが不利になると士気、統率、練度不足で大軍でも少数精鋭で瓦解させられるという記述が目立ったが、そんな気配は全く無い。

 今まさに攻撃を仕掛けようというところであったか? 予備軍と分かれてさして日数も経っておらず、幾日かしたらこの騎兵の大軍が予備軍に攻撃を仕掛けていたに違いない。これは幸運か? 間に合ったのか? いやまだ、あちらが停戦合意を受けると決まっていない。

 騎兵の群れの中から三騎こちらにやってくる。

 一騎は頬に傷跡がある奴で、やや色男風に見える。隙が無く見え、両手に拳銃を持つ。

 もう一騎は赤い衣装の女で、目が細い。右手に刀を持ちながら弓に矢を――弦こそ張っていないが――番えるという構えである。

 そしてもう一騎は東方風ではない三角帽を被った男だ。腹の前に、髑髏風の帽子を被った幼女を乗せている。こいつか。

「ご苦労さん。捕虜になったわけじゃないな?」

 三角帽の男が、帝国連邦軍の騎兵将校に向かって首を傾げる。言葉は我々に分かるようにと配慮してかフラル語である。あの東方顔から発せられると違和感がある。

「総統閣下、聖都にて締結された停戦を告げる使者をお連れしました。尚、西方での戦闘行動は閣下の命あるまで停止されません」

 騎兵将校もフラル語。

「結構。下がって休め」

「は」

「停戦を告げる使者殿はどちら様ですか?」

 外務卿が遣わした使者が手を挙げ「私です」と停戦合意文書をベルリクにおそるおそるといった風に手渡す。

「ふむ、偽物には見えませんが、こちらにも同じ物が配達されているのですかな?」

「間違いありません。早馬にて配達されております」

 使者が「軽騎兵隊の護衛で送っているので間違いありません」と念を押す。

 ベルリクは疑っているのか、何か別なことを考えているのか停戦合意文書から目を離さない。かと思ったら腹の前に座っている幼女に渡して見せる。

「とーさま、戦争はおしまいですか?」

「どうかなぁ?」

「おしまいじゃないのですか?」

「嘘の手紙で相手を騙まし討ちにするのは古来からの戦術だ」

「あの人達はうそつきですか?」

「手紙を持ってきている者は嘘の手紙を書いた人達に騙されて配達しにくる。本当のことを知っていたら騙すのが難しくなるからね」

「うん? あ! 本当だ。うそ吐いていることが分かっている人はボロを出すんですね!」

「おーそうだ。良く分かったな。偉いぞ」

 ベルリクが、幼いというのに外国語であろうフラル語を喋る娘の頭を撫でる。娘を戦場に連れて来るとはこの男、頭がおかしい。

「使者殿、確かに本物と疑うことのない文書だ。しかしまだこっちに信頼出来る筋で文書が届いていない。これは問題だ」

 ということで神聖教会の聖職者が前に出て「私は聖女ヴァルキリカの使いの者です。私が責任を持って保証致します」と言い、聖女ヴァルキリカ直筆であろう信任状をベルリクに手渡す。

「うーん、極めて真実に近い」

 ベルリクが信任状を見て唸る。娘の方も真似して「うーん」と唸る。

「お兄様これを」

 赤い衣装の女が武装を収めてから、ほぼ、いやどう見ても停戦合意文書と同じ装丁の、革表紙の文書をベルリクに手渡す。

「これはいつのだ?」

「昨日の出撃前、早朝です」

 これは何事か?

「文書だけ渡して帰ったのかその伝令? 護衛は?」

「野営地近辺で単独で、落馬して首を折ったと思われる所属不明の伝令の荷物から回収された物です。攻撃準備があったので後回しにしていました」

 白々しい! やりそうなことではある。

 もし、仮にだがここでその文書の確認をしなかったらどうなっていたか? もし既にベルリクが停戦合意を既に承知しており、停戦を告げる伝令を既に出発させていたら後方の部隊群がこれから受ける攻撃を防げていたかもしれないとしたら?

「アクファル! このうっかりさんめ」

「反省」

 アクファルという赤い女が拳をコツンと頭に乗せて反省の意をおちょくって示す。

 ベルリクが冗談に笑ったように笑っている。一つ間違えば停戦合意など消滅して大量殺戮が続行されていたかもしれないというのに笑っている。

 普通なら斬首でも甘いくらいの刑罰が下されてもおかしくない失態だ。それをしたアクファルというベルリクの妹には――身内ということで多少罰が甘くなろうとも――笑って済ますだけとは組織として有り得ない。有り得るとしたら、停戦そしてロシエや神聖教会が出す使者など取るに足りないと考えているからだ。悪魔らしい。

「使者殿とマリュエンス外務卿、聖女ヴァルキリカの意向は良く分かりました。ご苦労様です。さて、そこの大きい方、あなたが噂の理術兵器局のネーネト局長ですかな」

「その通りです。ロセア元帥に代わって軍指揮を務めることになった私が停戦合意の確認を直接しに参りました」

「あなたが軍を指揮しているのですね。大統領、元帥、唯一無二のロセアに代わり」

 後継者か念入りに尋ねるベルリクが馬を寄せてきた。大体、馬上の彼とで目線が同じになる。

「おっきい! ヤーナちゃんが言ってたビプロルの豚さんかなぁ?」

「そうですよお嬢さん」

「そうなんだ! とっても大きいですね! 凄いです」

「そうですね」

 物怖じしない幼女はともかく、ベルリクと目を合わせる。不気味に大きな気配がする男だ。

「君は何が差し出せるのかな?」

 相手が何を考えているかは分からないが、未来の理想のロシエとしての答えは直ぐに出た。使者や聖職者などには聞こえない声量で言う。

「強いロシエ帝国」

 合点のいった顔をしたベルリクが手を叩き合わせる。

「素晴らしい」

 目指す理想は外務卿が取りまとめた聖女との停戦内容とは合致しない。

 帝国は聖皇の権威の下で名乗ることは出来ず、神聖教会との決別を示す。

 ロシエと帝国連邦の間には神聖教会圏という名前の無い同盟勢力が南北に長く在る。

 帝国連邦と神聖教会は同盟のようでいて大きな領土問題を抱えている。バルリーは別としてもシラージュ、カチビア、ドゥルード、アイレアラセ、モルヒバルの恫喝による併合と住民弾圧。セレードのイューフェシェルコツェークヴァル男爵位を何れ継承する時に発生するであろう政治問題。エデルトと婚姻同盟を結ぶオルフの南メデルロマ問題があり、一筋縄ではいかない。聖女ヴァルキリカが南側からエデルトを更なる強国たらしめんと画策しているのは公然の秘密で、その計画とぶつかるのが帝国連邦そのもの。

 そもそも神聖教会と魔神代理領は永遠の宿敵で、帝国連邦はその活動の独自性から違って見えてしまうが魔神代理領共同体の構成国である。

 事と次第によれば東西で挟み込む形になる。幾多の犠牲を無視すればこそ可能になる関係だ。ロシエを帝国に昇華させるのならばそういうことになる。幾百万の戦死者と遺族と彼等との思い出をゴミと捨てる覚悟が無ければ強くなれないことは明白。

 そしてノナン夫人情報。

「お国の北風、随分と強いらしいですね」

 どこから仕入れているか怪しさは限りないが、大寒波の到来で遊牧帝国域全域に畜害風が吹き荒れて大きな被害が出ているという。”彼等は正直もう帰りたいはずです”と夫人は言った。

「そのくらいのことは知ってるかね」

「ええ。遊んでいる暇がありますか?」

「うん……ポーリくん。君の若く強いロシエが見たいな。あの理術兵器と言ったかな? 素晴らしい力だった。あれをまた、一層洗練された形で見てみたい」

 先程の停戦合意文書の件と今の発言。戦争のために戦争をする人物の発言であれば納得がいく。

「運の良し悪しはともかく、降った幸運を掴んだな。停戦合意など折角成りそうな二連包囲の完成の前に屁だと思っていたが、あの言動が友軍を救うかもしれない。運の良い奴は好きだ」

「救えませんか?」

「君の予備軍は伝令で助かるが、その後方に集って再編制中の部隊がいるだろう。あれはきっと間に合わない。こちらの竜を出せばギリギリ間に合うかもしれないが、遠隔地にいる仲間に撤収命令を出したいんで無理だな」

「そうですか」

「そうだ……信じるぞ、強いロシエ帝国。ものが分かっている人物なら口に出すのも難しい言葉だ。霊力高いなポーリくん」

「霊力?」

「幾多の魂が君を変えた」

 ベルリクが自分の顔に、焦点が合わぬ程人差し指を近づけて突きつける。一瞬世界が暗転した気がした。

「アクファル」

「はいお兄様」

 アクファルが馬上にて、鞄から取り出した筆記用具で次々と命令文書を書き始め、次々と伝令がそれを受け取って駆け出して行った。

 対応が早い。妙な忖度で兄を困らせる妹にはとても見えない。やはり先のやり取りは茶番か。

「ポーリさまポーリさま」

 ザラがこちらを見上げて、やけに嬉しそうにしている。

「はい、何でしょう?」

「あ、私、ザラ=ソルトミシュっていいます」

「はいザラ様ですね」

「ポーリ様はヤーナちゃんとお友達ですか?」

「お友達というのには目上の方なので……お友達かもしれませんね」

「ヤーナちゃんかわいいですよね!」

「可愛らしいお方ですね」

 何とも、子供とは何を喋ればいいのか分からない。

「ザラ、そのくらいにしとけ」

「はい! ポーリ様、ごきげんよう!」

「ご機嫌良う」

 ベルリクが馬首を回して背を向ける。背中である。背後を一突きの誘惑が沸き上がるが、やっても巧く捌かれるようにしか思えない。

「攻撃中止! 全軍撤退!」

 ラッパと旗、各隊騎兵指揮官の刀を使う合図で騎兵の大軍は円陣を解き、地面を馬で揺らしながら瞬く間に去っていった。

「流石はビプロル侯カラン三世のご子息! 見事説得されましたな」

「神聖教会でもかの悪魔相手には尋常の交渉術が通じず、いやはや、ご立派です」

「どうも。聖なる神のご加護があったかもしれません」

 自分、使者、聖職者三人と南部軍の将校も含め、聖なる種の形に指で切って感謝の祈りを捧げる、

 帝国連邦軍が去った後に外務卿や聖戦軍ごときの言うことなど聞く必要はない。


■■■


 西進する予備軍に合流する。

 南に見えるようになったポーエン川の堤防は、通過するパム=ポーエンの側はしっかりしており、補強さえされている。

 戦闘を避けるために帝国連邦軍の騎兵が随行している。先行して伝令も複数出発しているが念のためである。

 進むはオーサンマリン。モズロー中将を抱えて戦力を整えた議会を粉砕する。

 ビプロルは抑えている。もし故郷が自分についてこないのだとしたら何も信じられるものは無い。

 フレッテは友好。種族は違えど、人間とは違うという点で過去より友誼を重ねてきた。同じ土侯、手を組むのなら他は無いという関係だ。

 南ロシエ人は聖皇派で反抗的。行動方針を切り替えた途端に敵対しかねない共和革命派も未来的に反抗的。明確に反抗される前に対処しなくてはならない。

 多数派ではないがサエル人を取り込むには、ロセアことバウルメアのルアーヌの物心共に後継であると認めさせる必要がある。ロセア元帥から聞いたあのちょっと面倒な話を活かせるかもしれない。術使いをバウルメアと特別呼称して尊敬する彼等には理術兵器を見せ、技術によって敬服させられる可能性が高い。

 ユバール人には寛容で当たるしかないだろう。

 未来のロシエ帝国のためにどうすべきか考える。

 帝国にする考えはベルリクとその娘のザラしか聞いていない。議会を粉砕することを知っているノナン夫人にもまだ明かしていない。


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”英雄ロセア、悪魔に最期の一撃”


 予備軍の指揮官代理の仕事もそこそこに、騎兵隊を率いて先行していたレイロス様と合流する。直にファンジャンモートが見えてくる。

 ポーエン川沿いに進む。川の増水は素早い伝令によって止められたようで収まっているが、増えた水量が減ったその分川岸を荒らしまわった跡が無残に見える。堤防はあちこちで崩れ、枯れ草も木も根から穿り返されている。氷が張って雪が被っても隠し切れない。

 合流地点は再編制中の部隊群が集結している場所で、彼等は丁度荷車や荷物、柵に塹壕に土嚢を使って防御陣地を形成し、一方的に帝国連邦軍から砲撃を受けた後だった。

 砲撃を受けてボロボロになり、西側からヤゴール方面軍が襲撃を仕掛ける寸前で停戦と撤退を知らせる伝令が到着。

 帝国連邦軍はこの防御陣地の近くを、兵士達が憎悪の視線を向ける中素早く通過中である。

 再編制中の部隊の中から、指揮系統がまとまった師団だけを引き抜いて予備軍に編入して、残るは引き続き再編制を続ける。

 ここで助かったのは西でもなく東側から届く支援物資だ。

 停戦合意を結んだことにより帝国連邦軍やバルマンという障壁が無くなり、またノナン夫人が手引きする商人の活躍がある。おそらくはロシュロウ夫人、そして神聖教会の拡大を望まぬ旧中央同盟諸国の手も入っているのではないか?


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”停戦成る”


 還俗したルジュー王太子がファンジャンモートにて我々を出迎える予定という報せが来た。議会が作ろうとしている今戦争の停戦時の空気は痛みを伴った勝利というところ。凱旋行進を演出したいらしい。

 痕跡が比較的新しい大規模野営地跡、オーサンマリンへの反転をモズロー中将が決断した場所で野営し、時間を掛けてファンジャンモート入りする将兵全員に身だしなみを整えるように指示した。

 ユバールでの戦いを思い出せば大したことはないのだが、シトレからエムセン・パム=ポーエン間突破まで停止しないで前進し、そして今その道を反転している。洗濯する暇など無かった。

 積雪する程に寒いが、どこもかしこも氷結しているわけではない。天候次第は日が射して泥になる。体に積もった雪も融けて染みて濡れる。

 ダンファレルの医療組織が徹底されて人員の練度も上がって効率的になっている。しかし赤痢や風邪に罹る者は出てくるのでズボンが下痢塗れなのは珍しくない。それと単純に戦闘、行軍中に便所に行く暇が無くて垂れ流し。

 汚く臭い。糞と泥と血に塗れた。脱いだ長靴を引っ繰り返したらうんこが落ちてくる。

 早くも出迎えに来た議員が「戦場とは過酷ですな」と鼻に手巾を当てて感心している。

 世話役を雇うのを忘れていたので自分で糞のついた下着とズボンを洗っていると、父とフレッテ卿の戦死の報せが届く。広い戦場の端から連絡が来るということはそろそろ停戦も本格化か。

 二人はどうやら帝国連邦軍に死体は持ち去られたらしい。奴等は名立たる将を剥製にして飾るらしい。

 感情には届かない、これでいい。儀式は済ませていないが自分がこれでビプロル侯爵だ。今は心を露一粒も曇らせるわけにはいかない。

 レイロス様は大騒ぎをした。何度も北の空に向かって戦死者に乾杯を行う。

 先の聖戦におけるアレオン戦線にて父とフレッテ卿がいかに活躍したかということを酒で呂律の回らぬ舌、涙流れる目、鼻水垂らす鼻、しゃっくりする腹で支離滅裂にロシエとアラック語を混ぜて喋っていた。

 それは全く聞き取れないが、何度もこちらに寄りかかって酒臭い息を吐いて「なーそうだろう?」と何回も聞いてくるので「はい」と言っておいた。


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”凱旋行進をルジュー王太子がお出迎え”


 我が軍が通過した時には死体と負傷者だらけの酷い廃墟だったファンジャンモートだが、片付けは一通り済んで飾りつけもされてお出迎えの一団も組まれていて一見派手だ。

 ノナン夫人の情報によれば、ここで自分とレイロス様等の高官と軍を分離してオーサンマリンに連れて行って賛美し、適当に勲章を与えてただの軍功者、そこそこの英雄に貶めるつもりだという。自然な流れではあるし、穏当で確実な武装解除だ。


  さあ鉄の隊列を組もう

  守るは国民と国境

  国家を守る運命の下、

  旗は高く掲げられた!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  見よ侵略するその軍勢を

  倒すべき悪魔と巨悪

  血を求める獣を前に、

  我等の怒りは燃える!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  おお異国の侵略者よ

  愚かなる盗賊共

  我が祖国を蹂躙して、

  生きて帰れると思うな!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  復讐の時が訪れた

  ロシエ軍が裁く時

  例えこの命果てようと、

  祖国ある限り負け無し!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


  分別あるロシエ軍よ

  暗黒から解放せよ

  哀れな弱者を助け、

  悪逆たる巨悪を討て!


  立ち上がれよ

  武装する国民よ

  進むぞ家族のため

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ

  未来をかけた戦いで

  我等は一歩も退かぬ


 お出迎えの歌は、奴等は国歌のつもりの共和党党歌だった。集めた歌劇団員を訓練したようで非常に上手ではあった。もう王など排除したつもりになっている。

 その歌の次に――還俗したようで緋色の僧衣ではない――ルジュー殿下が歩いて出迎えてくれる。

 議会如きがルジュー殿下を、次期国王陛下、そして皇帝陛下を顎で使って寄越しやがったのだ。色々と処刑理由は考えていたが細かいことは考えなくて良い。不敬罪で済んだ。

 ルジュー殿下と、白馬より下馬したレイロス様が抱擁を交わす。

 次に自分が、酷く緊張して無理に笑顔を作っているルジュー殿下と抱擁を交わす。この役目が終わったら暗殺されるなどと考えているのだろうか、体が震えているのが触れてよく分かる。

「無理をなさらず、あなたを解放します」

 耳元でそう呟く。

 体を離す。困惑というか泣きそうにルジュー殿下に手を出すと握って下さる。理解して貰う必要はなく、ただ嬰児のように保護されるのだ。

 我が軍には多数の近衛兵がいる。近衛兵とは政治に関係無く国王を守るから近衛であり、ルジュー殿下がこちらの手に落ちた瞬間裏切らない味方になる。

 立憲君主の帝国へ。陛下の責任は世継ぎを作る以外に無くしましょう。いっそ出来ずともマリュエンス外務卿のお子様、お孫様に戴冠して貰っても良い。

 ルジュー殿下にご用意した白馬に跨って頂き、我々は、我が軍は正門に向かって前進する。

 要塞司令が立ち塞がって「このような大軍ではここを通れませんので、まずレイロス様に将官級の方々が先に……」とノナン夫人の情報通りの台詞を言うので、その顔を手で掴んで持ち上げる。痛いようでジタバタとしている。空を切る足が折角洗った服を、術士帽を蹴って泥をつける。

「武装解除するのはお前だ」

 レイロス様が後ろの全軍に向けて刀を抜いて振り「ギーダロッシェ! ギーダラック!」と良く遠くまで届く声で叫ぶ。すると用意された空砲が一斉に鳴らされる。

『ギー・ドゥワ・ルジュー!』

 全軍が合わせた喚声を合図に軍楽隊が正しい国歌を演奏。我が軍はファンジャンモートを武装したまま通過する。

 要塞司令は顔の皮を手で剥いでから水路に投げ捨てる。

 民兵もどきの要塞守備兵は道を開ける。


  マリュエンス三世よ永遠なれ!

  この英明なる王は

  飲んだくれの女たらし

  犬のように食い、馬のように飲む

  この英明なる王は

  飲んだくれの女たらし

  犬のように食い、馬のように飲む


  国歌を歌おう、千年先まで

  神の世が続くまで

  ギー・ドゥワ・ロシエを唱えよう、アラック人のように

  ギーダロッシェ!

  ギーダロッシェ!


  マリュエンス三世よ永遠なれ

  この勇敢なる騎士は

  悪魔との戦争で負けは無し

  剣は太陽のように、槍は風のように

  この勇敢なる騎士は

  悪魔との戦争で負けは無し

  剣は太陽のように、槍は風のように


  国歌を歌おう、千年先まで

  神の世が続くまで

  ギー・ドゥワ・ロシエを唱えよう、フレッテ人のように

  ラッソールローシィ!

  ラッソールローシィ!


  マリュエンス三世よ永遠なれ

  この偉大なる父は

  私達の最愛の友でハゲ親父

  下手な歌は耳障りで、はばからずご用する

  この偉大なる父は

  私達の最愛の友でハゲ親父

  下手な歌は耳障りで、はばからずご用する


  国歌を歌おう、千年先まで

  神の世が続くまで

  ギー・ドゥワ・ロシエを唱えよう、ビプロル人のように

  チュアーゼレシエ!

  チュアーゼレシエ!


  マリュエンス三世よ永遠なれ

  この敬虔なる信徒は

  神に祈り神に捧げる聖者

  広く正大、光をもたらす者

  この敬虔なる信徒は

  神に祈り神に捧げる聖者

  広く正大、光をもたらす者


  国歌を歌おう、千年先まで

  神の世が続くまで

  ギー・ドゥワ・ロシエを唱えよう、アレオン人のように

  イュユートルーシャ!

  イュユートルーシャ!


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”ベルリク主義者ネーネト。ルジュー王太子を誘拐”


 シトレ近郊でモズロー軍と対峙する。

 双方、あまり戦術的なことに拘らず、地形の有利不利も捨て置いて全体を大きく見せるために横へ広く軍を並べた。

 停戦合意確認後の帝国連邦軍の攻撃で傷ついたとはいえ、再編制を行った部隊も取り込んだ我が軍は巨大で、並んだ兵数は十万。それから後方から長い行軍隊形にて歩いてきている兵士達も同数程か。

 戦わずにモズロー中将を説得したい。情報通りに良い子だといいが。

 三人で出向く。自分、レイロス様にルジュー殿下だ。新聞の調子だと失敗したら縛り首だから最初から命を懸ける。ロセア元帥の、本来は我々の側に付くべき新大陸軍将兵達には作為や欺瞞で応対したくないのも本音だ。覚悟を見せたい。

 出向けば護衛部隊付きでモズロー中将が、殿下の御前であるにもかかわらずに乗馬したまま迎えた。

「アラック侯レイロス、ビプロル侯ポーリ、逮捕命令が出ている。ルジュー殿下を解放し、軍を解散して降服して下さい。最大限便宜を図って貰えるよう私からも説得します」

 そうモズロー中将が言った。挨拶のようなものだがルジュー殿下が息を荒くする。

「中将如きが俺様に良く言うじゃねぇか?」

 レイロス様に喋らせておくと話がまとまりそうにないので手振りで”止めて下さい”とやる。

「モズロー中将に問います。真にロシエを主導すべきは私か議会か?」

 モズロー中将は返事をしない。眉間に皺を寄せており、出来そうな雰囲気に無い。良い子か。

「後方の議席に座って居眠りをしている老人達に明日のロシエを任せることは出来ないと思いませんか? ルジュー殿下を使い走りのようにする不敬な議会に従う気ですか?」

「反逆罪に問われるぞ」

 既に問われている。その程度の返事で精一杯なのは良い子だからか。

「誰が私を逮捕出来るのですか?」

 腕を振り、自分の背後に並ぶ軍勢を見ろとやる。歩兵、騎兵、砲兵、そして戦列装甲騎兵が並ぶ。

「あの装甲戦列機兵はロセア元帥、私、大学の学生、そして新大陸で情報を集めたあなた達、そして死んだ戦友達が作り上げた兵器です。悪魔のような帝国連邦軍にも通用する素晴らしい兵器でした。今後のロシエを強くするために必要不可欠な兵器だと確信します。非金属歩兵に騎兵もいます。これとあなたは戦うのですか?」

 レイロス様が刀を振って『ギー・ドゥワ・ロシエ! ギー・ドゥワ・ルジュー!』と兵士達に喚声を上げさせる。勿論、これに対抗して喚声を上げるような士気はモズロー中将の新大陸軍には無い。

「あなたは正気か?」

「ロシエにそんなものは既にありません。必要なのは手繰る鉄の腕のみ」

「鉄の」

「強い議会は望めません。後方で何するでもなく椅子に座っていた弱い老人達に政権を握らせてはいけません。有象無象の派閥に政争、内戦をさせている余裕はありません。何をすれば強いロシエが再興するかは明瞭に見えています。従ってください」

「う……」

「私が独裁します」

「ほお、”独裁します”なんても劇で聞いたことがない台詞だ。カッコいいねぇ」

 レイロス様が肩をバシバシと叩いてくる。彼がカッコいいと言うのだから感覚では間違っていないのは確かだ。

「レイロス様まで? う……」

 ルジュー殿下が重たい口を開く。

「モズロー中将、ポーリ宰相に従って下さい」

「殿下まで? う……」

 モズロー中将が下馬し、降服の証に剣を差し出してきたので受け取る。

 しかし宰相か。独裁するには宰相しかないか。

 レイロス様が新大陸軍の面前まで馬を動かし、そこから横へ走りながら叫ぶ。

「腐れ議会をぶっ潰せ! ギーダロッシェ! ギーダロッシェ!」

『ギー・ドゥワ・ロシエ! ギー・ドゥワ・ルジュー!』

 新大陸軍がそのように返した。

 レイロス様、その姿と声だけで理屈抜きに皆をその気にさせる魅力がある。見たら分かるのだが頭で考えると何も分からない。


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”悪魔憑きポーリ、王都侵略”


 モズロー中将と軍が合流し、シトレに抵抗も無く入城出来た。

 都の様子は、汚物掃除がされている程度でまだ瓦礫の山。掘っ立て小屋はあり、再建中の建物は少ない。

 わずかに生き延びたシトレ市民から、悪魔の軍勢を退けた英雄として歓迎を受けた。

 まさかの歓迎には作為を多少感じ、疑って人々を見ているとロシュロウ夫人の使用人が見えた。

 下着を旗のように振る女が多かった。オーサンマリンで伝説となり流行っている。この困窮状態で新品の白い物であるから作為だろう。しかし発端は火付けのような作為でも、延焼すれば本物だ。

 シトレを行進していると段々と歓迎に出向く人々が集って来る。人口が激減したせいで兵士の方が多いが。

 これは使える。民間人に旗を持たせて行進に加える。正義はこちらと見せる。

 準備の良いことに旗も用意されていた。下着を旗のように連ねる者も、洗濯竿を女が二人で持って間に縄を張って下着を吊るす者いて分かりやすい。これはオーサンマリンへの帰還に相応しい。


■■■


 シトレ通過後のオーサンマリンへの道中は、今までと違う。帝国連邦軍が足を踏み入れていないというだけで風景が整っている。悪魔の瘴気に当てられて世界が歪んだ等と説明されたら信じてしまいそうなぐらいに違う。

 道が、大軍が踏んではいるものの荒らされていない。

 村が町が焼けていない。

 冬だが、しかし人の手で畑が荒らされていない。

 牧地で家畜が歩いている。牧童が犬と羊を追っている。

 井戸の水が飲める。

 死体が骨が転がっていなくてカラスやネズミや野犬があまりうろついていない。

 最近の、行軍時の暇つぶしはレイロス様との雑談である。ルジュー殿下は精神が不安定でノナン夫人がお相手をしているが。

「何故レイロス様は王をお辞めに? 折角の王冠でしたのに」

「あれか。王冠被ってみんなに見せに行こうと思ったら落としてな。馬が踏んで壊した。こりゃ俺が被るもんじゃないって分かった。後はあれだ、坊主に怒られるのが嫌だったからだな」

 アラック人は損得で動かないらしいが、ここまでとは。

「アラック議会は?」

「ノリがあればついてくるさ」

 そんな理由で裏切られては神聖教会もたまったものではないだろう。

「壊れない冠をいずれ差し上げましょう、まずはコレを」

 金属の魔術で冠を作ってみる。頭に嵌めるだけの環も同然で飾りは一切無い。

 レイロス様に手渡すと被ってくれる。測ったわけではないので型が小さく、頭に嵌らず乗っかる感じになっている。

「土台は頑丈なこいつがいいな。王にはならんが」

「ロシエ帝国なら?」

「ほお! いいね、糞坊主の頭カチ割りてぇな」

 神聖教会との決別に臆する様子は無い。

「それは準備が出来てからです」

「そうだな。なあこれ、殿下の皇帝戴冠に坊主共呼べねぇなら、ポーリ君が帝冠作ればいいんじゃねぇか?」

「王冠は既に、いえ、帝冠ですか。理術的で、新体制らしくて良いですね」

「だろ?」

 レイロス様は上機嫌だ。この話を切り出すか。

「ルジュー殿下のお妃はレイロス様のお家から出されるべきと考えます。今はロシエにおいてアラック侯領が最強です」

「何人欲しいんだよ。三人出せるぞ」

「ご長女はご結婚されると以前聞きましたが」

「ああ、出征前に早めに出した。二人目は九つ、三人目は四つ、四人目は二つでちょっと長生きしそうにないなありゃ」

 そろそろオーサンマリンが遠くに見えてくるはずだ。


 オーサンマリン発行、新聞”長い耳”の見出し。

 ”人食い豚、迫る”

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