第43話


「おい、じろじろ見られてんぞ」

「いいでしょ、減るものでもないし」


 俺と篠原が話していると、コンコンと伏見が指先で机をノックした。


「私語禁止」

「「はい」」


 放課後の市立図書館で俺と伏見、鳥越が勉強をしていると偶然篠原がやってきた。


 ここいらじゃあまり見ない聖女校の制服に、見かけた利用者はちらちらと篠原に目をやっていた。


「使ってる教科書、一緒でよかったね」


 誰にともなく鳥越が言う。

 そうでなかったら、こうして輪に加わることもなかったのに。


「何しに来たんだよ、昨日と今日」

「迷惑そうね。でもタカリョーには関係ないでしょ」


 英文の問題を解きながら、鬼軍曹の目を盗んでこそこそとしゃべる。


 近くを通りがかったからって、昨日は言ってたけど、さすがに連日『たまたま』学校近くにやってきて、『偶然』この市立図書館を覗くなんてあり得るのか?


 しーちゃん、みーちゃんと呼び合う仲である鳥越あたりが怪しい。


 何考えているかわからないけど、悪いヤツではないのでひとまずはよしとしよう。


「勉強やりたいって思うか、普通」

「それは、タカリョーの普通でしょ。こっちも中間近いしちょうどよかったのよ。それに、仲良い子の中に混ざりたいって思うのはそんなにいけないこと?」


 そうじゃねえけど、と俺はつぶやく。


「タカリョーくん、ほら集中して、集中」


 熱心な伏見軍曹から注意が飛ぶ。


 適当に返事をして、次の問題にとりかかった。




 何だかんだで閉館近くまで俺たちは勉強をした。


 休憩挟んで約二時間。集中して勉強をしたあとっていうのは、なんか清々しい。


 鳥越と伏見が何か話し込みはじめ、俺と篠原が二人の後ろを歩く。


「伏見さんって、あんな表情する人だっけ」

「教室とはちょっとキャラ違うからな」

「中学のときは、仮面つけてる感じだったけど」


 言わんとしていることはわかる。笑顔の仮面をずーっとつけているようだった。誰に対してもその笑顔で、見る人が違えば、気味悪く思っただろう。


「伏見さんのこと、好きなの?」

「ぶふぉ!?」


 げほげほ、と俺はむせた。


 変なタイミングで訊いてくるから、唾が変なとこに入ったじゃねえか。


「ラブ? ライク?」

「わかんねえよ。元はと言えば、篠原のせいでわからなくなったんだぞ」

「私? 人のせいにしないでよ」

「俺は振り回されたって気持ちが強い。何かしてあげるべきだったのかもしれないし、でも、当時はまだよくわからなくて」

「……それは」


 言葉を切って、篠原は少し考え込む。


「あれ、バツゲームだったんだろ?」

「へ――?」


 目を点にして何度も瞬きをした。


「誰かに言えって言われて、俺に告ったんだろ?」

「えーと…………そ、そう!」


 やっぱりな。

 もう三年前のことだからとやかく言わねえけど、行動の謎が解けてよかった。


「そんなことだろうと思ったんだよ」

「へ、へえ……」

「そりゃ、半ば強制的に告らされて付き合えば、三日で無理ってなるわな」

「……そのこと、怒ってる?」

「当時も今も、全然怒ってないよ。何でそんなことしたのか、腑に落ちてスッキリしたってだけだ」


「まあ……違……」

「え?」

「い、いや、何でもない!」


 ふるふる、と首を振った。


「タカリョーの中では、そういうふうになってたのね……」

「イジメとかじゃないんだよな?」

「え――」

「違うんだよな?」

「う、うん。違う。それはない」

「ならいいんだ」


 最後にわずかながら残った心配事がなくなって、俺は安心して笑みを浮かべた。


「うぅぅ……罪悪感……」

「え?」


 首をかしげると、何でもない、と篠原は言う。


「めちゃくちゃ嫌われてるんだと思ってた。振り回したこと自体は、事実だったし。だから、私も昨日からちょっと構えてたところがあるから……」


 だから俺への対応は多少尖っていたらしい。


「あのときは、嵐のような三日間ではあったな」


 もう三年前なんだな。

 学校の中で変にギクシャクしたり、帰りは一緒に帰るもんなのか? とか頭を悩ませたり、でも男子の誰かに見つかれば冷やかされかもって心配したり。


 なかなかない経験をした三日だった。


「……」


 隣を見ると押し黙った篠原はうつむきがちで歩いていた。薄暗い中でも、顔が少し赤いのがわかった。


「何でいきなり伏見さんと仲良くなったの?」

「何でいきなりって……一応幼馴染だし」

「そんな感じしなかったじゃない。中学のときは」


 まあ、高一のときもそうだったけどな。


「ごめんなさい。悪く言うつもりはまったくなくて。でも、タカリョーの前で見せる素顔が、本当に素顔なのかって、誰にもわからないじゃない?」


 途中で声を潜めた篠原に付き合い、俺も声量を落とした。


「どういうこと?」

「そういう仮面を装備しているだけじゃないのか、って思っちゃって」


「……」


「伏見さんと登下校一緒なんでしょ? タカリョーと会わないときとかって、何してるの?」

「それは……」


 あれ? 勉強とか?

 でも伏見は、『授業聞いていたら、大事な部分とそうでない部分くらいわかるよ』って前に言っていた。だから家で猛勉強してるってわけでもなさそう。


「あれ……? 何してるんだ?」

「ね」


 身近に感じていた伏見との距離感が、少し開いたような気がした。

 すぐ目の前に本人がいるのに。


「今度訊いてみたら?」

「ああ、うん……そうする」


 テレビ見てたとか、携帯イジってたとか、宿題ちょっとしてたとか。

 そういう答えが返ってきそうだったから、いちいち訊かなかったし、その必要も感じなかった。


 篠原が煽ったせいで、変に気になっちまったじゃねえか。


「伏見さんに限って、変なことなんてしないでしょうけど」

「変なことって?」

「……女子の口から何を言わせる気なのよ、バカ」


 女子が言いにくい『変なこと』……。


「そんなわけないだろ」


 そんなわけ……。


 鳥越と篠原とは、駅前付近で別れ、俺たちは電車に乗った。


 空いていたシートに並んで座る。


「諒くんも、今日みたいな集中力で勉強すれば、中間はきっと大丈夫!」


 うんうん、と手応えを感じている伏見は、力強く熱弁する。


「やればできる子だって、わたし、信じてるから」

「おまえは俺の母さんかって」


 あはは、と楽しそうに伏見が笑う。

 この流れならさらっと訊けそう。


「なあ、伏見。土日とか、俺や茉菜と遊んでないときって何してんの?」


 ほんの興味本位で、と俺は付け加える。


「え、土日? 土日……土日は……」


 あ、あれ? テレビ見たり携帯いじったり宿題してるんじゃ……。


「ちょっと待ってね! もうちょっとだけ、待って。ごめんね」

「な、何を?」

「ええっと……心の準備とか、そういう、覚悟とか要るから」


 俺は、踏んではいけない地雷を踏んだのかもしれない。

 さらっと口にできるようなことじゃないのか、伏見。

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