拾われ勇者は魔王の下僕で◯◯で
早瀬
第1話 一日の始まり
俺の朝は早い。
太陽が昇る前に起きて近くの小川から水を汲んで来る。
それが終わったら朝食の支度だ。
朝食には必ず目玉焼きが食べたいと主人が言うので、裏庭にいる雌鶏から新鮮な卵を頂戴する。
毎朝顔を合わせているのに一向に俺の顔を覚えない雌鶏との格闘の末に手に入れた卵は勝者の特権。と言いたいが、どういう訳か毎日一個しか卵を産まないので俺の分は無い。
近所にあるパン屋で焼きたてのロールパンを二つ買い、向かいの牧場でミルクを一瓶買ったら速やかに帰宅する。
ようやく太陽が顔を覗かせた頃、俺は主人を起こす為に主人の眠る部屋へ向かう。
右手には聖剣、左手には最強の盾を持って階段を登る。
主人の部屋の前で深呼吸をしたらドアをノックする。
俺の主人は寝起きが悪い。
耳を澄まし部屋の中の様子を伺う。
主人の立てる寝息が僅かに聞こえる。どうやら今日はマシな方らしい。
ドアを静かに開け、部屋の中へ入る。
「しまった。ハズレだったか……」
ドアを潜った先はダンジョンに変質していた。
眠っている間の主人は無意識のうちに空間を捻じ曲げる困った癖がある。
今日はダンジョンだが、知らない街の真ん中や空の上に繋がっているなんて事もある。
唯一、水の中に繋がる事が無いのは主人が金槌だからだと思う。
襲い来る無数の魔物を倒しながら主人のベッドの前に繋がる出口を探す。
いくつか階段を下り、ダンジョンのボスっぽい魔物をサクッと倒す。罠を躱しながら長い通路を歩き、何度か角を曲がった先にようやく出口を発見した。
「今日は意外と早く見つかったな。ったく、毎朝毎朝……」
思わず溢れそうになる愚痴をグッと飲み込んで主人の眠るベッドの前に立つ。
ベッドの横にあるカーテンの隙間からはすっかり明るくなった太陽の光が射し込んでいる。
俺はカーテンを開け、清々しい朝に相応しい太陽の光を主人に浴びせた。
「うぅ、眩しい……」
布団の中に潜って太陽の光から逃れようとする主人から情け容赦無く布団を剥ぎ取る。
小さく体を丸める主人の顔にキスをしたら任務完了だ。
言っておくが、これは主人に対する俺の愛情表現では無い。
愛情表現を強要されているだけなのだ。
「むぅ……。今日のキスはちょっと投げやりな気がする」
「おはよう。今日の焼き加減は?」
「おはよう。今日は半熟が良い。絶妙なやつを頼むよ」
「了解。さっさと着替えて顔を洗って来いよ。早くしないと中まで火が通ってしまうぞ」
俺は主人の返事を待たず部屋を出ると、階段の下に聖剣と最強の盾を置いて台所へ向かう。
主人の選んだフリフリのエプロンを着けたら調理開始だ。
主人のオーダーは絶妙な加減の半熟の目玉焼き。
俺は慣れた手付きで調理を開始する。
フライパンに落とした卵の白身が固まって来た頃、パタパタと足早に階段を下りる主人の足音が聞こえて来た。
目玉焼きを皿に乗せて畑で採れたミニトマトを添える。
以前、葉物があった方が色合いが良いと思って用意した事があったけれど、『ウサギじゃない』そう言って食べようとしないので皿に乗せるのは目玉焼き、ミニトマトだけだ。
テーブルに皿を置き、ロールパンを乗せる。
主人がテーブルについたタイミングでお気に入りのグラスにミルクを注ぐ。
シンプル過ぎだと思うかもしれないが、主人にとってこの朝食は何物にも代え難いご馳走なのだ。
「素晴らしい! 白身がふんわりとして、それでいて半熟の黄身がとろける様に白身と混ざり合い口の中で広がっていく! 正に絶妙! 私のオーダー通りだ。やはり君は料理の天才だね!」
大袈裟に喜ぶ主人を横目にコーヒーを淹れたカップを持って主人の向かいに座る。
「大袈裟過ぎ。毎朝同じ物を用意しているんだ。そのくらいの加減なら出来る様になるさ」
主人と二人で暮らし始めてもう何年になるだろうか。
魔物との戦いで不覚を取った俺は、森の中で行き倒れていたところを今の主人に拾われた。
九死に一生を得た俺は、恩返しがしたいと申し出た。
良かれと思って口にした結果がまさかこんな事になろうとは……
「やはり君を勇者にしておくのは勿体ないと判断した私の目は正しかったよ」
そう。俺は元勇者。
魔物の王である魔王を倒す為に、この国の王様から聖剣と最強の盾を授かり、魔王を探して旅をしていた。
「勇者が炊事に洗濯をしているだなんて国の連中に知られたら、皆さぞかし驚くだろうな。けど、こんな田舎町で魔王がひっそりと暮らしていると知った時には俺も本気で驚いたよ」
「"元"勇者だ。君は今、私の下僕なのだ」
「そうだったな」
俺の主人は魔王。勇者の敵。
行き倒れていた俺を救ったのは魔王だった。
初めて彼女を見た時、とても美しい女性だと思った。
それがいけなかった。
俺は彼女のチャームにかかり、彼女の正体が魔王だと気付いた時には、下僕として魔王の棲家に連れて行かれる事になっていた。
勇者である俺に魔法をかけるだなんて本物の魔王にしか出来ない。
俺は自分の愚かさに絶望し、魔王の下僕として生きることを受け入れるしか無い状況に自害すら覚悟していた。
これから先に待ち受けるであろう屈辱の日々を思えば、それが最善の判断だと思っていた。
…筈だった。
連れて来られた場所はご覧の通りの田舎町。
周りには深い森と豊かな農場。町の中には美しく澄んだ小さな小川が流れ、人々は慎ましく穏やかに暮らしていた。
町外れにある小さな家の前で、魔王を名乗る彼女は控え目な胸を精一杯に張ってこう言った。
『今日からここで私と一緒に暮らそう! 君が恩返しをしたいと言うのなら、私の身の回りの世話をして欲しい。私はその……家事が出来ないんだ』
あの光景は今でも忘れられない。
美しい金色に輝く長い髪を風になびかせ、血の様に赤い瞳をした魔王が照れ臭そうに顔を赤らめていた。その上、精一杯の虚勢を張りながら家事が出来ないと言ったものだから、おかしくておかしくて。
次の瞬間には俺は腹を抱えて笑っていた。
勿論、そんな俺を見て彼女は怒ったけれど、いつの間にか二人して笑っていた。
こうして魔王である彼女との生活を受け入れた訳だが、今では満更でもないと思っている。
彼女は魔王らしい事を何もしない。魔物を使役する事も、人間を苦しめる事もしない。それどころか、人間と変わらない普通の生活を送っているのだ。
元とは言え、勇者の俺が側にいるのなら問題が起きたとしても大丈夫だろう。
そう考えれば、魔王を探して宛のない旅をしていた頃よりもずっと良い暮らしが出来ていると思う。
そうそう。俺の名前はウィル。人間の元勇者だ。
彼女の名前はシャルロット。魔族で現役の魔王だ。
魔王らしくない名前だと言ったら、私らしいから問題無いと笑っていた。
確かに彼女の笑顔には良く似合っている。
「ごちそうさま。さて、今日の朝食も実に美味だったよ」
「お粗末様でした」
「お昼はオムライスが食べたい」
「もう卵が無いんだよ」
「隣のお婆さんの家で分けて貰うと良い。最近新しく飼い始めた雌鶏が沢山卵を産むと言っていた」
彼女は町の人達と仲が良い。
俺が気が付かない内にいろんな情報や物を仕入れて来る。そのおかげで生活に殆どお金が必要無いのは、家計を預かる身の俺としては有り難い。
彼女は本当に魔王なのかと疑いたくなるくらい、人間社会に馴染んでいる。
「じゃあ、これを片付けたら卵を分けてもらえないか、お婆さんに尋ねてみるよ」
「やったあーーー! 今日のお昼はオムライスだ!」
子供みたいにはしゃぐ魔王にミルクのおかわりを注いで片付けを始める。
こんな風に俺の一日が始まるのだ。
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