洞窟の先

kariee

第1話 洞窟


 石崎は、地方都市の私鉄で、これから勤務することになる新店舗に向かっていた。


 電車の窓から見える地方都市は、小雨の中、静かに動き出していたが、石崎は、しばらくは過ごすことになるこの街に何も感じるところがなく、スマホに目を落とした。





 その日の前々日、新店舗の工事が遅れたおかげで休みが取れて、移動日も含めてだが久しぶりの2連休になった。しかも土日で。


 石崎は、付き合っていた彼女の誕生日が近いこともあって何ヶ月ぶりかのデートをした。

 買ったばかりの黒のレクサスIS、べつに給料がいい訳ではなかったが、休みがないので使い道がなかった。で、元バイトの子で、今は就職して虎ノ門で働いている一つ年下の彼女をひろい、横浜のインターコンチネンタルホテルに一度チェックインして、二人で中華街の高級店で腹いっぱい食べてから、湘南の海岸沿いの道をドライブした。



 レクサスは、方向転換しようと入った路地で一時停止を無視した地元の車に結構派手にぶつけられ現在修理中、で、現在、電車で通勤する羽目に。



 石崎と彼女は、警察官に事故証明書を作成してもらいレッカー車を待っている間、軽自動車に乗っていたカップルと意気投合し、近くのコンビニでビールを買い込んで、四人で浜辺で飲んだ。

 タクシーでホテルに戻り、何かのついでのように二人だけの時間を過ごしたあと、ぐっすり眠り、翌日を迎えた。

 彼女とは新宿駅で別れた。

 

 石崎は一度実家に荷物を取りに戻った。


 別れ際に彼女が言った、新幹線で1時間だし、という有りがちな言葉は、いつでも会えるから何か特別の日だからといって会いには行かないという、よく使われる伏線の方に思えていた。


 新幹線の中、彼女からのlineは、現在の自分がいかにアクティブかを旅行の予定を告げることで最後の言葉をフォローしているようで、その普段は見せない稚拙なアピールに、石崎は、浮気の疑いを消すというよりも、恋愛以前の個人の問題として想像したくない、シラケた未来への恐怖を連想する響きを彼女自身が感じ取ったからのような気がした。

 石崎もゲーム感覚でそれを避けることで自分の動きを止めずにいられた。動きが止まれば死んでしまう。彼女も石崎も真剣に生きているのだった。

 



駅に着きタクシーを拾うと、住所を伝えた。




 新店舗は、国道を逸れてすぐのところにある、大型スーパーマーケットの外に面した一階部分にある。開店前のガラリとした駐車場に佇む白いスーパーマーケットの建物はスフィンクスを連想させた。


  首都圏以外で初めての新店オープンとなった、この小さな地方都市は、どうやら新社長の母親側の実家があるらしかった。と言っても、父親はアメリカ人で本人もアメリカ育ちの社長からは郷土愛は感じられず、おそらくマーケティングの実験店舗ではないかというのが石崎のの人たちの意見だった。

石崎の勤務するピザデリバリーチェーンは昨年、アメリカの投資会社に買い取られ、社長もそこからの出向だった。


 石崎は、これまで都内西部の郊外店を研修期間も含めて、6店舗経験し、成績もよかったのでそろそろハイセールス店舗を任される時期でもあった。 しかし、会社に対する愛情も仕事への熱意も特別ある方ではなかった石崎は、上司からその話が出るたびに表面上はやる気を見せつつも、正直あまり乗り気ではなかった。そこに来ての、転勤だった。


 

 駐車場にポツりと停った会社のロゴの入りの車の前で、直属の上司がタバコを吸っている。


 石崎は、連休の礼を言って、自分もタバコに火をつけた。


「昨日、売れてました?」


「まあまあ、かな」


 小太りで背の低い上司は眠そうに言う。


 石崎は、自販機で缶コーヒーを買って来て、上司に渡した。


「おお、サンキュウ」


 上司は人の良さから、すぐ笑顔になる。


 この上司は、この新店の他に5店舗を管理していて常に寝不足だった。昨日もほとんど眠らずに都内を出たのだろう。今日は大量の備品の納品がある。それを自分たちで整理して、オープンに向けての計画書の手直し、現在管理している店舗で起きたクレーム処理とその報告書、上司のそのまた上司から押し付けられた必要、不必要な仕事などに追われていた。

 一方、石崎の気持ちは軽かった。 

 東京を離れたのは少し残念だったが、グランドオープンで2週間ぐらい忙しくなった後はヒマな店になるのは分かっていた。そして、なにより、他の店舗がどんなに忙しくてもヘルプに駆り出されることがない。シフトを調整すれば東京に戻って遊んで帰ってくるのも可能だった。


石崎が、年末の遊びの予定に頭を巡らせていると、一台の地元ナンバーの軽自動車が近くまで来て止まり、年配の男性が降りてきた。


「ピザや店舗の方ですか?」


 …そういえば、この建物の設備管理の人から電力量計などのメーターの場所などの説明を受けることになっていた。


「店長の石崎と申します。早速ですが――」


 石崎は早く終わらせたかったので、自己紹介交じりの雑談が始まる前に地下の機械室に案内してもらうことにして、設備管理の中年男性に続き、従業員通路から地下へと降りていった。

 

 買い物客は立ち入れない、地下2階のフロア。無機質な壁に、形式上の仕事、管理人のあとについてすこし憂鬱な気分になりつつ機械室へと歩いていた石崎は、ふと立ち止まった。




 無機質な廊下に突然、岩と土がむき出しの“穴”が、あった。




 その穴からは、駐車場の外気とは別の、冷たい空気流れ出している。




 何かのアミューズメント?


 そんな訳はなかった。その外観に、人を楽しませようという気配はまったく感じられない。




「これ…何ですか?」


「え?」




「これです」


 石崎は目の前の洞窟を指さして言った。


「この穴」




「ええ」


「こんなとこに穴が…あったら、マズイですよね」


 石崎は非常識的なものに対して、ごく常識的に質問をした。




「え、ああ」


「何かの工事中ですか?」




「いえ。そこは、」


  管理人はなにがそんなに珍しいのかという顔で答えた。




「そこは、カミの洞窟ですよ」




「…カミ?ですか」


「ええ。神様、神様の洞窟です」


 管理人は、当然のことのように言った。


 これは何ですか? これは、山です。これは何ですか? これは川です、のように、ほかに答えようがない、といった様子だった。




「はぁ…」


 石崎は少し不安になった。


 ……この人、頭大丈夫か? 見た目は普通だけど。




「入ってみますか?」




 絶対嫌だけど…。


「……いいんですか?」


 石崎は、断るのも怖い気がして、誘いに乗っておいた。




 …襲ってきたりしないよな。武器は持ってなさそうだけど。




 石崎の心配をよそに、管理人は、晴れやかな笑顔で答えた。


「ええ。構いませんよ」




 石崎は管理人につづいて洞窟に入った。

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