Le Coucou カッコウ

増田朋美

第一章

Le Coucou カッコウ

第一章

「おーい、ご飯だよ。」

今日も杉三が四畳半にやってきた。水穂は、薬がまだ切れて居なかったのか、杉三が声をかけても何も反応をしなかった。

「ほら、起きて。ご飯だから。いつまでも寝ていちゃだめだい。」

由紀子がおかゆのはいった皿を枕元に置いてやる。トントンと肩をたたいてもなにも反応をしない。

「おーい、食べようぜ。」

ちょっと声を大きくしてそう呼んでみたのだが、やっぱり反応しないのだ。

「ほらあ、変なこだわりはやめて、早く起きてくれよな。」

杉三がもう一回言うと、

「食べたくない。」

水穂は、しずかにと言うかぼそりと言った。

「ダメよ、食べなくちゃ。早くしないと冷めちゃうわよ。」

由紀子も一生懸命その話に乗らせようとするが、

「食べる気がしないよ。」

と水穂はまた言った。

「それじゃあだめだあ。食べないとたいへんなことになるから、とにかく食べなくちゃダメ。ほら、起きて、起きてよ!」

終いには由紀子も杉三もいら立って来て、とうとう杉三が掛布団をはぎ取った。

「ほら、食べてよ。」

杉三が、お匙を水穂の口元までもっていく。ほらあと食べるように、催促するが、どうしても口に入れない。

「口を開けてよ。」

終いにはそんな指示までするようになってしまった。水穂は、匙を受け取って、こわごわ、口の中に入れる。

「よく噛んで食べるんだぞ。すぐに飲み込んだらいかんぞ。」

杉三に言われて、動かしづらくなった口で、一生懸命おかゆを噛んでいる水穂だったが、途中で激しく咳き込み始めてしまった。

「馬鹿、言っているそばから。」

由紀子は口元へ白いタオルを当ててやると、水穂は咳き込んで中身を出してしまうのである。中身には、食べたものと同時に血液もあった。

「あーあ、結局これだもんな、もうどうしたら、ご飯を食べてくれるようになるんだろうね。どんなにおだてて食べさしても、すぐこうしてきれいに吐いちまう。僕らは一体どうしたらいいんだ?これじゃあ食べようという気がしないのも、わからないわけでも無いなあ。」

杉三がそういうと、由紀子が、その匙をひったくって、おかゆのはいっている茶碗のなかに入れた。そしてお匙を水穂の口元へもってくる。

「ほら!」

由紀子がそうしても、先ほど吐き出してしまったのが怖いのか、すぐ左の方へ、首を向けてしまうのだ。

「ねえお願い!」

水穂はまた首を背ける。我慢できなくなった由紀子は、水穂の口の中へお匙を突っ込んだ。杉三が

おい、何をするんだと注意するが、由紀子はそんなこと気にしなかった。

「お願い、頑張って飲み込んで、お願い!」

そういっても由紀子のいう通りにはならなかった。水穂は激しく咳き込んだ。ところが今まではすぐに出るものは出るはずなのに、今度は咳き込んでも出てこなかった。

「あ、こりゃまずいぞ、気管にご飯が入って、出せないのかもしれない。人間入れるところを間違えただけでも、すぐに死んでしまうこともあるからな。」

杉三がそういったため、由紀子はとんでもないことをしたということに気が付いた。とりあえず杉三が、その背中をたたいたり、さすったりしてやっているが、やっぱり出るべきものは出ない。遠くで誰かがこんにちは、と言っている声が聞こえた様な気がしたが、返答する余裕がある人など誰もいなかった。

ふいにふすまがピシャンという音を立てて開く。

「もう、いくら声をかけてもお返事がありませんので、どうしたのかと思ったら、こうなっていたんですか。おそらく、ご飯を誤って気管に入れてしまったんですね。年寄りがお餅を気管に詰めてしまうのと一緒です。こういう時は単に、背中をたたくだけじゃ、ダメなんですよ。先ず、気道を確保しなきゃ。」

と言いながら入ってきたのはジョチであった。杉三がすぐに、あ、悪いねと声をかける。ジョチはそれに返答はせず、咳き込んでいる水穂を手際よく横向きに寝かせ、

「誰か口の周りにタオルを当ててください。たぶん大量に出すと思いますから。」

といった。おう、と言って、杉三が白いタオルを口元にあてがってやった。由紀子はまだそばにいてやりたくて、くるしんでいる水穂さんの体にしがみついていた。ほら、どいてとジョチがそれを引き離す。

「じゃあですね、ちょっと残酷なやり方かもしれないですけど、皆さんも我慢してくださいね。じゃあ行きますよ、せえの。」

と、ジョチは水穂の肩甲骨のあいだをバン、バン、バンと三回平手打ちした。由紀子は怖くなって、目を両手でふさぐ。同時に激しく咳き込む音がして、そのあとは電源を切ったようにしずかになってしまった。もう目を開けて、良いのかと思ったら、目の前に大量の血液のついたタオルが飛び込んでっきたので、由紀子は思わずわあああと叫んでしまう。

「よし、うまくいった。ご飯粒は、顔にくっつけるのは害はないが、気管に入ってしまうと、こんな大騒動になってしまうのか。ああ、僕も正直、怖かったねエ。」

杉三が間延びした声でそういったが、由紀子はまだ泣き続けていた。水穂はやっと詰まらせたものが取れて、やっと楽になったのか、肩で大きく息をし、静かに眠ってしまった。多分疲れ切ってしまったのだろう。

「よかったあ、ジョチさんのぶったたきが早かったからなあ。遅かったら、水穂さん、窒息してしまう所だったぜ。」

「ええ、これは、正確に言えば、背部叩打法と言いましてね。僕が子供のころ、鼻水が気管に流れ込んで、詰まってどうしようもないときに、義父がよくやってくれました。単にその経験で知っただけの事です。大したことはありません。」

「なんだ、子どものころにやってもらってたのか。」

ジョチがそう種明かしをしてくれたので、笑いだしてしまった杉三であったが、由紀子はその間にも泣いて泣いて仕方なかったのである。

「由紀子さん、そんなに泣かないでくださいよ。これは老人介護とかそういう事であれば、よくある話なんですよ。だから仕方ないこととして、あきらめてください。」

「ですけど。」

由紀子は、涙をふくこともなく、泣きながら言った。

「でも、原因を作ったのは私なのですから、もういくら自分を責めても責めきれなくて、どうしようもないんです。もうあたしが、水穂さんにああして無理やり食べさせなかったら、こんなことは、起こらなかったのかもしれない!」

「由紀子さん!」

ジョチは、取り乱して泣いている由紀子をそう制したのだが、由紀子はまだ泣いたままだった。

「確かに、若い女性がこういう場面に遭遇すると、パニックしてしまうというのはやむを得ないことかもしれませんが、、、。」

それはある意味仕方なかった。

「まあねエ。誰でも人間ですから、ミスをすることはありますけれども、こうして危うく窒息するまでいってしまうようであれば、はっきり言ってしまえば困ります。由紀子さん、確かに気持ちはわかりますが、もうちょっと、感情的にならないでたべさせるべきではありませんか?」

ジョチがそう注意しても、由紀子は泣いたままだった。由紀子は、もう他人の話など入ってこないかの様に泣き続けた。

「由紀子さん、ちゃんと話くらい聞きな!」

杉三もそういうが、やはり効果はない。

「困ったなあ。でも確かに若い女性にはちょっとショックの強い映像だったかもしれないね。それは、わかるけどさ。でも、これからこういう事はすぐ出てしまうと思うぞ。」

杉三とジョチは顔を見合わせた。

「まあ、今回は、初めての事ですから仕方ありませんね。彼女も、立ち直るのは難しいでしょうから、暫くそっとしておいてやった方がいいですね。しかし、水穂さんの世話をする大切な人材がかけてしまう事になります。それでは困りますから、僕が買収した会社から、一人手伝い人をよこしましょうか?大体の人は、こういう仕事は女性の仕事と思われがちなものですが、意外に男性のほうが向いているという場合もあります。そこに乗じて、男性の手伝い人を集合させて、会社を設立した者がおりましてね。まあ言ってみれば、看護婦ではなくて、看護夫家政夫紹介所みたいな感じの会社ですね。」

ジョチがそういうと、杉三がうれしそうな顔をして、ぜひ連れてきてくれと言った。いつまでも由紀子さんと二人ではなく、もう一人居たほうがたしかに心強いと杉三は喜んだ。

「じゃあ、そうしましょう。すぐ、事業所のほうまで電話しますから、僕は先にこちらを失礼しますけど、杉ちゃんはちょっと部屋の中を片付けるなりして下さい。」

「おう、わかったよ!」

部屋を片付けるということは、つまり私を追い出すという事なんだなと由紀子は思った。そのまま、もうだめだと思って、呆然と部屋の中にいると、

「由紀子さん、あなたにも頑張ってもらわなければいけませんよ。女性にしかできないことだって、必ずあるんですから、しっかりやってくださいませね。」

ジョチさんにそういわれて、由紀子はやっと涙を拭いた。

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