ジェンダーと萌え絵批判について

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ジェンダーと萌え絵批判について

 ジェンダーについて触れる機会があったので、ここで自分の意見を述べておこうと思う。

 まず、性別に関して、セックスとジェンダーという二つの用語がある。前者は生物学的な、後者は社会的文化的な性差である。ここで一つ疑問に思うことがあった。それは、ジェンダーとは何なのか、というものだ。よく考えてみてほしい。人間は動物であるのだから生物学的な性差、つまりはセックスのみで十分なはずである。だが、実際にはジェンダーという用語が性に関する問題ではよく用いられている。その理由を考えたときに、二つの仮説をたてることができた。一つ目は、人間は他の動物たちとは異なる特別な存在である意識から生まれたエゴではないかというもの。二つ目は、人間が進化しすぎたが故にセックスの定義から外れてしまったために生み出されたのではないかというもの。前者については、人間は動物なのだからセックスのみでよかったものを、社会的背景からジェンダーを生み出したのは完全に他の動物と一線を引いたためではないかという考えから生じた。後者は、人間の高度な知能によりさらに複雑となった社会では、セックスという定義では狭義ではないかという考えから生じた。前者については、私の主観前回なので無視してもらってもよい。後者に関しては、例を挙げるとするならば、男女における社会での役割である。大昔では、男は狩り、女は採集を生業として生活を支えていた。それは性別による肉体的な差から生じたもので、これはセックスの領域内で済ますことが出来る。しかしながら近代では、男も女も同様の仕事が可能であり、そこには性別による肉体的な差が生じない。そのためセックスでは性差を定義できない。そこで新たに生まれたのがジェンダーではないかということである。さて、ここからはある具体的な事例について述べていきたいと思う。それは、自衛隊のポスターに萌え絵が使用されたことによる炎上だ。結局、全ポスターが撤去という形になってしまったが、それにいたる多くの批判に疑問を呈したい。批判していた人々は、もちろん一般人もいるだろうが、多くはフェミニストである。彼らは、「セクハラではないか」「児童ポルノだ」などの批評をしていた。一般人からは、「嫌悪感がする」「男性オタク向けに描かれているから気持ち悪い」などの意見が散見された。これらの意見に一つ一つメスを得れて行こうと思う。まず、「セクハラ」について。そもそもセクハラとは性的嫌がらせによって不利益を被ることである。では、このポスターによって誰が不利益を被ったのだろうか。もちろん、少なからずいるだろう。しかしそれは価値観の多様性の範疇に収まるのではないか。この仮説を検証するためには膨大な聞き取り調査が必要となるため推測で止まってしまうが、フェミニストたちも何の根拠もなしにセクハラと批判しているのだろう。次に、「児童ポルノ」について。ポルノの定義は、性的興奮を呼び起こすものであり、児童ポルノは、その対象が児童である。さて、このポスターをきっかけに現実の児童に欲情するようになった人はいるのだろうか。おそらくいない。これもただの推測ではあるが、世に言うロリコンという人々は、元からの可能性が極めて高い。基本的に、フェミニストたちの批判は根拠が全くないものである。では、一般人の意見についてはどうだろうか。これは、「見慣れていないから」という仮説で一蹴できると思われる。例えば、シャンプーのCMや女性用下着などの広告では自然と女優が全裸となったり下着姿になったりする。しかし、それについて嫌悪感を抱く人はほとんどいないだろう。それは生まれた時から現実の人間をずっと見続けているからである。おそらく数年もすれば萌え絵に対する批判はほとんどなくなるのではないだろうか。ここまでの意見は全て机上の空論であり、一個人の意見である。

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