その909 拭えぬ不安

 ◇◆◇ リィたんの場合 ◆◇◆


 幾度……幾度この【魔槍ミリー】を振ろうとも拭えぬ不安。

 エメリーに頼み込むように訓練を申し出たものの、既にエメリーの実力は私を超えている。

 龍族の届かぬ領域に足を踏み入れたエメリーは、私相手に物足りなさを感じているのかもしれない。


「もう一度お願いしますっ!」

「無論だ、来いっ!」


 何度も、何度も。

 何度繰り返したかわからないエメリーとの勝負。

 勝てぬからやらない、勝てるからやる……そんな生易しい問題ではなくなった現状。

 戦わぬ者は勝ちを得られない。

 どんな犠牲を払ってでも、人間という種と、魔族という種の生き残りをかけた戦い。それが四十時間の後に始まる。

 勇者エメリーは強い。

 だが、どれだけエメリーが強くなろうとも、安心し切れぬ私がいる。

 果たして、エメリーの剣は魔王の喉元に届き得るのか。


 ――五色の龍。


 そんな不確定な称号でもてはやされていた過去の自分が情けない。

 最早もはや、エメリーは龍族では計れぬ存在。

 霊龍の天恵……か。

 ……ん?


「どうした、エメリー?」


 気付くと、エメリーの動きが止まっていた。

 俯き、どこか悩んでいるような……そんな表情を見せるエメリーがゆっくりと天を見上げる。


「うーん……私って、強くなっているんでしょうか……?」


 唐突な質問に、私は言葉に詰まった。

 いや、答えは決まっている。

 エメリーは強い。申し分ない程に。


「どれだけ訓練しても……あの人に、ミケラルドさんに届くような気がしないんですよね……」


 驚いた。

 エメリーが比較対象にしていたのはミックだった。

 確かに、龍族の力を超えたのであれば、その上にはミックしかいないだろう。

 だが、ミックはこの私にとっても遠い存在。

 無論、実力だけの話だが、エメリーは既にミックを視野に入れているという事。

 さて、ミックの実力……か。


「ふむ……」


 練武場の地面に腰を落とした私は、先のエメリー同様、天を見上げた。


「今の私ではミックの実力の底を測る事は出来ない。だが、わかっている事実もある」

「事実……ですか?」

「たとえエメリーの剣が魔王に届かなくとも、ミックであれば結果は違うかもしれない」

「それは可能性じゃ?」

「うむ、だが事実もある。ミックの攻撃が届かなければ……――」

「――届かなければ……」

「人類の負けだ」


 ミックがいなければ世界の敗北。

 それが唯一動かしがたい現実であり、事実。

 それを聞いたエメリーは、ゴクリと喉を鳴らしたのだった。


 ◇◆◇ エメリーの場合 ◆◇◆


 リィたんさんの言葉に、私は息を呑んだ。

 そう、私が不安を拭えないのはそのどうしようもない現実があるからだ。


「……ミケラルドさんって魔族ですよね」

「そうだな」

「でも、魔族だと魔王に攻撃を加える事は出来ないって聞いてるんですけど……」

「確かにその通りだ」


 私はずっと気になっていた事を聞いた。


「あの、攻撃出来ないって……実際にはどういう風になっちゃうんですか?」

「ジェイルの話だと、魔王に敵意や殺意を向けると身体が硬直に追い込まれるそうだ。蛇に睨まれた蛙のようにな」

「意識を拘束されるイメージでしょうか?」

「その認識で合っているはずだ」

「ですが、ミケラルドさんは私たちと一緒に魔王の前に立つと……」

「うむ、立つからには何かしら手はあるのだろう。だが、ミックの考えは、既に私の及ぶところではない。ミックはミックなりに魔王の前に立つと言ったのだ。我らは、ただミックを信じ、付き従うまでだ」

「ははは、教えてくれてもいいんですけどねぇ」

「ふっ、それは私も感じていたところだ。だが――」

「だが?」

「『壁に耳あり障子に目あり。それに、俺が考えている事が成功するとは限らない。不確定な要素を信じる事は、出来るだけなくした方がいい。無理なら無理で、俺はサポートに回るよ』……だそうだ」


 そう言いながら、リィたんさんは深い溜め息と共に肩をすくめた。

 だけど、その呆れたような態度とは裏腹に、リィたんさんはとても嬉しそうで、とても誇らしげだった。


「確かに、ミケラルドさんの隠し事には……期待しちゃいますよね」


 私がそう言うと、リィたんさんはキョトンとした後、私に言った。


「わ、私がいつミックに期待したというのだっ? 確かにミックの隠し事は今に始まった事ではないが……むぅ!」


 膨れるリィたんさんは、無邪気な子供のようで少し可愛く見えてしまった。


「期待……期待か……うむ、期待せずにはいられないというのが正しいかもしれん。ふっ、龍族が生まれて間もない魔族に期待か。昔の私なら考えられなかった事だろうな」

「え、ミケラルドさんって四歳じゃないんですか?」

「むっ? そうか、エメリーは知らなかったな。それはあくまでスパニッシュが決めた設定だ。生まれた直後に三歳程の幼児サイズの肉塊に、ミックの精神を寄生転生させたのだ。ミックはまだこの世界に来て一年程だよ」

「そ、それホントですかっ!?」


 衝撃の事実に、私はリィたんさんに肉薄してしまった。


「無論、転生前の記憶もあろうが……どうだ? 世界は赤ん坊におんぶにだっこ状態だ。本来ならば、ミックは逆の立場にあるのにな」


 言いながら、リィたんさんはまた嬉しそうに笑って話した。

 そうか、たとえ龍族でも期待される実績を……たった一年で築いた存在。

 私は勇者。世界的に見ても、客観的に見ても、私は期待される側だろう。

 でも、私が彼に期待してはいけない訳ではないのかもしれない。

 そう思った時、私の心にあった不安が少し拭えたような気がした。

 そう、きっとリィたんさんも……。

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