第25話「少対多」 イスハシル
旧ペトリュク王国の王都シストフシェは、我々が征服した都だ。ここよりも西に多くいるロシエ人が王朝を打ち立てた時期に、その王の趣向で作られた都市なのでこの土地風の名ではなく、風景でもない。建物が白く骨っぽくて無機質で、寺院の彩色に原色が使われずに薄い。異郷の墓場みたいで少々気色が悪い。他の都市ならば建物は赤や茶色で屋根が緑だったり、寺院も派手。長くここに居るのなら塗り替えたいが、一つところに留まる気は無いので、やはりどうでもいいか。
そんな意匠の宮殿内の謁見の場へ、土地を割り当てられた新領主、功績のあった我がアッジャールの軍人が順に挨拶をしにくる。事前にどこが割り当てられるか報告した後である。土地の取り合いで喧嘩にならないよう、進撃する前から話を進めていたので混乱は少ない。この場ではないところで通り掛けにブツクサ言っていた奴はいたが、何をしたって文句を言う奴はいるからどうしようもない。それから戦死した場合は誰に、その土地の権利を継がせるか明確に決めてさせてあるのでその点でも混乱は無い。指名相手が相続不能になった場合の取り決めもある。こういう事をいい加減にしておくとすぐに血が出る争いになる。既に他所では決闘で三人死んでいる。
挨拶の順序を序列順等とやればこれも無駄な面倒事があるので、老人から年齢順に――これですら直に役立たずになる老人を優先するのかと声が上がる――手ずから毛皮のマントを下賜する。そして黄金の羊が所有する土地の権利書、その地の貴族であるという特許状を手渡す。
次に、旧ペトリュク王国内でこちらの攻撃に内応した少数民族の代表へ同じように毛皮のマント、そして権利書と特許状を渡す。
ここはオルフ人の王と貴族が治める国だった。しかしこれからはそうではなくなり、我々が統治するという儀式である。旧王国の中から既得権益を少なからず維持する事を許された者達が参列しており、一部残留した他国の外交官も呼んである。エデルト=セレード連合王国のように手を出せるものなら出してみろと傲岸不遜に堂々としている外交官もいれば、バルリー共和国のように君主大公の弟でもある外務大臣をわざわざ出席させて貢納品のような”お祝い”を持ってきた連中もいる。
ここペトリュク以外のオルフ人の旧国家群も軒並み兄弟達によって似た結末に至っている。オルフ人貴族を再登用するか、殺すかの程度違いはあるが。
征服したこのペトリュク南側に隣接しているスラーギィ地方がある。王侯貴族などからの支配を嫌って逃亡した者達が住んでいる。そこへエデルトの同君連合の争いでセレード王国からの遊牧民が流入、そのセレード遊牧民が支配的であると調べてある。
黄金の羊の考えでは、そのセレード遊牧民達を使って旧ペトリュク王国領を強力に統治させるという考えだ。比べればオルフ人の方が人口が我々より上だから、監視の目を多くしないといけない。アッジャールの人間だけで治めるのは当然難しい。もしするのなら、オルフ人の人口をこちらに合わせなくてはいけない。
オルフ人の登用もするが、貴族や聖職者でさえ識字率が低いこの土地だ。しかもそういう指導者層は大体処刑した。そこでセレード遊牧民の出番だ。彼らはセレード王国で絶対君主的な封建制を経験しているし、オルフ人達との交流の仕方も歴史的に理解している上、今回の戦いでは賢いことにオルフ人側について参戦してこなかった。何時もなら応じている傭兵契約を断っているので、力が何かを理解している。その身の程を知る賢いセレード遊牧民から結婚相手を探して関係を深めるのが手っ取り早い、と黄金の羊が言った。彼女の言葉は父の言葉も同じ。自分の妻もそこから探すことになる。
力の強い今の世代で高圧的に統治し、数の増えたアッジャールとセレード遊牧民の次世代で普通の統治へ移っていく。オルフ人も自然に混じるだろう。既にそのようにして、父が祖父が若かった時代に征服した土地民族の意識が変わってアッジャールを名乗るところもある。
この辺りの地域はオルフ人が多数を占めるとはいえ、当然別の民族がいる。それも少数故に抑圧されてきた歴史がある。オルフ人の旧統治地域外にも振り回されてきた民族がいる。我々が侵攻した際にはよく役に立ってくれた。他の兄弟達もオルフ人ではないそういった民族から多くの妻を貰って関係を深め、統治に利用している。
アッジャール征西軍の我々はオルフ人地域に分散してしまい、同時に兵力も分散してしまっている。最後のペトリュクを取った自分の兵は既にあまり多くない。侵攻が終り、今は治安維持のために父の配下の一軍が一時駐留しているが、東征中の父の本陣へ合流するために長居はしない。だから統治するためにオルフ人以外の者達が必要になる。仲間を増やし、敵を減らすという単純な足し算引き算のために。
我々征西軍には妻のいない若者が多く、それは征服地拡大のための伝統である。自分もその伝統に基づく一人だ。その事が単純に楽しみであると思えるほど気楽ではないし、相手が相手だったばかりに絨毯に包まれて踏まれた者を多く、この若さで目で知っている。本人の意思とは関係なく、複雑な縁と、どこぞより植えつけられた悪意の種が芽吹き、父祖なるアッジャールに弓引くことになった不幸な者達がいる。その事を考えれば考えるほどその気も起きなくなる。
数多い王子の一人であるが故に次の一歩が恐ろしい。王子同士の争いも無いわけではなく、その家臣同士も無いわけではなく、兵士に女同士となると見当もつかない。温和なだけでは腹に一物ある、忠義さえあるかもしれない腹心が姦計を働き、姦計に自信があるだけの者ならその才能を試したくなり、馬鹿でも嫉妬心があれば馬鹿なりに仕出かす。面倒な物事を一挙に解決するのは力だが、その力は未だ無い。
どう考えても不安だらけのその次の一歩を踏み出すために、留守を預かる将軍へ出かけの挨拶しに行く。その人は、祖父の初陣に馬を並べたという老将オダルだ。彼はシストフシェの外に立てた幕舎群のところで、六頭の馬に囲まれて餌をやりつつ馬体を拭いている。木と石の建物より、自分の羊毛フェルトの幕舎の方が良いと思う者は壁の外で寝泊りしている。自分もそうだ。都内にいるこちら側の者はまだまだ警備担当の兵士ぐらいのものだ。征服したばかりで怨念が渦巻いているので、その辺で寝れば首に一生モノがつく。
オダルは老齢を思わせぬ頑健な肥えようで、自分と同い年の十四番目の妻がいる程元気。各王子にも、このような歴戦の老将が参謀として控えている。
「留守を頼む」
声をかけると、オダルが皺と傷跡だらけの顔をほころばせ、肩を両手でバシバシ叩いてくる。
「イスハシル! ようやくだな。あのシビリにくっついて回って乳ばかり弄りたがって涎を垂らしていたのが何時の間にかこうも立派になったもんよ。気づいたら膝で頭蹴飛ばしてたぐらいの”ちんまい”のが、もうワシより背が高い。そいつがもう嫁取り、しかも選び放題だって言うじゃねぇか。それといいか、女は顔じゃないぞ、ケツで選べ。それとケツ選びで迷ったら骨だ。骨の細い奴は何したってダメだ、弱い子供が生まれる。それ以外は自分次第でどうとでもなる。これがワシの結論だ。十四……とまあそのぐらい試してワシが言ってるんだぞ」
「参考にしとくよ」
「何、お前ならどんな女だってその目の射抜きで一発でコロリ、声掛けりゃ髄まで抜けて、手ぇつけたらうどんになって、あとはもうズルっと食って終りだ」
「それが困る」
「そうか? あぁ、お前はそうだったか。おい! 腹減った、うどん、山羊入れろ!」
オダルの幕舎から、その自分と同い年の彼の妻が出てきて、分かりましたと頷き、こっちに気づいて大袈裟に礼をする。
「食ってくか? あれは飯が上手いぞ」
「いや、もう食べたから」
「いいから食え。減るもんじゃないぞイスハシル。お前はもっと太った方が良い。縦に長いから細く見えて弱そうだ。見えるだけで罪だぞ」
「分かった」
それから、大きな器に麺が見えないほど山羊肉が乗った汁うどんを、焼いた玉ねぎを齧りながら食べた。確かに上手で美味い、香辛料の使い方が妙手だ。馬乳酒も貰って、腹が張るぐらいご馳走になった。
腹具合を気にしつつ、次に向かうのは若き将軍イリヤス。歳は同じで、刀ならこっちが上、相撲ならあっちが上。馬ならこっちが上、大酒飲みならあっちが上。学問ならこっちが上、大食いならあっちが上。弓ならこっちが上、銃もこっちが上、投げ槍はあっちが上。彼とは血縁ではないだけに、兄弟よりも兄弟だ。
奴の幕舎に入ってから「入るぞ」と言って、腹を出して寝てるところを、腰を蹴っ飛ばして起こす。イリヤスは唸りながら目を擦り、布団にしていた上着を手繰るとそこから若い裸の女が現れる。こいつは何時も通りだ。
女は寝起きにたまげつつ、変な声を出してイリヤスの陰に隠れて変な目線を送ってくる。
「行くぞイリヤス」
「あぁー、おう。あー、これは別に奴隷じゃないぞぉ、タマは取らないでくれ」
女が自分の小奇麗な服を――オルフ人の金持ちお嬢さんか――持って顔を半分隠して見てくる。イヤな視線だ。
「いいから支度しろ」
「うぇ、くそ、クソしてぇ」
イリヤスが汚い音で屁を垂れたので、その臭いが鼻に届く前に幕舎を出る。
黄金の羊こと、シビリの大きな幕舎に向かう。王子である自分の物より大きいのは、確かに偉い立場にあるのもそうだが、何より仕事場であるからだ。中に入れば、ロクに寝てなさそうな高級官僚達が机に向かい、筆を握って書類の束と睨めっこしている。山積みになった資料が壁を作っている。
彼らが、広大ではあるが住民全体の知識の程度が低く、社会基盤が脆弱で民族がバラバラなアッジャールを官僚による上から下への指導方式で富ませた。何より、まるで全能者のような記憶処理能力があるシビリがその効率性を飛躍的に上げた。貧しい土地から豊かな土地への住民の再配置、工房集約による工業団地の設置、道路の改修と再配置による物流の効率化、国立銀行開設による金融の把握と安定化、官僚登用の完全実力主義化、非生産的住民の売却や処分、無料診療制度による死亡率低下、労働法制定による労働人口の向上、文書書式に字体の一律化による行政効率化などなど、それによって黒鉄の狼と呼ばれる父の強権の下にアッジャール黄金時代の基盤を作った。馬蹄が踏み荒らし、その跡を筆で書き直す。
そんなシビリからは復讐の女神の祝福が消え、また顔が呪われている。でも半笑いで嬉しそうだ。その背後から机の上の書類をざっと眺めると、都市攻略で手に入れた人間の配置先が決まり、移送計画のための命令書が書き終わったみたいだ。それからオルフ人どもの強制移住計画の骨子が出来たようだ。あとは分類された奴等の頭数の報告を待つだけの状態、と推測する。子供の頃からくっついて回っていたおかげで理解できる。
「発てるか?」
「ふふん、もう良いですよ。後は待つだけですから」
次の仕事へ間に合うようにと素早くやったようだ。これの他にも権利書と特許状を書いたりしているし、他王子の地域も含めた全体の物資割り当て、現地で補給可能な物とそうではない物を選り分けた補給計画、戦争で滞った交易路の復活、徴税組織の復活、街と道の復興計画、戦争で散逸したオルフ人の呼び、狩り戻しなどなど煩雑極まりない。そしてその仕事を部下に割り当てても、全てが効率良く連携するよう頭の中で一つにまとめるのがシビリだ。凡人には想像も出来ないぐらい思考を回転させているのだろう。
「しかし殿下、使いの者でも出してくれれば」
「そういう気分じゃない」
「んー」
シビリが振り返って、目を細くしてジっと見てくる。
「浮かれているようではないですね」
「真剣だ」
「では応えましょう」
シビリはこれからの花嫁選びについて来る。血縁序列に問題が出ないよう相手を調整する役目をする。既に他の兄弟達の結婚相手選びもやってきており、仕事柄領内外各地の人間の評判血縁友好敵対関係を頭に入れているので、彼女以上の適任者はいない。既に父との間で、どの王子にはどの程度位が高い女を割り当てていいかも調整している、という事を噂等を介し、統合して分析して自分は理解している。有能無能、人望有無、病弱頑健、純真二心……黒鉄の狼と黄金の羊の二人ならたかが王子である程度のガキどもの腹の内くらい見通しているだろう。だからただの仲人おばさんではない。持ち上げる、切り捨てる、据え置き、誰かの補佐にさせる、そして後継者……と計画は立っていると推測している。嫁の程度はそれの補正に使う。
シビリが手をペチペチ打ち鳴らし、高級官僚達の注目を集める。
「私は出ますので、最後に確認を取りたいことはありますか?」
「ありません」
「大丈夫です、いってらっしゃいませ」
と、高級官僚達からは頼もしい言葉が返ってくる。
「はい、じゃあ」
シビリはよろけながら立ち上がり、若干フラついているのでおぶる。耳元でちょっと笑われる。
おぶるのに脚を掴んだ両手が塞がっているので、入り口近くの官僚用の伝令が出口を開けてくれる。そしてもう寝息を立てているシビリは用意が済んだ馬車に乗せる。
武装し、必要な荷物を持った未婚の騎馬隊で、先頭に旗手を立てて出発する。
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道中、ウサギや鹿を見つけては狩って新鮮な食料とした。進みながらも狩りの為に寄り道をしたが、どこを見てもペトリュクの南部は森に林が散在する沼地が多くて放牧に適さず、狩人や木こりの小屋が時々見える程度の辺境で、手を入れないとまともに人も住めないところだと分かった。それに羽虫だらけで鬱陶しい、熱病に罹りそうだ、更に悪い。北部と東部は放牧に適し、西部は灌漑設備さえ整備すれば農業の発展が見込める程度というのと大違いだ。
ここは道も脆く、泥になって欠けて、馬車の車輪が回るように何度も板を並べた。シビリが馬に乗れないわけではないが、道中でも仕事をする人だ。これで雨が多い時期だったなら酷いことになる。オルフ人達を攻撃したのも、雨が少ない今の時期を狙った。人も馬も、重たい大砲を乗せる車輪もよく動いた。
時折、当て所なく彷徨っているオルフ人達を見ることがある。既に魂だけが彷徨っている者も多い。人狩りは仕事の外なので無視する。あれらは行き倒れてくれればいいのだが、盗賊になるのが懸念だ。とっとと捕まえて農地なり鉱山に移さないといけない。ペトリュク領内ではそのために人狩り部隊を展開中だが、この広き蒼天から全てを見透かすのは神のみである。人馬に犬じゃさもあらん。
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野営しながら進み、出発して数日。ペトリュクを抜けたのが目で分かるほど草原が広がってきた。ここからがスラーギィだ。
足場が今まで悪かったせいか、馬を乗り換えつつ進んでいても疲れを見せていた馬達が、にわかに元気になってきた。そろそろ長めに休ませてやりたいところだが、先がまだある。
そしてスラーギィへ伝令に行っていた兵士と道中で行き会う。伝令はシビリに報告。相手方が結婚相手を揃えることに問題が無いことをもう一度、念押しに確認してきた。勿論、前言の撤回はされず、各地から適齢の女を呼んでいる最中らしい。ただスラーギィ中に遊牧民の本質通りに散らばっているし、中央政府のような能力の無い長老会議には物理的に迅速な連絡網が無いのでどうしても時間がかかるそうだ。目的地についても、しばらく人が集まるまで宿泊することになる様子らしい。
そんな先行きに薄霧が掛かるような話題でも、妻のいない我等のアッジャールの戦士達はどんな女がいいか、などと騒ぎ出す。顔だ目だ鼻だ、髪が太くて長い、尻が胸が大きい、脚が長い、などなどと騒いでいる。どれだけ自分へ刃を近づかせない女なのかが気になるのは自分だけか?
それからは伝令の案内で進む。行く道は、道という道も無いが、オルフの地に入ってからは久しく見なかった、どこまで行っても尽きない上下にうねる草原が広がっている。建物がたくさんあると目がゴチャゴチャして疲れるものだ。ペトリュク内の放牧適地でも、農村や宿場町に鉱山や何だかんだと色々ある。ここには人の手が入ったものは無く、蒼天の神だけ。
走りやすい草地で気分良く馬を走らせ、ノロノロした徒歩や馬車に荷車の隊列を置き去りにする。護衛の騎兵達が地面を揺らしてついていくる。
上へのうねり、少し高くて周囲を見渡せるところにさしかかると、放牧中の羊の群れと、遊牧民が一騎見える。そして鳴き喚く群れから羊を盗もうとしている、遠目でも汚らしい格好の者達が九、いや十人いる。女子供交じりで、戦争でスラーギィに逃げ来てきたはいいが、飢えでどうしようもなくなったというあたりか。
羊を追って捕まえやすくさせようと馬に乗っている男が一人。走って転んで、捕まえては逃げられるを繰り返しているのが四人。大人の男三人、若い大柄な女が一人。
静かに様子を伺っていた遊牧民は、弓の弦の張り具合を手早く調節し、軽く馬を走らせ、弓に矢を番えて引き、やっとのことで子羊を抱えた大柄な女の頭に矢を突き立てる。矢の精度もさることながら、その飛ぶ早さも戦士として申し分ない。軟弱な弦の張り方ではないと分かる。
小銃を持っていた男が慣れた手つきで構え、遊牧民へ銃口を向けるが、馬を早く走らせて狙いをつけさせないようにしてまた矢を放ち、小銃の男の腹に矢を突き立てて倒す。
遊牧民と馬の走る方向へ残る大人二人が、棍棒と鍬を持って先回りに走り出していて直ぐに距離が詰まる。これで落馬させられたり、馬を殴られたりしたら少し危ういかと思ったが、遊牧民は弓を捨て、鞘から拳銃を抜いて近距離で鍬の男を撃って倒し、拳銃を捨て、接近し過ぎないように馬首を返して行き足を止め、もう一丁拳銃を鞘から抜いて棍棒の男を撃って倒す。銃声に驚いて、追われて混乱していた羊が散り出している。
馬に乗っている男は一応剣を抜いているが、ビビって動けないでいる。
残るそれを見ていた老人と少年、何かあるわけでもないのに辺りをキョロキョロ見て、こちらに気づいたようだが喜んだ様子はない――定住民は目が悪いからどういう風に見えたかは想像もつかないが――他に小さい子を抱えた母が走って逃げ出す。そして小柄な女は腰を抜かして座り込む。
その内に遊牧民は、走りつつ馬上から身を乗り出して弓に拳銃を見事に拾い上げ、大柄な女の頭に突き立った矢を引っ張り、抜けないで持ち上がった頭を蹴って落とし、走って逃げる母の背中にその矢を放って、背中に突き立て倒す。子供が母の下敷きになって泣き出す。
腹に矢が刺さり、呻いている男の頭を馬で轢いて、折り返して踏みつけて黙らせてから、腹から矢を抜く。鏃に腸がからみついて抜けたので、それを短刀で切り離し、その作業中に土下座して大声で命乞いらしき言葉を吐いた老人の胸にその矢を放って突き立てる。そして刀を抜き、馬を走らせ、唖然としている少年を抜き様に切り伏せ、その流れで腰を抜かした小柄な女の頭をカチ割り、刀を肩に担いで、母の体から這い出た子供を馬で踏み殺しつつ、後の馬に乗った男に馬首を向け、馬脚を早めた。
そんな光景を、馬に乗った男は泣き顔で何も出来ずにいる。騎手がそれだから乗っている馬も不安そうで哀れ。
しかしあの遊牧民、雑兵とそれ未満な奴等を相手にしているとはいえ見事な腕前だと見て取れ、感心する。禍根を残さぬよう、女子供にも一切容赦しない戦士の気風が感じられる。これがセレード遊牧民の力か。
早くも血の臭いを嗅ぎ付けた鷹が死肉を狙い、空を舞う。少し目を上空に向けていたら、唯一馬に乗っていたオルフ人がこちらに逃げてきた。助けてくれるとでも思っているのか?
「ご立派な旦那方! どうか助けて……」
矢が最後の男の背中に突き立ち、脊椎でも砕いたか即死。その死体を乗せたままの馬がこちらにやってきて歩みを止め、自分の馬の鼻に鼻寄せて荒く息を吐く。酷使され、大分弱っている馬だ。傷だらけで痩せて、そろそろ寿命が見えている。
その遊牧民がこちらにやってきた。死体から矢を抜いて鏃の状態を眺めてから矢筒に戻し、引きずり降ろして軽くした痩せ馬の手綱を取る。馬は戦利品であり、権利は彼、いや彼女にある。
女と気づいて驚いた。彼女はこちらには目もくれない。立ち振る舞いは堂々としている。
「良い腕だな」
声をかければ、
「兎より大きいし、鈍いです」
これには皆爆笑。
しかし声が若い、というか幼さすら少し感じられる。オダルの言う”骨の細い”感じはしないから、歳のわりに体格は良いのか。
「我々はアッジャールの者だ。私はアッジャールの王”黒鉄の狼”イディルの息子、ペトリュクの主イスハシルだ。女だてらにあの腕前、感心した」
「はい」
こちらの素性を明かしても平静なままに返事。マトモに臆病ならオルフを征服したアッジャールの軍、しかも王子だと言った時点で心も体も凍りつきそうなものだが……世間知らずなだけか?
「君は?」
「この辺で放牧しているアクファルです。それだけです」
「セレードから流れてきた?」
「はあ、親の代にはそちらに居たそうですが」
間違いなくスラーギィのセレード遊牧民だ。彼らは弓で遠距離、拳銃で近距離、刀で至近距離と使い分ける戦法を得意とするという噂だ。若くて動けるなら女でも兵士として使うという話だが、全くその通りか。
彼女、アクファルはまぶたが重そうな切れ長の目をしていて、刺繍入りの赤い羅紗の上着を着て、同じような帽子を被っている。目を合わせて話しても、これだけ背後に武装した騎兵達が揃っていても全く動じた顔をしない。怯えて表情が凍り付いているわけでもなく、声は平静そのもの。あっという間に十人を殺したほどだ。女子供含めて、幼子まで皆殺しにしておいて汗もにじませず、息切れも無い。やはり肝が据わっているな。
「すみませんが、羊を集めないといけないので」
「ああすまない。おい皆、集めるぞ手伝え!」
「セレードの女戦士のためだ! なあ皆!」
『おお!』
イリヤスが太くて大きい声をあげ、皆を煽る。
「どうも」
素っ気無い返事に、何か反応してくれるかと期待して少し笑って手を上げてみるが、それを見たのか見ていないのか何も無かった。
自分も馬を走らせ、皆で方々に散った羊を追って囲み、一箇所に集めた。大きな群れではないので直ぐに終わり、アクファルは頭数を数えて、頭数が揃っていたらしく一度深めに頷いてからこちらに礼をする。
「一頭も欠けておりません。イスハシル様、皆様方、ありがとうございました」
「何、見物料だ」
「そうですか。では」
我々とは行く道は違い、そうしてアクファルは羊の群れを率いて去った。遠く離れて、まだ目の届くところにまだ見える。草原に一つ赤い華が咲いているようだ。
■■■
更に南下し、川沿いの道に合流。休憩地点で、この川の水があのペトリュク南部の泥沼を作っていると伝令が言う。久しぶりに日の光を浴びたようなシビリが、部下に川の水量を調べるようにはしゃいでいる。干拓計画でも考えているのだろうか?
休憩も終り川沿いに進めば、川の中州にある小ぢんまりとした古臭い要塞が見えてきた。攻城兵器があれば簡単に崩せそうだが、しかしそういう目的の要塞ではなく、馬賊除け付きの集会場なのだろう。
こちらを確認した要塞の見張りが大声を上げ、こちらの伝令が応え、確認が終わって渡し舟を出して来た。用件と来訪する旨は先発の伝令が果たしてくれているのでいきなり矢弾は飛んでこない。
さて、尻と骨、だったか?
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