女神信仰団体
終焉の世代。
世界を滅ぼさんとした女神を討ち倒した英雄、ミーリ・ウートガルドの血と遺伝子を引き継ぎ。生まれた子供達。
神々から人類を護り、戦いに終焉を齎す使命を帯びた彼らを、世間はそう呼んで称えていた。
英雄と同じ髪色の双子、
そして悲しいことに、数えていないのは零の自己否定だけではない。世間からも、荒野零は世代の一人として数えられていなかった。
「おはよう、零」
「おはようにぃに――切にぃ」
赤子同然の姿で寝ていたことより、幼い頃の呼称で呼んでしまったことに恥じらう。
顔半分まで被ったシーツから出ている頭を病弱な兄に撫でられ、彼の咳が聞こえなくなってから布団から這い出る。
切より時間を空けて部屋を出たが、扉を開けた瞬間に伸びて来た手に小突かれた。
「いたぁ……って、パパ?!」
「まぁたお兄さんに慰めて貰ってたのかな?」
「も、もうパパ……」
二人の兄弟を超えた関係を知っているのは、父のミーリだけだ。
母親も勘付いているのかもしれないが、兄妹と秘密を共有する形で知っているのは父だけで、零自身、今でも怒られずに秘密にしてくれていることに驚いている。
だけど最初にバレたとき、父親の初恋相手が妹だったことを話してくれて、血は争えないなと笑って言ってくれたのが嬉しかった夜を憶えている。
だから今小突かれたのも、みんなにバレちゃうぞ、と共犯者の立ち位置から注意する意味合いだったから、ちょっと嬉しかった。
「昨日、本部で会議じゃなかったの?」
「そだよ。『俺の大事な娘の顔に傷を付けてくれた奴らを、絶対に許すな』って念押ししてきたとこ。それだけ言ってとんぼ返りしてきた」
「それ、大丈夫なの?」
「いいのいいの。尋問とか苦手だし、書類仕事はもっと苦手だから。出来る人にやらせればそれでいいんだよ。それに、直に見ておきたかったからね」
と、ミーリは零の前髪を上げて傷のあった個所を覗き込む。
やはり親子だからか、兄に触れられ、覗き込まれている気分がして、零は変に緊張して固まってしまった。自分の体が、若干熱を帯びていることまで感じる。
「よかった。傷はないみたいだね。ずっと心配だったんだ」
「あ、ありがとうパパ」
本当に、わざわざ傷の有無を確認するだけのために帰って来たらしい。
だけど過去にも母が風邪を引いたと連絡したらすぐさま飛んできて、後日そのとき放り出した仕事に追われて一ヶ月近く帰って来れない、なんてこともあった。
『英雄の父』にして荒野家の父、荒野ミーリはそういう人だった。だから憧れるし、自分自身の無力を呪う。
なんで自分は、父の良いところを受け継げなかったんだろうとばかり考えてしまう。
それこそ兄や、彼女達のように。
「あ、パパだ!」
「パパ……」
ミーリに飛びつく、体にも顔にもまだ幼さを残す少女が二人。
髪色は母と同じで黒く、双眸は父の片目と同じで青い。背丈も顔も一緒の双子。
荒野家次女、荒野
零と切の三つ下の妹二人。今年度ラグナロクに入学予定の、二人揃って最年少の終焉の世代。
ただし彼女達に自覚はなく、終焉の世代などに興味はない。彼女達が関心を向けるのは、いつだって大好きな父のことばかりだ。
「パパぁ、お帰りぃ!」
「お帰りなさい、パパ……」
「ただいま。いい子にしてたかな? 微、清浄」
「うん! いい子にしてたよ! だからパパ、ナデナデしてぇ!」
「パパ、私も……」
頭を撫でられる二人は、とても嬉しそうに破顔する。
二人は周囲からも不思議がられるほど父親に懐いていて、仕事でほとんどいない父の帰りを待ち続けては、帰ってくると常にベッタリくっ付いている。
大きくなったらパパのお嫁さんになる、だなんて幼い頃言っただろう文句も、思春期にもなれば綺麗さっぱりなくなってしまうものだが、二人は一五歳の今でも、気持ちは変わっていないらしい。
誰に似たのか、三歳の時に告白して一二年。未だ二人の恋人は父ミーリである。
「ねぇパパ、頬っぺ出して?」
「うん?」
せぇの、と双子揃って父の頬に口づけする。
恥じらいながらも二人揃って前髪を掻き上げて、強請る双子の額に順に口づけしたミーリは、再び双子の頭を優しく撫で回した。
自分が未だ恋人として見られているだなんて、さすがのミーリも思ってないのだろう。愛していることには違いないだろうが、扱いは家族だ。
その扱いに不満を感じる二人は、父の両腕をそれぞれ独占する。
少し行き過ぎているが、傍から見ればただ父親が大好きな娘二人。だが、零は二人の妹をそこらの同年代の少女らと同じに見ることは、出来なかった。
「ねぇねぇパパ! 来て来て! 私、霊力強化で家の屋根に飛び乗れたの! 凄いでしょ?!」
「へぇ! 凄いねぇ、微! その感覚を忘れちゃダメだよ?」
「うん!」
くい、ともう片方の袖が引っ張られる。
一番末っ子の清浄は人見知りで、姉とは対照的に恥ずかしがり屋だ。普段は姉の微を介して、もしくは同調して返事しているが、自分からとなると大好きな父相手でも呼びかけられず、袖を引くので精一杯。
だからミーリに気付いて貰えると、清浄はとても嬉しそうに破顔する。
「あ、あの、ね……パパ。私も、私もお勉強たくさん頑張りました。まだ、まだだけど、もう少し、で……武装の召喚、出来そう、です」
「そっか。頑張ってるんだね、清浄。あと少しが何か、ゆっくり考えてみな」
「う、うん……!」
二人は、生まれ持った才能に恵まれていた。
微は霊力操作の、主に身体能力を強化する術に長けていて、清浄は世界でも百人もいない、神々の霊術を扱える希少な存在。
何の才能も持たずに生まれた姉の代わりに、母の中に残っていた才能のすべてを拾い上げて来た双子の妹達。
彼女達までもが終焉の世代に数えられていることを、零は知っている。
複雑なのは、彼女達が終焉の世代だなんだという話に、まったく興味がないことで。
「あ、お姉ちゃん! 体はもう大丈夫なの?!」
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん……うるさく、しちゃい、ました……」
「大丈夫よ、ありがとね」
いっそのこと、蔑んでさえくれれば清々しいのに。
純粋に自分のことを心配してくれる妹二人に、最低なことを思ってるのは自覚している。
だけどなんの才能もなく無能と言われる零にとって、二人がこれ以上なく恨めしく、羨ましく、妬ましい存在であることは否定し切れなかった。
自分より才能のある妹が二人もいるということが、妹二人よりも劣る自分という解釈に変わって、零は自分を蔑んでしまう。
だがこのときばかりはミーリに肩を叩かれて、自然と自身を卑下するのをやめさせられた。
「微、清浄。お父さん、ちょっとお姉ちゃんとお話があるんだ。席を外してくれるかな?」
「えぇぇ! イヤ! パパと一緒に居たいぃ!」
ただでさえ、大好きな父は滅多に帰って来ないのだ。
数少ない一緒にいられる時間を、姉に独占されるのが嫌なのだろう。微は駄々を捏ね、清浄も何も言わないものの寂しそうだ。
ミーリは二人の頭を撫で回すと、優しく抱き締めた。
「また後で、ね」
「……うん! 絶対、絶対だよ?! パパ!」
「うん、絶対。約束するよ」
約束、の一言を貰って満足したらしい。
母譲りの美しい黒髪を揺らす双子は手を繋ぎ、一緒になって下の階へと駆け降りて行った。
「パパって、女の子の扱い慣れてる感じ時々出すよね……さすが、ママ以外に五人も側室いるだけあるよね」
ミーリが
最初こそ複雑だったけれど、父の遺伝子を後世に残すためだと聞いて納得しかけていた。
ただ最近、父が学生時代にあり得ないくらいに異性から人気があったことを知って、そのときの火遊びも多少あるのでは? と疑い始めている。
まぁ、五人の側室――義母とでも言うべき人達に会ったこともあるし、いい人達であることも知っている。疑う必要はないのだろうけれど、女性の扱いに慣れた部分を見せられると、どうしても疑ってしまうものだ。
「その言い方はやめなさい、零。世界を護るための政策とはいえ、俺は他の人達のことも好きなんだ。そして彼女達も、わかった上で今の場所にいてくれてる」
「……ごめんなさい」
同時、父が最愛の妹を婚約者に殺されたことも、世界を護るためにその婚約者を殺さなくてはいけなかったことも知っている。
だから怒鳴られはしなかったものの、零は静かに注意され静かに反省した。
反省の色が見えると、ミーリは零の頭を先の双子同様に撫で回す。改めて手の感触で傷の有無を確かめ、よかった、と小さく漏らした。
「それで、話って何?」
「うん、ちょっとね。気を付けてねって話」
年頃の女子にしては珍しく、零は父を部屋に入れることにそこまでの抵抗はなかった。
双子の兄と部屋を共有していて、当然ながら兄と父が凄く似ているからかもしれない。
だけど今日に限っては、部屋に入れたことを後悔した。何せ今朝まで愛し合っていた痕跡が、ベッドの至る所に残っていたのだから。
とにかく父には一度部屋を出て貰って、ある程度片付けてから改めて話をすることとなった。
「で、気を付けてって言うのは、道場を襲ったあのお爺さんの話?」
気丈に振舞うものの、内心はガタガタだ。
明らか見透かしているだろうに、敢えて気付かないフリをしてくれているミーリの優しさが、零には逆に辛かった。
「そう。女神信仰団体って名乗ってたんだけど、彼らには気を付けてねって話だよ」
「うろ覚えだけど、なんかそう言ってた気もする……何者なの、あいつら」
とは訊いたものの、女神と言われれば一柱だけだが思いつく。
零の叔母になるはずだった人を殺し、父に婚約者を殺させるきっかけを作った、二〇年前の大戦にて封印された女神――
零がこの手で殺してみせると、静かに憎しみを燃やす怨敵だ。逆にそれ以外には、何も思いつかなかった。
「その顔から察してるみたいだね。二〇年前に父さんが封印した女神、イナンナ。彼女の力を利用して、自分達の都合のいい世界を手に入れようとしてる組織だよ」
「イナンナって、そんなに凄いの……?」
「詳しくは誰にも言えないんだ。ごめんね。だけど力だけなら、確かに使い方次第では思うがままの世界に出来てしまうくらい強大だよ。ただしあいつ自身、その力を御し切れずに自分がいた世界を一つ壊してるからね。人が操れるような力じゃあない」
イナンナの詳しい力に関しては、ミーリは誰にも公言していなかった。
知っているのはミーリを含めても、本当にごくわずか。公言しないのはもちろん、誰かが悪用しようと考えないための処置だったが、信仰団体の出現が、無駄な努力だったと示していた。
「どこから漏洩したのか知らないけれど、多分あいつの封印を解くために今回みたいな無茶苦茶をしてくると思う。君達を人質に、情報を公開しろなんて脅迫もあり得る。他の子達にもすでに伝えてあるけれど、君も充分気を付けて欲しい」
「……うん」
「零?」
他の子達、というのが個人的に引っ掛かる。
ミーリの言う他の子達とは、彼の血を引いた荒野家以外の、先程も話に出た五人の側室から生まれた子供達、終焉の世代のことだ。
その中で、荒野家の子供達は一番不甲斐ないと言えば不甲斐ない。
今年入学するまだ幼い双子。病弱な長男。何より三人よりも遥かに劣る、無能の零――これ以上なく、一番の足手纏いが自分だと再認識させられてしまう。
だからつい、泣いてしまった。
自分が一番、父に迷惑を掛けている。みんなに迷惑を掛けている。
一番無能で、一番無力で、一番弱いから。自分が、一番足を引っ張ってしまうから。
「零」
父の腕が優しく抱き寄せて、頭を撫でて宥めてくれる。
切と違って太く、力強い。兄とは違う形ながらとても優しい手が、腕が、自分を包み込んでくれている感覚で、より一層涙腺を緩めて、涙を溢れて止まらなくさせる。
本当にいつ以来だったか、思い出せないくらい久し振りに父の腕の中で泣いた。
「ごめんよ、傷付けるつもりはなかったんだ。気負わなくていい。自責なんてしなくていい。ただ君が、君達が傷付くのが嫌だっただけなんだ。ごめんよ、零」
「私が、私が弱いから……いけないの。本当は、あのときだって私が、切にぃ護らなきゃいけなかった、のにっ……! 私、わた、しぃっ……!」
父の腕の中で、泣きじゃくった。後で恥ずかしくなることなんて考えず、抱き締めてくれる力以上に強く泣き続けて、その間、ずっとミーリは黙って娘を抱き締め続けた。
泣き止んだのは、十分経ったか経ってないか程度だったけれど、零個人の体感では道場での事件から今日までの分を泣いた気がした。
「落ち着いた?」
「……うん」
ずっと思いつめていたのだろう。未だ表情は落ち込んで見えるが、少しだけスッキリしたようにも見える。
だけどずっと子供達の側にいられない以上、またこうして胸を貸してあげられるのもいつになるかわからない。
「零。父さんから一つ、おまじないをしてあげようか」
だから一つ、教えてあげることにした。
二〇年以上前、後輩にも教えた秘密の――でもないけれど、自分もしていたとっておきのまじないを。
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