5.1

 目の前をミサイルの弾幕が駆け抜ける。

 レナは機体を翻すと、難なくその驟雨を回避した。

 16連装ポッドから排出されたミサイルの群れは、白い煙を後方に撒きながらしつこく獲物を狙ってくる。

 まるで空を走る魚群のようだ、とレナは思った。

 群れはレナの駆る機影を見失うと、背の方へ一斉に方向転換を遂げる。追従だ。

 ……まだ狙ってくるか!

 軽い舌打ちとともにスロットルを倒し、壊れるほどの力でレバーを握りつつペダルを踏み込む。

 空と海がその位置を反転する。

 レナの駆る機体、深紅色をした<エーラント>はミサイルの群れから逃れるべく海へ真っ逆さま――と思いきや急に向きを変え、天から襲ってくる大群を照準、引きトリガーを強く絞る。

 大群のうちの幾つかを、秒間12発で放たれた実弾が撃ち落とす。だが、それは全てを撃ち落とすことは叶わなかった。

 残ったミサイルの群れはレナを追撃する。

 くそ、と悪態を突いてライフルを収め、レナは腰にマウントされていたサーベルを閃かせる。細くて長い長剣だ。鋼刃は先端にビームを出力させる。

 再び力強くペダルを踏むと、<エーラント>はエンジン音を高鳴らせながら急加速。向かうはミサイルへ真正面。

 直線に伸びた緑色の刃が一閃、二閃して、残っていたそれらを切り落とした。爆発による空気塊の斥力を盾で受け流すと、レナの目は敵の姿を空に求めた。

『――甘いな』

 敵の声。

 真上か、と仰ぐよりも早く<エーラント>は回避運動へ。

 空中で後方ステップを踏んだ深紅の装甲を、軽快ともいえる音たちが掠めていった。牽制用の頭部バルカンがこちらに命中したのである。

 モニターに映る数値――機体の状態を総合的に評価したときの値、つまり耐久値が徐々に削られていく。脚部パーツが悲鳴を上げ、限界に近かったそれは警告音アラートとなってコクピットに響き渡り、そして鼓膜へ突き刺さった。

 音の信号はしかし焦躁となって、レナの指先へと伝導される。吹き出した汗が止まらない。

 ――目の前の敵に集中しろ!

 レナは唇を強く噛んだ。

 相手は1機だけだ。ASEEの量産型<ヴィーア>の特機仕様である。漆黒の装甲は、まだほとんどダメージを負っていないものの――ただ、敵の左腕だけは様子が違った。ほんの数分前にレナがサーベルで切り落としてやったのである。

 状況は有利になりつつあるはずだ。相手は片腕なのだから。

 それなのに、と思う。

 相手との距離は一変して縮まらない。追い掛ければ敵の右腕にある鋼糸ワイヤーが猛威を振るい、逆に距離を置けばミサイルの雨が追ってくる。

 景色が右にも左にも転がり、レナは<エーラント>の機体を切り揉みさせて敵の<ヴィーア>へ肉薄する――と、至近距離で左薙ぎの鋼糸が装甲を掠めた。

 回避。

 レナはライフルを引き抜いて素早く敵を照準。それは至近距離だ。

 引き金を絞る。

 だが、敵はそれを嘲笑するかのように易々と攻撃をよけた。その場に滞空すると、敵機はレナの<エーラント>と対峙する。

 武器の弾薬も残り少ない。あまり時間が掛かっては相手の思うつぼだ――と、レナは友軍の信号を横目で確認。離れた場所で交戦中の味方はすでに虫の息だった。いまだに粘っている機体はそう多くはない、と苛立ちながら見ていると、レーダーの範囲外から出現した信号があった。味方の援軍が駆けつけてくれたのだ。

 助かった、とレナは安堵。

 敵の姿を見据える――と、そこには先刻までの<ヴィーア>の姿はなく、第六施設島から奪取された<オルウェントクランツ>が滞空していた。

 細身のシルエット。鋭角的なフォルム。前駆機と同じく漆黒色のカラーリングは、闇の中であれば溶けてしまいそうである。

「え、うそ……? なんで――」

 言い終わる前に、敵の機体はライフルを引き抜くと増援部隊に向かって一射。

 たったそれだけ。先端から迸ったビームの矢が増援部隊へ命中し、直撃した部分から大きく膨れ上がる。

 周囲一帯の地殻を吹き飛ばすほど大きな爆発だ。

「……!」

 瞬間、ハッと息を飲んでレナは目覚めた。反射的に身を起こす。

 気づけば自分の身体はベッドの上にあった。昨晩のままの格好で、どうやら毛布一枚かけずに深く眠ってしまったらしい。

 夢か――と吐息して、彼女は再びベッドの上へ倒れこんだ。

 初めて見る天井だ。まるで病室のように質素簡潔で、何も置かれていない部屋。

 前まで居住していた場所とはだいぶ異なっている。以前まで住んでいた部屋は飾り付けもそれなりにオシャレだったし、大事にしていたぬいぐるみ達もあちこちに座っていた。部屋に初期装備してある防火カーテンなんて取り払って、好みの柄のカーテンを取り付けていたハズだ。でも今はそれがない。

 当たり前か、と思う。

 レナは昨日の夜、我が身ひとつで<フィリテ・リエラ>へと飛び込んだのだ。まあ仕方のないことだと割り切るしかないし、自室の備品は後でなんとかしてみよう。

 ふと鏡を見て、彼女はぎょっとした。口の周りに出来たパリパリの白いのは涎のあとだ。

 シャワーを浴び終えたあと、レナは洗面台にある鏡をじっと眺めた。

 すらりと立ったスリムな裸身。線が細く色白で、今はしっとりと濡れた腰まで届く紅髪が、白磁の体躯とは対照的なコントラストを為している。

 肩幅は狭く、自らの身体を浅く抱いた腕も少しの力を加えれば折れてしまいそうだ。

 鏡に映った顔へ細い指が触れる。と、刃物のように鋭利な冷たさを感じて、レナは指を離した。

 父親から受け継いだ黒ダイヤのような瞳、そして母親から譲り受けた長い睫毛。両親ともに整った顔立ちの人だったから、レナもそれを引き継いだのだろう。

 それと――レナには自分しか知らないもう一つの特徴がある。

 鏡に向かって小さく笑いかけると、向こう側にいる自分も真似をして笑い返した。

 自分は意外なことに、笑うと垂れ目なのだ。いつも強気で勝気そうな表情からは想像できないが。正直なところ自分の愛嬌に気付いたのはごく数週間前のことである。それ以来、垂れ目の事実は自分の中での小さな秘密となっていた。

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