第四話 予兆(四)

 少女は不安に襲われた。後ろの道が閉ざされるなど、普通ならばありえない。幻を見ているのか、そうでないのならば夢だ。再び前を向く。依然として変わらぬ金色の木々。そして後ろを。やはりそこには生い茂る葉が天空に向かって伸びているばかり。獣道らしきものすらない。

 前に進まなければ。

 鼓動が大きくなっていくのを覚えながら、少女の中に義務とも言うべき感覚が広がっていく。前に進まなければならない。立ち止まってはいけない。ただ道が延びるまま、木々の間を抜けなければならない。

 歩みが次第に早くなる。胸の内で不安が渦巻く。しかし理性から外れたところで何かが切れた。少女は走り出していた。前へ進まなければならない。もつれて思考が形を失う中、その思いだけは鮮明に在り続けた。

 木の葉が舞う。視界を遮る。それでも少女は止まらなかった。

 目の前を光が覆い尽くす。

 それでも、目をつむるわけにはいかない。頭のどこかで声が聞こえる。走った。もはや木々の形状は把握できず、葉が放つ輝きばかりが少女の周りにある。走った。動悸が耳まで壊しそうだ。走った。五感が麻痺してくるようだ。

 それでも構わなかった、止まることなどできなかった。

 光が裂かれた。

 

 


 初めに異変に気づいたのは、鳩の世話を手伝っている城の見習いの少年だった。全ての伝書鳩が檻から出されるのは、毎日朝の散歩の時間と正午の十分前。その時に伝令に出していない鳩も一緒に遊ばせてやるのが決まりである。伝書鳩の届ける知らせは国政に関わる重要事項を含むので、帳簿に記録をとり、厳密に管理する。檻から離すのは老中の立会いの下で行われる。また、城の朝礼や会議への伝達のため、鳩を飛ばす時間をずらすことも許されない。そのため見習いにとって、鳩の管理は業務の中でも特に緊張を伴う仕事であった。

 さて、少年の午前の仕事の流れは決まっていた。朝に鳩を放ったあと、再び彼らを檻に戻してから厨房を手伝い、厩舎の掃除を済ませ、続けて放つべき伝令がないか城中に聞きまわる。それから老中の政務室に立ち寄り全ての伝令を報告し、老中と共に鳩がいる石造りの塔に登る。政務室に着くのは大体、鳩を放つ十五、六分前である。

 ただ今日は伝令が多かった。言われた連絡事項を帳面に書きつけるのに時間がかかり、城を回り終えるのが常よりも五分ばかり遅れた気がする。いささか焦りを感じ小走りに廊を駆けながら、庭に面した回廊に出たところで、時間を確認しようと庭の石垣の向こう、城下町の中心に丈高く立つ鐘楼を見やった。

 少年の息が止まった。

 予想に反する文字盤が見えたのである。

 時計の針は、まだ正午一時間前を少し過ぎたところであった。いや、そんなはずはないのだ。確かに厩舎の掃除が終わったのは正午の一時間と十分前であって、城中を駆け回るのに少しの伝令の量でも四分の三時間はかかるのだ。

 時計が壊れるはずはない、自分の仕事が速かったのに違いない。

 そう頭では言い聞かせながら、少年の胸は激しく高鳴っていた。

 文字盤が太陽光を跳ね返してぎらりと光る。

 廊を抜ける足が速まった。

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