第11話


 海を眺めたあとは、昼食をコンビニで買ったもので適当に済ませ、あてもなくただ歩いた。


 通りにはファミレスもファストフード店もなく、民家や小さな商店が道の脇に続いている。


 車も人通りも少なく程よく静かだったので、適当な雑談をするにはちょうどよかった。


「約束、ほとんど覚えてないけど、一個だけわかったやつがある」

「ほんとっ? 何、どんなの?」


 伏見が嬉しそうに目を輝かせた。


「高校生になったら初ちゅーするってやつ」

「はうっ」


 どきーん、と硬直する伏見。


「く、クリティカルなやつ、思い出したんだね……」


「思い出したっていうか、メモが残ってて。それで、部屋での行動に納得がいったっていうか」

「バレると、それはそれで恥ずかしいね……」


 俺が苦笑していると、もぞもぞと小声で聞こえた。


「ち、ちなみに、は……は、初ちゅーは、ま、まだ、ですか……?」


 たどたどしい言い草で、恥ずかしそうにこっちを見た。

 何で敬語なんだよ。

 伏見は、言いにくいことを言ったり訊いたりするときって、敬語になるんだよなぁ。


「……まだだよ」


 答えるほうも恥ずかしかった。


「ど、どうせまだだよ。わかるだろ、なんとなく、クラスでの雰囲気とかで」

「わかんなよ、そんなの。一応、一応の確認だから。で、で、でないと! 約束破ったことになっちゃうから、確認! 念のための、確認!」


 慌てたように、伏見は両手をぶんぶんと振った。


 そういや、伏見は誰からの告白も受け入れなかった。

 それってもしかして、すでに付き合ってた人がいたから――?


 もしそうなら、すべてに納得がいく。

 誰にも噂にならないように、それこそ週刊誌の記者から逃げる芸能人みたいに秘密の逢瀬をしていて――。


「けど、よかった。わたしも……その、まだ、だから……」


 ぼそっと告白した声が聞こえて、俺は二度見した。


「嘘だろ」

「嘘じゃないよ。嘘ついてどうするの」


 思わず目線が唇に集中してしまう。

 薄い柔らかそうな唇は、今日も少し潤んでいる。


「意外、だった?」

「……」


 この唇は、誰ともまだ……。


「……ねえ?」


 約束を守り続けるなら……俺……が、最初?


「ねえってば」

「うおおおう!? ――え、何?」


 やべ、唇見過ぎた。

 俺は頭をぶんぶんと振った。


「わたし、裏であれこれ言われてるから、諒くんもそれを信じちゃってるのかなって、思って」

「ああ、そういう意味……」


 モテるやつってのは、やっぱそれはそれで苦労をするらしい。

 俺もその苦労、一回でいいから味わってみたいところだ。


「信じてないけど、学校の伏見ってパーフェクトだろ。外面っていうか。勉強できてスポーツできて、みんなに愛想振りまいて。その分、素の表情が見えないっていうか、何考えてるのかわからないっていうか。だから、何か隠してるような気がする、って思う気持ちもわかるんだよ」


「八方美人なのは自覚してるよ」


「学校でも、俺と一緒にいるときの雰囲気なら、もうちょいみんなも付き合いやすくなるのかもな」


 ロクに友達がいない俺が言っても説得力ないか。

 視線をつま先に落としたまま、また小声で伏見は言った。


「だって、それは……諒くんが特別だから……」


 なんつー殺傷能力の高いセリフを吐くんだ。


「どうかした?」


 本人、その自覚ゼロっぽいけど。


 ひとまず、話題を変えることにした。


「中一の夏休み明け、服装とか派手になったよな。化粧もするようになって」


 制服のスカートもめちゃくちゃ短くなってた。


「あー。懐かしい。そんなこと、よく覚えてるね」


 伏見との思い出を覚えている――それだけで、この幼馴染は嬉しそうにしてくれる。


「いや、すっげー違和感あったんだよなぁ。似合ってるんだけど、子供が背伸びした、みたいな感じがして。夏休みデビューしやがったなってこっそり思ってた」


「夏休みデビューじゃないから。似合ってないって自覚したからすぐやめたんだよ」


 本当はギャルが好きでも何でもないから、俺は余計に違和感を覚えたんだろう。


「あの頃母さんが、姫奈ちゃんは悪い友達と付き合ってるんじゃないかって、心配してた」

「し、知ってる……ご近所さんで噂になってたことくらい……」


 ちなみにうちの妹は、ちょっとしたことでご近所さんからすっげー褒められる。


 ギャルなのに挨拶をした。

 ギャルなのにきちんと駐輪場に自転車を停めた。

 ギャルなのに愛想がいい。


 ……ギャルって、実は得するのか??


 俺は同じことしてるはずなのに、ご近所さんに褒められたことがない。


「わたし、茉奈ちゃんがギャルになってるのは、諒くんのせいだと思うけどね」

「何……?」


 あいつ、得するシステムに気づいてたのか……!?

 隣で伏見が首をかしげている。


「何か微妙に伝わってないような気が……?」


 あれこれ話しているうちに、一駅分歩いてしまったらしい。

 来る途中に通り過ぎた駅がすぐそばに見えた。


「まだ昼過ぎか」


 そうだねー、と相槌を伏見が打つ。これからどうしようか、なんて話をしていると、ポケットのスマホが小さく震えた。母さんからのメッセージだった。


『学校サボったでしょ』


 ……何で知ってんだよ。家にいないはずなのに。


『学校から携帯に留守電入ってたけど。何にも連絡ないけどどうしたんだって』


 あ、そうだ……俺、得意の仮病電話入れるの、忘れてる……。


『どういうこと?』


 いつもは、もうちょっと絵文字や顔文字が入ってたりするポップなメッセージなのに、今日は文面がシリアス一〇〇%だった。


 汗をダラダラ流す俺を不思議に思ったのか、伏見がひょこっとスマホを覗いた。


「あちゃぁー、怒ってるね、これ」

「何がまずいって、真面目ギャルの茉奈が、母さんからの指示を受けて俺の飯を作ってくれなくなるってことだ」

「ほわちゃぁ」


 何でリアクション、カンフー?


「行こ、学校?」

「そ、そうだな。昼過ぎでも登校すりゃ、一応遅刻扱いになる」


 ま、サボりはサボりなんだけどな。


「悪い。俺のうっかりミスで」

「ううん。席が隣同士だから、一緒にいられることには違いないなって気づいちゃった」


 てへへ、と伏見が照れ笑った。

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