第三十話 渦中(二)

 厨房で祭礼に使う食器を倉庫の奥から出し、およそ普段の生活の三月分かと思うほどの大量の皿洗いと皿拭きを手伝い終えると、ウェスペルはソナーレに連れられ、今度は衣装部屋で何十枚もの礼服と格闘していた。一枚一枚、皺がないか、ほつれがないか、汚れや虫食いがないか確認しては、衣服と装飾品を一人分ずつ組にしていく。祭礼の最中、一つの役職につきそれぞれ何度も着替えるというから、一人分といっても十枚を優に超える量だった。服はどれも上質で、飾りも華美でこそないが繊細で目を見張る。埋もれるほどの量さえ無ければ、ウェスペルの手は一着ごとに止まってしまっていただろう。

 点検を終えた服をソナーレの指示する順番に積み上げていると、廊下から四人の女性が賑やかに入ってきた。

 あ、見つかっちゃう、とウェスペルが思った時にはもう遅かった。四人のうちの一人がウェスペルに駆け寄り、軽く一礼するや嬉々として巻尺を取り出した。

「ひーめーさーまぁ、もう楽しみにしてたんですよっ! 一周忌のお衣装も豊穣祭の祭服もお任せくださいませ!」

「一周忌のほう、王妃様の昔のお衣装、直さなくちゃなりませんからね」

「あら、お祭りのお飾りだって、今年の姫様には代々継がれる耳飾りをつけていただくのですから念を入れなくちゃ。王妃様亡き後ですからね、後継者として初の祭りですもの」

「そんな畳むのなんて私達があとでやりますから早く早く」

 ウェスペルが言葉を挟む間もなく、針子たちはきゃいきゃいと騒ぎ立てる。ソナーレさん、と救出を求めようと口を開けると、当のソナーレは鋭い視線を寄越して即座にウェスペルの言葉を封じた。

「さあさああなたたち、姫様はお忙しいのですから、お喋りもほどほどに早く済ませなさいな」

 はぁい、と楽しそうな返事と共に、若い針子たちはそれぞれ衣装山の奥から長衣やら靴やら装飾品やらを持ち出すなり、針を糸に通すなり、ウェスペルの服を脱がすなり、てきぱきと動き始める。

 ――やられた。

 アウロラが自分をこちらへ寄越した理由はこれか。つまり、自分は身代わりだと悟られないように演技をしろということだ。だからといって城の事情も知らない自分が城の者相手にあの才気煥発なアウロラの真似など至難の技だ。ウェスペルはへまをしないよう、なるべくだんまりを決めこむことにした。

 針子たちに着せられるままに、まずは漆黒の長衣に袖を通す。肩からさらりと下がる袖には黒糸の植物紋様が走り、室内の照明に照らされると白銀しろがねに光った。足先まで真っ直ぐに下がる衣の裾はウェスペルには少し長く、針子がそれを踝が見える位置まで器用に裾上げしていく。

「王妃様も細くていらっしゃいましたから、あまり直さなくて平気でしたわね」

 衣が体に自然に合うよう、袖の長さや腰の絞りの調節が終わったところで、すぐさま長衣を脱がされ別の衣を頭から被せられた。今度は祭りの衣装だろう。微妙に色の違う薄布を重ねてしつらえられていた。膨らみのある下衣に足を入れると踝のところで少しだけ締まっている。上衣の方は腿の位置まであり、広がる裾を押さえる形で上から長い腰布が巻かれた。重さを忘れるほど軽い布越しに足の動きが透けて見える。どんな素材でできているのか不思議だが、薄桃色に見えた一番上の布は光を浴びると万華鏡のようにきらきらと色を変え、その効果で下に着ている服の色も揺らめいて美しい。思わず感嘆が漏れた。

「貝殻の裏側みたい……」

「あら、姫様は貝殻をお持ちでいらして?」

 針子の一人が羨ましそうに聞いた。言われてみれば、地図で見たこの国は内陸にあった。

「いいなぁ。姫様、わたくし一度は貝殻を集めてみたい」

「私はひとつ持ってるわ。商人の友人に貰ったもの」

「海の碧やお日様を映してきらきら光るのが貝殻なんでしょう? 大きな海も見てみたいわ。婚礼の休暇にでも行こうかしら」

「婚礼の相手が先でしょう? 商人でも旦那に貰わないと、テハイザにある海なんて簡単には行けないでしょうけどね」

 きゃわきゃわと、途端に恋愛談義に声を高くする針子たちだが、さすがと言うべきかその手は止まらない。見事な手際で、頭には羽根の模様が刺繍された絹糸織りの飾りが止められ、首には柔らかに肌に触れる草色の薄衣がかけられる。そしてウェスペルの身丈に合わせ、揺れる腰布の長さが詰められ、裾や袖口の幅もすいすいと調整されていった。

 すこしゆるすぎると感じた衣装は、流れるような針子たちの手捌きで体にぴったり合う大きさに直された。どこを曲げても布が四肢の動きに自然について来る。

「姫様、こちらが王妃様もお使いになったものですわ」

 小さな木箱から針子の一人が差し出したのは、明るく碧い玉と珊瑚色の粒が連ねられた耳飾り。そういえば、先にあてがわれた髪飾りにも同じ色の宝玉が縫い付けられていた。

 ウェスペルは耳飾りを受け取ったものの、片手を宙に浮かせたまま躊躇した。

「これは、が今、着けて良いものではないでしょう」

 横で監督していたソナーレの方を窺う。アウロラが母親から受け取る伝統の品ならば、ウェスペルが触れてはならない気がした。ソナーレはウェスペルの言葉に目を細める。

「少し御髪おぐしを直してからにしましょうか」

 そうして、ぱんぱん、と大きく手を叩き、針子たちのお喋りを止める。

「さぁさ、姫様はまだ色々なご用意が続きますからね。最後の仕上げは後にしましょう。今はここの始末はいいから、先にこれをお洗濯してほつれと取れてしまった留め具を直してきてちょうだい」

 はい、はい、とソナーレは、先ほど仕分けた衣装の山のうち、汚れや壊れたところを見つけて分けておいた布の束を針子に渡す。針子たちは「はぁーい」と素直に返事をするや、入ってきた時と同じくきゃらきゃらと騒ぎながら廊下に出て行った。

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