◆その807 残された証拠

「は、母上……一体何を?」


 アイビス皇后の言葉を理解出来なかったゲバン。

 しかし、アイビス皇后は目に涙を溜めながら、法王クルスの首が転がった寝床ベッドを指差した。


「あれを見てもまだそのような事が言えるのかっ!」


 クルスの首。隣にはベッドに突き立てられた短刀。

 しかし、そのミスリルの短刀にゲバンは違和感を覚えた。

 短刀の柄に施された美しい彫刻。彫刻は紛れもなく青白く輝く水龍紋――ミナジリ共和国の国章こくしょうだったのだ。

 それを見た瞬間、ゲバンの血の気がすっと引いた。

 何故なら、それはゲバンの意図する事ではなかったからだ。

 ゲバン私邸に戻ったシギュンを殺害。当のシギュンには証拠を残すなと指示を出していた。

 だが、眼前に見えるのはミナジリ共和国が法王クルスを葬ったという事実。

 演技のために流していた涙は乾き果て、目の前には怒りを燃え上がらせるアイビスのみ。


「……間違いなくミナジリ共和国の国章です」


 聖騎士団副団長のクリスのお墨付き。

 だが、ゲバンがこれを肯定する訳にもいかなかったのだ。


「い、いや……正式な鑑定をしてみるのが先でしょう……」

「何を申すかっ!」


 それを遮るように叫んだのがアイビスだった。


「これだけの証拠が揃っているのじゃ! 今すぐ軍を率いてミナジリ共和国へ向かうべきじゃっ!!」


 鬼気迫るアイビスの怒号はクルスの私室に響き渡った。


「クリス!」

「は、はっ!」


 そんなアイビスの気迫に押され、クリスが跪いてから部屋を出て行く。


「お前たちもじゃっ!」

「「はっ!」」


 第二王子グラント、第三王子セリスも部屋を後にし、残ったのはゲバンとアイビスのみ。

 クルスの死体を悲しみ、ただ立ち尽くすアイビスの背で、ゲバンは顔を青白くさせていた。

 目は血走り、震える唇を噛み、とにかく熟考に追われた。


(何故だ、どうしてこうなったっ!? シギュンが裏切るとは思えん。奴隷の契約行使、それで奴を自死に追いやった。奴は俺の命令を違える事は出来ん。だが、だとしたら証拠となる短刀きょうきを置いたのは誰だ!? シギュンが親父を殺した後、城の警備が親父の死体を見つけるまでの間に……ここへ入った者……それは一体っ!?)


 そこでちらりとアイビスがゲバンに視線を向ける。


「ゲバン、まだそこにおったのか。早々に身支度をせよ」

「いや……しかし……!」

「軍部のトップを預かる者が務めを果たせぬというのか!?」


 それは、皇后アイビス、元聖女アイビスの発言ではなかった。ゲバンが感じ取ったソレは、正に母の激昂げっこうだったのだ。


「そのような覚悟ならば即刻軍部から外れてもらうが、それでもいいのかえっ!?」


 りんと響くアイビスの説教。

 これまで、ゲバンは何の不手際もなくクルスやアイビスに有無を言わせぬよう立ち回った。しかし、この殺害現場に来て多くのミスを犯した。思い通りにならなかった現場がゲバンに動揺を与え、更にはアイビスの命令に反応出来ない失態。あまつさえ、それを諫めるような行動は、法王国の将軍位にある者の振る舞いではない。アイビスはそれを責めたのだ。


「で、ですが、短刀があるだけでは、戦争の口実としてはあまりにも弱いのでは――」


 そこまで言いかけたゲバンだったが、そこへクリスが戻って来たのだ。


「は、母上!」

「何じゃっ!?」

「……ミナジリ共和国より母上へふむが……」


 目をくわっとさせたアイビスがゲバンの横を通り過ぎクリスの持っていた手紙を奪うように取った。

 怒りに震える手で手紙を開き、目を通す。

 アイビスは唇を噛み切りながら怒りを表した。

 手紙を握り潰し、くしゃくしゃになったそれをゲバンに投げつける。

 床に転がった紙屑を開くゲバン。それを見た時、ゲバンはアイビスが何故更に怒りを見せたのか知った。


 ――当方からのプレゼントはいかがだったでしょう。アイビス殿の隣によく似合うかと思い送らせて頂きました。気に入って頂けたなら幸いです――


「こ、これは……!」


 短刀という証拠、手紙という証拠が揃い、ゲバンにはもう後がなくなった。


「戦争じゃ……戦争じゃっ!!」


 金切声のような絶叫が響く中、ゲバンはただ茫然と立っている事しか出来なかった。

 法王クルスの暗殺、ミナジリ共和国の陰謀は瞬く間に広がり、すぐに国内外を問わず、様々な場所にその報が届いた。

 しかし、事は大きいものの、国家やその民の反応は意外にも【静観】へと行き着いた。

 魔族四天王を討伐したばかりのミナジリ共和国が、法王国という大国に喧嘩を売る必要があるのか。そのメリットは何なのか。

 ミナジリ商店から発行されるクロード新聞も、法王国の出方をうかがうような内容ばかり。

 だが、法王国はそういかなかった。

 幸いにもクルスが高齢という事もあり、後継者には事欠かないものの、法王クルスという存在は法王国民にとっても非常に大きな存在だった。国葬と共に軍備は進められ、騎士団は勿論の事、聖騎士団、果ては冒険者にまで声を掛けた。

 法王国北に詰め寄せた法王国民は、世界を救ったミナジリ共和国か、世界を支え続けた法王国か、法王クルスを殺害したのが一体誰なのか。わかるはずもない答えを探すようにそこへ集まったのだ。

 正に疑心暗鬼、ミケラルド商店やエメラ商会に押し寄せる過激な人間もいたが、事がおさまるまでは店を閉めるという看板を出した切り、反応がない。

 リーガル国境の越境手続きもすぐに許可がおり、瞬く間に法王国軍はミナジリ共和国へと向かった。支援も敵対行動もない他国に対し、ゲバンは不可解を顔に表しながら騎馬を走らせる。

 ゲバンにとって戦争は本意ではない。

 魔族四天王と戦い、勝った相手とどう争えというのか。

 ゲバンを囲っている文官たちの進言も、アイビス皇后には届かない。だからこそ、ゲバンはミナジリ共和国に真偽を問いただすという名目で法王国を発つ事になった。

 クルスのベッドにあった不可解な短刀しょうこ

 りをひそめる他国の不可解。

 静かに怒りを見せる聖女と、困り顔の勇者。

 不可解が不可解を呼ぶ。


 まるでその不可解全ては誰かの術中であるかのように、法王国軍はミナジリ共和国の領土へと侵入したのだった。

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