◆その738 不覚
ミナジリ共和国の迎賓館、客室。
「なん! なん! ですの! あの吸血鬼っ!!」
ドンと壁を叩き、歯を食いしばる少女――オリヴィエ・ライズ・バーリントン。
「お父様もお父様ですわ! あーしろ、こーしろと命令ばかり! 全て見透かされているではありませんかっ! あんなダイヤモンドを持って帰ってごらんなさい! お父様の立場なんて一瞬に崩れてしまうんですからっ!!」
爪をガリと噛み、もらった宝石箱に目をやるオリヴィエ。
それを手に取り、再び開ける。
「……何度見ても美しい。ですが、これを持って帰る訳にはいきません。少々惜しいですが手放さなくてはなりませんね」
直後、部屋にノック音が響く。
オリヴィエは慌ててダイヤモンドをしまい、身なりを正す。
「……どうぞ」
「オリヴィエ」
入って来たのは、
「クリス叔母上、何か御用ですの?」
「無論、今回の件よ。ゲバン兄様は一体何を考えているの? ミケラルド様の厚意にあぐらをかくような真似をして、一歩間違えば国交断絶どころではないのよ?」
クリスがそう言うも、オリヴィエは毅然とした態度で跳ねのける。
「相手の弱点、隙を
「私は父上の指示で聖騎士学校に入学したわ。それに異を唱えるは些か傲慢じゃないかしら?」
「ご忠告ありがとうございます。ですが、私も父上の指示でミナジリ共和国に来ています。叔母上にとやかく言われる筋合いはございませんわ」
「……なら、ただの雑音として聞いて」
心配そうな目を向けるクリスに、オリヴィエは背を向けるばかりである。
「今のままでは近いうちにあなたはダメになってしまう。たとえ次期法王をゲバン兄様が継承したとしても、オリヴィエ、あなたの未来は過酷なものよ。まさかミケラルド様に本当に嫁ぐ気ではないでしょう? なら大局的に見て欲しいの。自分の未来を捨てないで」
そこまで言うも、オリヴィエは背を向けたまま。
「あーうるさい……」
そんな抑揚のない声を部屋に響かせたのだった。
クリスは願うように俯き、それ以上の雑音を聞かせないよう、静かに部屋を出て言った。
パタンと閉まる扉。握る拳。そして、震える声。
「……それが出来れば苦労はしませんわ……」
◇◆◇ ◆◇◆
同時刻。
ミケラルドは青年の姿へと戻り、謁見の間での約束を果たしにライゼン団長の下へやって来ていた。ライゼンの話す内容に次第に顔を
「――そうですか。やはりオリヴィエ殿はゲバン殿の言いなりという事ですか」
「うむ、ゲバン様の指示は絶対遵守。幼い頃の英才教育というかなんと言うべきか……」
「洗脳に近いですねぇ」
「怖い事を仰られるな。しかし、見えない鎖に繋がれているのは間違いないじゃろう」
「正に、政治の道具という事ですか」
小さく頷くライゼン。
「我々は現状法王国に関与出来ません。しかし、手がない訳ではありません。今回の一件は、ゲバン殿の早計だったというのが私の感想です」
「無論、それは私も思うところだ。しかし、どうする? 軍部はゲバン殿に掌握されているですぞ?」
「こちらをクルス殿にお渡し頂きたい」
「手紙?」
「ラブレターですね」
「承知した、必ず法王陛下にお渡ししよう」
ニコリと笑うミケラルドが直後、ピクリと反応して振り返ると、ライゼンが言う。
「いかがなされた?」
「あー、そういう事しちゃうー?」
「そういう事……?」
「まあちょうどいいですね。ライゼン殿、少々お付き合い頂きたいのですが?」
「か、構わないが……」
◇◆◇ ◆◇◆
迎賓館から少し離れた茂み。
そこへふわりと降り立つのは、先程までクリスと話していたオリヴィエだった。ドレスを着替え、町民にしか見えない軽装。
顔を隠し、その手に持つのは、ミケラルドがゲバンに送ったダイヤモンド入りの宝石箱。
「……これを」
オリヴィエが近くに落ちていた木の枝を使い、幾度も地面を掘る。深く、深く……やがて宝石箱が収まるような穴を掘り終えた時、ふぅと息を漏らす。
宝石箱を丁寧に埋め、木の葉をその上からかけた。
周囲を確認しつつ、身を潜めながら迎賓館へ戻る。高い木に登り、自分が飛び降りた窓へ向かい、跳躍――と同時に風魔法【浮遊滑空】を使った。
ふわりと部屋の窓に降り立ったオリヴィエが、窓に付着した土汚れを綺麗に落とし、最後に窓とカーテンを閉める。
空からそれを見ていたのは五人。
パーシバル、グラムス、ミケラルド、クリス、ライゼンである。クリスとライゼンは、ミケラルドのサイコキネシスによって支えられ、眼下で起こった恐ろしい事実に顔を歪める。
地上に降りた五人。ミケラルドが言う。
「戦争の火種ですねぇ……」
ミケラルドは呆れつつも、そう言うしかなかった。
ゲバンに対しダイヤモンドを送ったが、これが紛失したとなれば大問題である。しかし、ゲバンの非になるような事をオリヴィエがするはずはない。
「ミナジリ共和国の贈答品は盗まれた事にするんでしょうね。そうすればクルス殿の評価を上げず、オリヴィエ殿に非難は集まらず、別のダイヤモンドを持ち帰ったゲバン殿の評価を集められる。と、いったところですか。おざなりではありますけどね」
血相を変えて肉薄するクリス。
「ミケラルド様っ! 姪がとんでもない事を致しました! 本当に! 本当に申し訳ありません!」
胸倉を掴み懇願するようなクリスに、首をカクカクさせられるミケラルドは、オリヴィエが消えて行った窓を見つめるのだった。
「ミケラルド様ぁっ!」
ついにクリスは泣いたのだった。
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