◆その747 境界

 鈍く響く衝撃音。

 怒りを露わにした大男ゲバン。

 指令室のテーブルにはこぶし大の陥没痕。そして、その隣には先日発行したばかりのクロード新聞が置かれていた。


「あのクソ吸血鬼め……! やってくれる!」


 歯をむき出しにしたゲバンが、正面でビクつく部下に言った。


「全て回収したんだろうな?」

「は、はい! ですが――」

「――何だ?」

「代理店主のカミナが正式にクレームを入れるという事で、我らの所属を確認しました」

「何と答えた?」

「騎士団所属と」

「……ふむ、それでいい。念のため所属偽装はしておけ。その後、そいつらがどこへ行方をくらまそうと関係のない事だがな」

「そこまでする必要があるのでしょうか?」

「ビジョンの魔法を忘れたのか。ミケラルド商店にあの魔法があったとしたら、新聞を押収した奴らの顔は既に割れている。いや、むしろあったと想定して動く他ない」

「か、かしこまりましたっ!」


 葉巻の先端を切り、火をつけふかすゲバン。


「ふむ……所詮は嫌がらせ程度。外交の『が』の字も知らぬヒヨッコが出来る事などたかが知れている。オリヴィエの事で牽制しているのか、それとも本気でオリヴィエに好意を寄せたか。ともあれ、どちらに転ぼうとも私の勝利は揺るがない……か」


 そのまま窓際まで歩き、部屋の端にある棚に目をやる。

 そこにあったのは、ミケラルドがゲバンに贈ったダイヤモンド。それを見てゲバンは思い出したように言った。


「宝石……か」

「そのダイヤモンドでございますか?」


 部下がうかがうように聞くも、ゲバンはそれを否定した。


「いや、かつて聖騎士団には宝石の如き煌めきを持った女がいた、とな」

「反逆の神聖騎士シギュン、ですか。あの牢の管理は法王陛下が直接行い、牢番オルグも軍とは離れた法王直轄の部下という事になっているそうです」

「あれを何とか手駒にしたいものだ」

「危険では?」

「問題ない。昨日、リプトゥアから呼んだ密偵が戻った」

「っ! では?」

「あぁ、これであの生意気な女狐の手綱を握る事が出来る。厄介なのは、周囲を取り囲むオリハルコンの牢だ」

「…………その件、一つ心当たりがあります」


 部下の男がそう言うと、ゲバンにニタリといやらしい笑みを浮かべるのだった。


 ◇◆◇ ◆◇◆


 同時刻、法王国商人ギルドでは、副ギルドマスターであるペイン、ギルドマスターのリルハ、その妹弟子ヒルダが顔を突き合わせていた。


「ミナジリにダイヤモンドが? 信じられません。あの一帯には鉱山すらないではありませんか」


 ペインは不可解を顔に浮かべ、リルハに進言した。

 すると、リルハが言葉を選ぶように言った。


「だが、ロレッソ殿は大きな利益が出来ると既に大口の契約を約束した。単なる口約束であれば冗談だと切り捨てられるが、ミナジリ共和国の宰相としての約束だ。蔑ろには出来ない」

「お姉様、それで、ロレッソ殿のご要望は何と?」

「初回契約で商人ギルドをミナジリ共和国に招致したいと。要望があればミケラルド殿本人が商人ギルドを建て、初期費用は不要だと」

「それはまぁ……破格ですね」

「上手い話には裏がある。当然の事だ。しかし、今回に限って言えばそれは違う。ミナジリ共和国は、何が何でも商人ギルドを自国に招きたい訳だ。冒険者ギルドの事もある。目的としては明確だし、前歴があるだけに信用は出来る。それに、ミケラルド商店から届いたコレだ」


 テーブルに置かれた【魔力タンクちゃん】に、ペインが顔を覗き込ませる。


「【魔力タンクちゃん】……ですか。ネーミングはどうかとは思いますが本物です。魔力供給効率も充電効率も、ヒルダ様が確認したところ問題ないとの事」


【魔力タンクちゃん】の性能を理解しているヒルダもリルハも、その表情は難しいものだった。

 これを怪訝に思ったペインが顔を曇らせる。


「いかがしたので?」

「これが流行はやれば、冒険者や騎士の戦闘効率は更に向上する。しかし、それだけ戦争の危険も高まる」

「確かにその通りですな。規制品にするしか……いや」


 言葉を止めたペインにリルハがその先が続ける。


「そうだ。原産国をミナジリ共和国としている以上、これを規制する事は出来ない。発見が困難、希少品ならば話は違うが、大量輸出が可能なこれを規制品とすれば、国として大きく反発出来る。既に大きな商談も動き出しているようだしな」


 背もたれに背中を預けるリルハが天井を睨む。

 まるでそこにミケラルドがいるかのように。


「やるじゃないか。これを規制品にしたくば、商人ギルドをミナジリに建てろとでも言いたげだな」


 それを聞いたペインが嬉しそうに顎を揉む。


「ふふふふ、我々が出し抜かれたのはさて、いつの事以来でしょうな。相手を交渉のテーブルにつかせる事はあっても、つかされる事なんてほとんどありませんでした」

「ふっ、恐ろしいヤツだ……」


 ニヤリと笑うリルハに、ヒルダもくすりと笑う。

 どうあっても商人ギルドは、ギルドマスターであるリルハ本人が出向き、ミナジリ共和国へ行かなければならない。いや、ミナジリ共和国によって行く事を余儀なくされたのだ。

 三人は見合い、笑うしかなかった。


「ペイン、ミケラルド商店に話をつけろ。向こうが言い出したんだ。ミケラルド商店の転移魔法くらい使わせろと言っておけ」

「せめてもの反抗、と言ったところでしょうか」

「まったく、本当にそうなりそうだな」


 肩をすくめたリルハがそう零した後、深い溜め息を吐いてまたヒルダに笑われるのだった。

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