■本章「女子高生プログラマー事件」 ◆十「ハンプティ・ダンプティ」

 九地と並んで四ツ谷駅に向かいながら光は考える。高校時代からの友人。自分が招き入れた人物。その男が会社を崩壊させて、仲間たちをどん底に叩き落とした。九地は親の土地も売って、会社に資金を入れていた。そうした金をジラフは、誰にも悟られることなく、周囲に感謝されながら抜き取っていった。

 光は言葉を失う。そして九地と九天の兄妹のことを考える。大きすぎた負の感情を処理するためにおこなった妹への権限の委譲。九地が九天にしたことは正しいことだったのか。九地は妹に、自分の権利とともに負の感情を丸ごと託した。九天の心は、その負荷に押しつぶされそうになっているのではないか。彼女の目は闇に染まっている。兄の恨みを一身に引き受けて、呪いをかけられた状態になっている。

 解放してやらなければ。九天を救ってあげなければ。これまで彼女に対して、そうした感情を抱いたことはなかった。初めて守るべき存在として、来栖九天という少女のことを認識した。

「ジラフさんは、なぜ桜小路先輩に接触したんですか? そして、どうやって先輩の信頼を勝ち得たのですか?」

 この事件を追うことで、九地はジラフにたどり着ける。そうすれば九地は過去から脱して、九天の呪いが解けるのではないか。

「彼は、桜小路さんに対する価値あるカードを持っていましたからね」

「それは?」

「自分と同じ学校を卒業したOB。桜小路さんにとってジラフは、他人ではないんですよ。ネットの向こうの誰かではなく、手の届く範囲にいる大人なんですよ。彼女の認識ではそうなっているはずです。以前平原くんは、桜小路さんがQLNとネットで出会ったと話していましたよね。彼女の中でジラフは、広大なネットの海の中にいる数少ない心を許せる人間になっているはずです。

 しかし現実は違います。おそらくネット越しに、ハンドルネームで知り合った相手でしかありません。ジラフにとって桜小路さんは、数多い接触相手の一人のはずです。共通点が、たまたま出身校だったというだけです。それは趣味でも、過去の体験でも、誕生日でも何でもいいんです。共通点があるのは偶然でも何でもないんです。

 正直なところ、同じ学校という信頼のよりどころを抜きにしても、ジラフは頼れる人物です。ベンチャー企業の立ち上げに関わったことがあり、営業も広報もできる有能な人物です。ビジネスの様々な面について経験と知識がある。そうした人が、自分のためだけに働いてくれる。どうです。とても魅力的でしょう。

 ジラフは、ネットで金の卵を見つけた。有用なプロダクトを持っており、社会経験が乏しい高校生。信用させることができる共通のプロフィールを持っている。彼女は女性で、ジラフは誰の目から見ても魅力的な男性である。ジラフにとって桜小路さんは、自由にコントロールできる相手なわけです。

 彼は、私たちのときと同じことを、やるつもりだと思います。桜小路さんとトランクの価値をつり上げて、誰にも気づかれないようにお金を抜く。おそらく儲けだけが目的ではないでしょう。彼の能力なら、まっとうな方法でもお金を稼げます。手法自体に意味がある。そこで起きることに価値がある。自分に信頼を寄せている人の心が壊れ、地獄に落ちていく様子を見るのが快感なのでしょう。桜小路さんの社会的価値を高めて一気に落とす。壊れやすい卵がどうなるのかを見届けようとしている」

 光は背筋が冷たくなった。嫌な汗を脇の下に掻いた。ホテルの前で桜小路先輩と会っていた美しい容姿の男を思い出す。悪魔のような存在。人を破滅に向かわせるハーメルンの笛吹き男。彼は、この社会をさまようウイルスだ。被害が拡大する前に隔離して除去しなければならない。

「ジラフさんは、今どこにいるんでしょうか?」

「会ったら、ぶち殺してやる」

 怒りを解放するように九地は言う。声にこもった熱量に、背中の皮膚が震えた。九地は醜悪に歪んだ顔で、拳を握っていた。


 四ツ谷駅で電車に乗った。電車に揺られながら光はメールを確認する。アラートが届いている。登録キーワードを含むネットのニュースを知らせるようにしておいたものだ。桜小路恵海。彼女の名前を含む記事を、光は読み始める。

 ――女子高生プログラマーが、CTOとしてベンチャー企業に参画。

 会社の名前はプラチナバリュー。予想していた展開だ。画面をスクロールして先を読む。プラチナバリューが仕掛けるビジネスを見て、光は思わず声を上げて驚いた。

「どうしましたか、平原くん」

 横に座る九地が声をかけてきた。先ほど道を歩いていたときから、だいぶ経っている。九地の表情はいつものように穏やかな状態に戻っていた。

「九地さん、このニュースを見てください。ジラフさんの狙いが分かりました」

 スマートフォンを渡して記事を読んでもらう。九地の顔に驚きの色が浮かぶ。

「なるほど、これが狙いでしたか」

 唸るような声が九地の口から漏れる。ICO――イニシャル・コイン・オファリング。日本語に訳すなら新規仮想通貨公開。新しい仮想通貨を発行し、それを多くの人に購入してもらう資金調達の手法だ。株を上場して公開するのとは違い、まだ実績を上げていない企業でもおこなえる。そして独自のルールで、多くの人たちから資金を集めることができる。単なる資金調達に留まらず、そのビジネス主体とシナジー効果を発揮できるなら、将来有望の投資先と判断して、大量購入する者も出てくる。

 スマートフォンを返してもらった光は感想を述べる。

「トランクに独自仮想通貨を導入して、決済に利用するつもりみたいですね。小さなコミュニティ内で流通する地域通貨のようなものです。意味のある仮想通貨の使い方だと思います。

 女子高生CTO。インフルエンサーに支持されているトランクというサービス。ビジネスとして稼働しそうな専用仮想通貨。見た目だけはまっとうです。きちんとビジネスを成長させるなら一定の市場を得られると思います」

 光の言葉に九地はうなずく。

「ええ、正しく伸ばすつもりがあるのならですがね。問題は、このビジネスを仕切っているのがジラフだということです。彼は高く持ち上げた卵を落とすことに喜びを見出す人間です。そして表には出ず、縁の下の力持ちを演じようとする。ジラフは桜小路さんを広告塔として全てを回そうとするでしょう」

「そうなれば世間の非難は桜小路先輩一人に集中します」

「耐えられるでしょうか彼女は? まだ高校生にすぎない彼女が、この先起きる苦難を乗り越えられるとは思えません」

 九地の言葉は重い。先輩がそんな苦境に立たされる必要はない。光はスマートフォンで桜小路先輩やトランクのことを検索する。大きな話題になっている。大人たちは無責任に絶賛している。そのうちの何割かは世論を操作する機械的な書き込みだろう。ジラフは人の信用を操る術に長けている。彼は情報技術の力を借りて自身の力を拡張している。そしてより大規模に世間を誘導しようとしている。

 光は桜小路先輩のことを考える。無数の人からお金を集めて資金を抜き取る。先輩は傷つくだろうが絶望にはいたらないだろう。彼女はあくまでも技術屋だ。世間に対して済まないと思うが、それ以上の感情は抱かないのではないか。他者を気の毒に思うとともに自身も被害者だと考えて心を慰めるのではないか。

 お金が理由では桜小路先輩の心は壊れない。自分がジラフなら、どうやって桜小路先輩の心を破壊するか。攻撃者の思考を探ることは防御の基本だ。攻撃の目的や手法が分からなければ根本的な対策を立てることはできない。

 自分自身が作ったプロダクトで、直接人々を傷つけさせる。そのためには積極的に開発に取り組ませないといけない。決済ページを外部に飛ばすような手法では駄目だ。何よりも桜小路先輩の書いたコードの量が重要だ。トランクの深部まで仮想通貨が浸透するように、彼女自身が知恵を絞り、プログラミングしなければならない。

 光はエミペディアを開く。桜小路先輩とジラフが会った直前に遡り、何が起きたのか情報をたどる。疑問に思った行動に行き当たる。先輩は部室のパソコンにUSBメモリを差していた。何かをインストールしているようだった。それはおそらくホテルで会った相手からもらったものだと推測した。

 なぜ、部室のパソコンに? 自分のノートパソコンに入れればよいのではないか。わざわざ部室のパソコンにインストールしたのはなぜか。光は考える。自分のノートパソコン以外の場所に、入れる必要があったからだ。通信。クライアント用ソフト。二つ以上のパソコンが必要だった。

 桜小路先輩がもらったものは何か。彼女の作ったウェブサービスにまだ備わっていない機能。プラチナバリューに参画することで実現した新サービス。桜小路先輩は、トランクと仮想通貨を結びつけるための開発に取り組んでいた。

「あっ」

 ジラフの描いた絵図が頭に浮かぶ。仮想通貨は、ウォレット――財布――と呼ばれるソフトウェアをインストールすることで自分の手元でも管理できる。未知の実行ファイルをパソコンに入れさせるには二つの方法がある。一つはセキュリティホールを突くこと。もう一つは配布元を信用させること。信頼してインストールしたソフトにウイルスが混入していれば多くの人が無防備に感染する。

 全員がウォレットを導入するとは限らないが、新し物好きの人たちは面白がって入れるだろう。攻撃対象はネットで大きな金額の取り引きをしている者たちだ。被害はICOで購入した仮想通貨の金額に限られない。被害金額は青天井になる。そのウォレットの核になる部分だけをもらい、外側のユーザーインターフェース部分を自分で実装したらどうだろうか。それは自分の作ったソフトになる。自分が開発したソフトウェアが多くの人を傷つければ、桜小路先輩は自身を強く責めて絶望する。

「九地さん」

 光は自分の考えを伝える。九地は目を大きく開けてうなずいた。

「平原くん。部室のパソコンは部員なら誰でも使えるのですか?」

「はい。先輩がいつもいる席のパソコンもログインできます」

「ソフトを入手してください。その内容を私が解析します」

「分かりました」

 光はこのあとの予定を頭の中で組み立てる。

 電車が停車した。まだ目的地ではないのに九地が立ち上がる。

「先に戻り、部室のパソコンを調べておいてください」

「九地さんは?」

「引き返して調べたいことがあります。ショックの大きさに重要なことを忘れていました」

「何を調べるんですか?」

「登記簿です。会社の代表が変更されたのならば、ジラフの現住所が分かる可能性があります」

 九地はそう告げて電車を降りた。

 扉が閉まり、発車する。九天に連絡しようとして電車の端に行って電話する。保留になった。どうしたのかなと思うとメッセージが届いた。

 ――今、授業中。

 そうだった。今日は学校をさぼって来た。光は、今回の件の背景に九地の宿敵のジラフがいること、そして桜小路先輩は学校のOBとしてジラフを信じていることを書き送る。

 乗り換えのために東京駅で降りたところで電話が鳴った。九天からだ。電話を受けると、大きな声が耳に響いた。

「おにいちゃんは!」

「登記簿を取りに行った。直接電話をかければいいじゃないか」

「何度もかけたわよ!」

 焦りに満ちた声が耳を震わせる。連絡がつかないことの意味が分かり背筋が凍る。九地はジラフの居場所を突き止めて何をする気か。復讐。九天はそのことを警戒しているのだ。

「引き返す」

「お願い。おにいちゃんを止めて!」

 努力すると答えて、光は再び電車に飛び乗った。

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