幼い母とミルクと俺と

 乳飲み子の目は発達していない。


 それを差し引いても真っ暗な場所だった。

 肌を撫でる空気はヒンヤリと澄んでいて、昔掘らされた弾薬庫を思い出す。

 空気の薄さもこんな感じだったな。


 不意に暖かな物が触れ、俺はひょいっと持ち上げられた。

 未達な耳で聞く衣擦れの音。

 伸ばした手の先に、柔らかな物がある。

 そうして、ぎゅぅと、久しく感じたことのない、ホワホワしたものに包まれた。


 唇に触れた突起へ、しゃぶりつく。

 まだ歯のない顎で、ヌメるそれを必死に捉えて、啜った。

 甘い――どことなくそう感じる――汁が、口一杯に溢れる。


 腹一杯になると、しきりに揺さぶられた。

 ――――なんだなんだ?


「けふっ」


 たったそれだけのことで、俺は頭を撫でられた。



 目に光が入るようになって、初めて見たのは女の子だった。

 8,9歳だろうか。童話の世界から抜け出したような、優しい笑顔の少女。

 冗談みたいに長い金髪と、原始人めいたワンピース。

 手に持った妙なおもちゃで、こちらをあやしている。

 妹だろうか。

 ――――なんとなくそう感じたが、今は俺の方が年下だ。

 姉か。


「わぁ、起きまちたか? ダダン~、ママでちよ~」


 ん? ママ・・? ママと言ったのか?

 いや、このぐらいの年の子ならよくあることだ。

 母親の真似をして弟の世話を焼く、おままごと。可愛らしい姉じゃないか。


「おぅ、メディさん、いるか?」


 マッチョな小男が、部屋にズカズカ入ってくる。

 ヴァイキングめいた兜、ヒゲモジャの強面。

 ぶっとい腕に下げたぶっとい芋虫を、ドカッとテーブルに叩き付けた。


「新しいの、ここ置いとくぞ」

「いつもありがとでち!」

「いやいや、ガキはみんなで育てるもんだ。礼なんざいらねぇよ」


 気っ風きっぷ良くガハハと笑って去って行く。

 気持ち悪い幼虫を残して。

 女の子は虫の背にナイフを突き立て、スィッと捌いた。

 ゾブゾブ溢れる気味の悪い体液を皮袋に詰めると。


「さぁさ、ダダンちゃん。ごはんの時間でち~」


 皮袋の吸い口・・・を、俺の前に持ってくるのだ。

 中には当然、虫の体液がちゃぷちゃぷ詰まってる。

 口を結んだね。結ぶさ。渾身の力で。貝より硬く。


「……あう? どうちまちた? ごきげん斜め?」


 頼むッ、誰か止めてくれッ! 変なもん飲まされる!

 殺される! おままごとに泥団子食わすノリで!


「どーしたのかなー? ちゃんと飲も? いつもみたいに・・・・・・・


 袋をぐいぐい押し返す俺の腕が止まった。

 いつもみたいに? ――――そういえば、この袋の手触り、馴染みがある。

 いつも? 俺はいつも、何を飲まされてたんだ?


 灰色の脳細胞が隅々まで活性化する。

 この少女は、その幼さで自分をママと言った。

 先程の男は、子供のような矮躯ながら筋骨隆々のヒゲモジャ。

 おおよそ文明人とは思えない格好に、地下の住処。

 なんなんだこいつらは。

 該当する推論が一つ。


 ――――ドワーフ、か?

 俺は、ドワーフに生まれた、のか?


 あり得ない仮定の不意を突き、吸い口をねじ込まれる。

 口にブジュッと広がる虫の体液。

 慣れ親しんだ甘みに、怖気おぞけが走る。

 ……あぁ、発達した嗅覚で感じる生臭さ。


 哺乳類でありながら、親が授乳しなくとも子育てできる、ほぼ唯一の動物。

 それが人類だ。

 粉ミルクしかり、乳母しかり、知恵とは偉大である。


 その真っ平らな幼女ボディでは、どうやっても赤ん坊を育てられない。

 だから同等の栄養を含む虫の体液を与える。

 これはドワーフにとっての粉ミルク。

 分かるよ。仕方ない。そういう文化なのね。



 ――――あんのクソあま! これを見越してこんな所に転生させやがったな!?


 ぷすすー。とほくそ笑む駄女神の顔が目に浮かんだ。

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