願いという魔法


「いててて」


「糸ちゃん、大丈夫? 体はクロの体だから、むずかしいことだけど」


「うん・・・ちょっと右足が痛い、高くジャンプしすぎた。ごめんねクロ」

と私があやまったので、ミミミはクスリと笑った。


「クロ、大丈夫かい? 」


とおばあさんが心配そうに言ったので、私はおばあさんの膝の上に乗ってみようと思った。テーブルとの間があんまり空いていないけれど、やってみることにした。

ピョンとさっきの半分ぐらいジャンプして、すっと体をかがめると、おばあさんの膝にストンと乗ることができた。

「大成功、糸ちゃん」

「うん、ミミミ、上手くいった! 」

おばあさんは長い袖、スカートの上にエプロンをしていたけれど、そのどれもがボビンレースとは全く逆の、何処にも飾りのないものだった。私は猫のように、膝の上で尻尾をくるんと体に巻いてしゃがみこむと、とても気持ちが良かった。小さい頃お母さんの膝枕で寝ていたときと、全く同じだった。

おばあさんは、優しく私をなでて


「お前も少し食べるかい? 」とケーキのひとかけらを私にくれた。私はそれを口に入れたとたん、ものすごく良い香りが体中に広がった。わざとかけらをおばあさんのエプロンの上に落とすと、ミミミが出てきておいしそうに食べていた。


「ミミミ、とってもおいしいね! 」

「このころのバターだからね、きっと最高においしいだろう」

と二人で話していると、それに加わるようにおばあさんが話し始めた。


「そうかい、おいしいかい、良かった・・・これで十分だよ。

やっぱり、無理だったんだね・・・レースのベールを仕上げることは。あの子の母親にさえしてやることはできなかった、あの頃は忙しくて。

やっぱり私の目も、あの天上のレースと一緒に神様の所に行ってしまったのかね」


おばあさんは悲しそうに私を撫でた。私はおばあさんの目をじっと見た。老眼ではなくて、明らかに病気の様だった。全く見えていないわけではないけれど、あの細かなボビンレースを作るだけの視力はないのだ。


「何のために、森の一軒家まで借りたんだろう、ここなら適当に湿り気があって、細い糸が切れなくていいだろうと思ったのに、私の目がたえられなかった。私だけがやはり特別ではなかったんだね。それでも私はまだ良い方だ、体も極端に悪くはなっていない、目も、何とか生活することはできるだけ残っている。あの天上のレースを作ったほとんどの人は、みんな・・・逝ってしまったか、私より若くてほとんど見えない人も身体をひどく壊した人もいる。私はあのレースを超えるものを作りたいとおもったから、いけなかったのかね・・・あとほんの少しで完成だったのに、あの子の結婚式に間に合うはずだったのに・・・」

おばあさんは泣き始めた。

「おばあさん・・・」

「クロ・・・お前は優しいね、いつもなぐさめてくれる。そうか、お前には天上のレースの話をしてやったことがなかったかね、今日は珍しく、ずっと私を見ているようだね・・・話してあげようか、天上のレースの事を」

懐かしそうに、でもさっきよりどこか楽しげにも見えた。



「今からもう、三十年以上前にだよ。大きなベールの注文だった。有名な美しい貴婦人からで、私たちはみんなで「今までで一番のものにしよう」と本当にたくさんの職人がそれぞれの技で作り上げたんだよ。何年もかかったけれど、出来上がっていくほど、地下の湿った作業場に、だんだんと光があふれてくるように感じた。暗い中、太陽の優しい光がさしているようにね。みんな自分たちが作っているもののはずなのに、何故だか心が洗われるような気がした。そして出来上がった時、みんなで


「これほどすばらしいものができるなんて奇跡の様だ」


と言って喜んだんだよ。

それを受け取った貴婦人は


「神の祝福を受けた、光り輝く天上のレース」


と言ったそうだ。そしてその貴婦人は、天上のレースをかぶった自分の姿を画家に描かせた。その絵は私たちが作ったレースが、とても細かく描かれているらしい。見た人から聞いたよ。

本当にできた時はうれしかった・・・でもその後からどんどんとみんな体をこわしていった。考えればずっと天上のレースを気を張りつめて作っていたからね・・・当然のことだったのかもしれない・・・本当に、私は長く生きて、孫が結婚するまで命があったことだけでも十分なはずなんだけれど・・・」


 私は声が出なかった。あの美しいボビンレースを作った人たちが、そんなに大変なことになっていたなんて知らなかったのだ。博物館の展示をキチンと見ていなかった。

昔は電気もなくて、暗い中作業をしなければならなかったから、なおさらだったのかもしれない。

でも一つ思い出した。

アルプスの少女ハイジでも、お医者さんがペーターのおばあさんの目を診察して

「見えるようになるかも」と言っていた。


「ミミミ・・・おばあさんの目も、今のお医者さんなら直せるんだろうね」


「そうだろうね、だったらそれを「願い事」にしてみたら、糸ちゃん」


「できるの!!! 」


すっかり忘れていた、久重さんが本物の幽霊のようになって、わざわざ私の部屋にやって来た時のことを。


「願い事が一つだけかなう、それなら、おばあさんの目を見えるようにして! あの結婚式のためのレースのベールを完成させられように! 」

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