第5話「“抜く”に惑う男」

 思い返せば、山城の人生は“抜く”という行為に振り回されてきたものであった。

 

 山城に限ったことではなく、誰しもが多かれ少なかれ類似した体験をしているはずだが、山城はそれらのひとつひとつを必要以上によく覚えている。


 今朝もそうだ。

 自宅リヴィングでまわしている扇風機のコンセントを、山城はいつも抜いてから外出している。外出の直前に抜く、などと決めているわけではないが、自身の中で当然のルーティーンと化しているため、わざわざ時間を置いて二度、三度と確認することもない。

 

 それでおおむね問題ないが、今日のように時折、忘れたころに煩わされる。それも、駅の改札を抜けて急行に飛び乗った直後などという、この上なく間の悪いときにふっと思い出すのだ。家の鍵ではあるまいし、仮に一日忘れたとしてもたいして不都合は生じないと判っていても、そういう場合は結局、往復一時間ほど浪費をしても引き返すことになる。芳江が非番で家に居ればなんの問題もないものの、山城がそのように惑うのは決まって芳江が朝早くに出社して家が空になっている日であった。

 

 そうして戻った場合、扇風機のコンセントは正しく抜かれており、ため息ののちに冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを取り出して水分補給をするところまでが、山城にとっての第二のルーティーンとなっていた。


 昨日の出来事もそうだ。

 昼休み、職場の近くに新しく開店したラーメン屋に入った。

 さほど珍しくもないチェーン店だが、訪れたことがなかったので、山城はいつもの定食屋を素通りして入店した。

 その店で最も人気の味噌ラーメンを注文すると、三分ほどで提供された。腹が減っていたので鼻歌まじりに割り箸を割り、どんぶりに目をやると、チャーシューの横に髪の毛が混入していた。

 店員に伝えて新しいラーメンの提供を要請するも、店員は平謝りののちにどんぶりから髪の毛をさっと抜き取るのみで、交換などできないと峻拒しゅんきょするのだ。こうしたアクシデントが別段珍しいことでないことは判っていたが、店員のいささか横柄な態度が引き金となり、山城はカウンターに左右の拳を叩きつけ、こんな店は即刻つぶれてしまえと吐き捨てたのちに割り箸とれんげを店員に投げつけて退店した。 

 

 なぜそれほど業腹ごうはらに思ったのか、今振り返れば山城自身も不思議に思った。しかし、あのときは実に腹立たしく、他の場所で食事をし直す気にもなれず、昼食を抜いたまま午後の仕事を迎えた。

 空腹のためか、普段であればやらないようなケアレスミスを犯し、山城は上司からひどく説教を喰らった。


 他にも、山城の“抜く”という言葉にまつわるエピソードは多岐にわたった。

 

 学生のころからなにかと手を抜く癖があり、小学生の中ごろよりその手法を覚えた。

 宿題は、入念に確認される科目だけを取り組んでそれ以外はおおむね手をつけなかったり、体育の時間には、教師の目がそれているうちに、体育館から抜け出して校舎裏で休んだりした。適当に時間をつぶし、戻るときは何食わぬ顔をして集団に溶け込むのは山城には朝飯前だった。

 また掃除の時間は、他生徒や教師に見られていないときは取り組んでいるふりのみをした。床に多少のほこりやごみくずがあろうがなかろうが、生徒も教師もさほど関心を示さないことをわかっていた。

 

 そういう要領で、山城はのらりくらりと大学卒業まで馬齢ばれいを重ねたのである。

 自身の器量の悪さが、女子生徒からの反応の乏しさに関連していることを幼少期のうちに察するほど勘がよく、勘がよいゆえに絶妙な手抜き加減でもって日々を送った。

 

 社会に出てからも同様で、仕事は必要最低限だけをこなし、手の抜けそうなところはとことん抜いた。単純なサボタージュだけではなく、業務の効率化というベクトルに向けても手抜きの心理は働いていたため、山城にとって必ずしも悪癖というわけではなかった。


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