■本章「女子高生プログラマー事件」 ◆八「ペーパービジネス」

 翌日になった。光は学校をさぼって九地に同行している。これまでは報告を聞くばかりだった。しかし実際に足を運んで、自分も何か手を打ちたかった。九地は最初反対した。学生の本分は勉強です。学校をさぼるなど、もってのほかですと主張した。

 いつもの九地なら、そんな細かいことは言わない。あかり先生に会ったからだろう。どうやら九地は、あかり先生にいい顔をしたいらしい。高校時代の初恋なのかもしれない。勝手な想像をしながら九地と待ち合わせて電車に乗った。

 東京で乗り換え、四ツ谷駅に着いた。プラチナバリューもラングモックも同じ住所にある。九地は一度写真を撮りに来ているが、光は初めて訪れる。九地はラングモックの岩田にアポを取っていた。口実は、アジアに進出している会社に日本語による評判解析サービスを提供するというものだ。SNSの投稿を収集して、特定の製品やサービスへの言及を解析する。それがポジティブなものかネガティブなものか影響力はどのぐらいか、そうした情報を自動で集めてくれるサービスの提供。昔九地が属していたベンチャー企業で、似たプログラムを書いたことがあるそうだ。

 九地はシステムの主任開発者。おまけでついてきた光は若手社員という設定らしい。高校一年生なのでさすがに無理なのではと尋ねると、童顔という設定でいきましょうと九地は言った。

 十二階建てのマンションに入り、エレベーターに乗る。七階で降りて七番目の部屋の前に立った。九地がインターホンのボタンを押す。扉が開いて、中から四十代の男性が姿を現した。派手なシャツに金ぴかの装飾品。体毛が濃くて日焼けしている。お腹は出ていて小金持ちの中年男に見えた。

「初めまして、SNSスキャナーの久留米です」

「ラングモックの岩田です。玄関先もなんですから、どうぞ上がってください」

 玄関に入り、靴を脱ぐ。廊下を抜けて応接室に行き、互いに名刺を交換した。九地は来栖に音が近い、久留米という名刺を作ってきた。光は平原に似た平橋という名刺を用意した。

 岩田の名刺には武蔵という名前の読みが書いてあった。武蔵と書いてタケゾウと読む。ムサシじゃないのかよと、心の中で突っ込みを入れる。親はなぜタケゾウにしたのかと思いながら、ソファーに腰を下ろした。

 岩田は話好きだった。これまでの様々な海外企業の日本進出を、面白おかしく話してくれた。まず、印鑑文化で引っ掛かる人がいるらしい。どういった印鑑を作ればよいか、どこで手に入れればよいか。そういったところで困るケースもあるという。また、敷金礼金に納得がいかず、話がこじれることもあるそうだ。自分たちが外国人だから騙されているのではないか。そうではなくて、この国の商習慣なのだ。不信感を取り除き、ビジネスに集中してもらう。知っていれば簡単なことも、一からやると大変なのだと教えてくれる。

 岩田の話は、高校生の光が聞いても面白かった。中小企業の気さくな親父といった感じだ。岩田は大きなお腹を揺らしながら、話術で場を盛り上げる。直接的な仕事の話は一割ほどで、あとは雑談が続いた。おそらく岩田はこの人間力で商売を回しているのだろう。一対一で話すことで信頼を得る。一対多でスケールするITの世界とは、また違うビジネスだ。彼は信用をお金に換える商売をしているのだ。

「岩田社長は、今話題の女子高生プログラマーをご存じですか?」

 話の流れに上手く乗って、九地が質問した。

「へー、女子高生プログラマーかい。興味があるな。それでそいつは、どんなことをやっているんだい?」

 岩田は、好奇心を剥き出しにして身を乗り出す。九地は、桜小路先輩の開発しているウェブサービスの説明をしたあと一呼吸置いた。

「彼女の広報を担当しているのは、プラチナバリューという会社の、地井さんという方だそうです。代表取締役は、岩田社長あなたです」

 直球の言葉を浴びて、岩田は目を剥いてソファーから腰を浮かせる。

「俺の会社?」

「そうです」

「確かに、プラチナバリューという会社は、だいぶ前に登記した記憶がある。だが、地井という奴は知らんぞ」

「岩田社長。あなたのお仕事は、海外から日本進出する会社のために、現地での法人設立を手助けするというものです。一から会社を作ることもあれば、休眠会社を売却することもあります。そうしたビジネスの中には、売った会社が犯罪に使われるケースもあります。あなたはそうした事情を黙認しながら、法人を売買することを生業にしています」

 歯に衣着せぬ九地の言葉に、岩田は顔を真っ赤にして目を怒らせる。

「俺が犯罪者の片棒を担いでいるとでも言うのか」

 拳を握り、全身に力を込める。

「岩田社長が、具体的にどういったことをしているのかは知りません。詮索する気もありません。私は先ほど話した女子高生プログラマーが通う高校の先生に頼まれて来ました。生徒が犯罪に巻き込まれないように調査して欲しいと言われたんです。

 大人の世界の話ではありません。対象は未成年者です。素性の知れない会社に預けるわけにはいかない。必要ならば警察に相談します。未成年者が被害者という話なら、警察は喜んで動きますよ。それも芋づる式に余罪が出てきそうとなれば、なおさらです。私はそうした大事にはしたくないんです。生徒の将来もありますからね」

 九地は、岩田の心の防壁をゴリゴリと削っていく。説得力には九地の体格も影響している。百八十センチメートルを超える身長。キーボードを扱うには大きすぎる手。必要ならば殴り合いも辞さないという態度。岩田は額に汗を掻き、ソファーに腰を沈める。手の甲で汗をぬぐったあと、大きく息を吐いて緊張を緩めた。

「プラチナバリューは数年前に登記した会社でね。少し前に売る算段がついたところだ。法務局には、もう申請を出している。今は俺が代表ではないよ」

 油断できない相手だ。先ほど驚いてみせたのも演技かもしれない。しかし、タイミングの差だったのか。まだ岩田が社長のときに九地は登記簿を取ったというわけか。

「誰に売ったんですか?」

 九地は尋ねる。

「チーリンと名乗っていたよ。地井というのは、チーリンのチーの部分じゃねえのか? 日本人の名字にあるから、その方が通りがいいと思ったんだろう」

 音の響きから中国系なのかと想像する。

「フルネームは分からないんですか? 申請書類を書く際に必要でしょう」

 当然の疑問を九地がぶつける。

「印鑑を押して、あとは勝手にしてくれと言って渡したよ。いろいろな事情の相手がいるからな。そうした方が高く売れるんだ。事情は詮索しない。そういうビジネスだ。こんなことでもなければ、相手のことなんかべらべらと話さねえよ」

「チーリンは、どう書くんですか?」

「どうだったっけな。ちょっと待ってくれ、メールを確認する。隣の部屋のパソコンを見てくるよ」

「私も一緒に行きますよ。ケツ持ちを呼ばれても困りますからね」

 九地の言葉に、岩田は舌打ちをする。岩田はヤクザと繋がっているのか。大変な現場に同行してしまったと、光は体を強張らせる。

「パソコンはノートパソコンですか?」

「そうだよ」

「こちらの部屋に運び、私たちの前でメールを確認していただきます」

 相手の用意した舞台では勝負をしない。戦争と同じだ。少しでも敵の仕掛けを取り除くために手を尽くす。

 九地と岩田は隣室に行き、戻って来た。九地は岩田の横に移動する。光も招かれて、岩田を挟むように座った。岩田はノートパソコンを起動する。メーラーを立ち上げ、チーリンとやり取りしたメールを表示した。

「これだよ。メールアドレスがチーリンになっているだろう。そうそう、Qで始まるんだった」

 岩田は、ぴしゃりと額を叩く。

 ――QILIN。

 日本人には馴染みのない読み方だ。光はすぐに気づく。この綴りは、母音を抜くとQLNになる。桜小路先輩がグーグルカレンダーに書き込んでいた名前と同じだ。

 九地は画面をにらんだあと、スマートフォンを出して、QILINという言葉を検索した。

 麒麟――実在の生き物ではなく、中国神話に現れる伝説上の霊獣。

 検索したあと九地が固まった。どうしたのかと思い、様子を窺う。全身に力がこもっている。顔は怒りに震えている。殺気が部屋を満たしていた。光は腕に鳥肌を立てた。

「もしかして、ジラフなのか」

 怨嗟の声が九地の口から漏れる。

 キリン――哺乳綱偶蹄目の動物。想像上の生き物ではなく、現実に存在する生物。

「あいつが、この件の黒幕なのか」

 九地の声は、閻魔の声のように低く部屋に響いた。


 ラングモックが入っている十二階建てのマンションを出た光と九地は、四ツ谷駅への道をたどり始める。二人は無言だった。九地はまだ殺気を放っている。横にいると肌がぴりぴりと痛い。光は知りたかった。来栖九地という人間の過去に、いったい何があったのかを。今回の事件の黒幕と、どのように関わっているのかを。

「ジラフとは、いったい何者なんですか?」

 激しい拒絶を覚悟して九地に尋ねる。しばらく黙っていたあと、九地は答えてくれた。

「身近な人物ですよ。いや、身近だったと言った方が正しいでしょうね。高校時代の友人です。そして、ともにベンチャー企業を立ち上げた、メンバーの一人だった男です」

 高校時代の友人。そのことから、あかり先生の話を思い出す。

「もしかして図書部員だった人ですか? 同じ学年の」

 九地は驚いた様子を見せる。

「平原くん。きみは名探偵ですね。――もしかして、早瀬さんに聞いたんですか?」

「あかり先生に聞いたのは、図書部で仲がよかった人がいたという話だけです。あとは直感です。高校時代の友人といっても、何人もいるでしょうから」

 九地は真面目な顔をする。

「直感は大切ですよ。何かがいつもと違う。何となく妙な気がする。違和感はとても大切です。しかし多くの人は、おかしいと思いながらも、そのまま惰性で行動します。人間は、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、リスクを過小評価したりする傾向がありますからね。

 防げるんですよ、猜疑心を持って物事に臨み、警戒の手を緩めなければ。全てではありませんが多くの被害は避けられます。致命的な被害がなければいいんです。通常はそれで上手く回ります。しかし、被害に遭っていることにすら気づかない、警戒心の網をすり抜ける攻撃を受けることがあります」

 九地は顔を歪めながら語る。過去に苦い経験をしたのだと光は気づく。

「いったい、何があったんですか。そして、チーリンとは、ジラフとは、どういった人物なんですか?」

 長い沈黙のあと九地は話し始めた。光を信用して自身の過去を明かすと決めたようだ。

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