◆その721 大暴走10
「まずいぞ、クルス……!」
法王クルスとは旧知の仲である商人ギルド総括ギルドマスター、白き魔女リルハが零す。
法王クルスがその背でリルハの言葉を聞く。
「あぁ……くそ!」
既に近衛兵にも大きな傷が見え、その動きからか何匹ものモンスターを取りこぼしている。
人間同士の間を縫うように法王国の中心――ホーリーキャッスルへと駆けるモンスターが見据える次なる壁。
「このままでは、支援部隊にまで……!」
既にモンスターは後方に控える冒険者たちにまで達している。
その冒険者たちをサポートしているのが、聖騎士学校の生徒たちなのだ。法王クルスは歯を食いしばりながらも、今出来る最善を行う事しか出来なかった。
「ちっ! フレイムウォール!」
どれだけ巨大な炎の壁を出そうとも、モンスターたちは立ち止まり、炎が途切れる場所まで迂回するだけ。ほんの数秒の時間稼ぎにしかならない。
それはクルスにも、リルハにも、ヒルダにさえわかっていた。
だが、それでもやるしかなかったのだ。
――その直後の事だった。
「……ぁ」
それは近衛兵から漏れた小さな、ほんの小さな失敗の声。
腕に流れた自分の血。それが剣の柄に付着し、血のぬめりで手が滑っただけ。
たったそれだけのミスだった。
次の瞬間、近衛兵の首は消え、赤い雫だけがクルスの頬へ飛ぶ。
「おのれ! 【
手刀に纏う炎の刃。
法王クルスの身が、初めて危機に晒された瞬間だった。
近衛の円陣が一つ小さくなり、再び法王クルスを囲うも、彼らの負担もまた一つ大きくなったのだ。
((このままでは……!))
リルハ、ヒルダ、クルスの焦燥に染まる顔は、誰もが理解していた。
個々で生き残る事は可能だ。しかし、押し寄せるゴブリン、オーク、オーガ等の全てを倒せる事とは違う。
抱えきれないモンスターは一匹、また一匹と増えていく。
そしてそれは遂に、後方支援部隊であるルナ王女やレティシアの下にまで達した。
ゴブリン、ホブゴブリンと……マスターオーガ。
「マスターオーガ!
引率のマスタング講師が剣を構えるも、背後にいる生徒たちはその圧倒的な存在感に
それを背中で察したマスタングの額に、冷たい汗が流れる。
そんな中、マスタングの隣に展開したのは――、
「「ホブゴブリン、チェックです!」」
サッチの娘サラと、ルナ王女。
「ゴ、ゴブリン、チェックですっ!」
公爵令嬢のレティシア。
震える両手に持つダガーは、レティシアの身長に合わせた物。
身体こそ震えているものの、その心は奮い立っている。
マスタングはこれを見てニヤリと笑う。
「オォオオオオオオオ!!」
マスタングの三倍はある巨大な鬼――マスターオーガの突進。
かわして一太刀。それが出来るならばこの戦闘はただの持久戦と言えた。
しかし現実は――、
(かわせぬ! 後ろには生徒たちが……くっ!)
大上段から大きく振りかぶり、マスタングはマスターオーガの突進に自身の攻撃を合わせた。
「ぬぉおおおっ!?」
マスターオーガはその質量に身を任せ、ただその猛威を振るった。吹き飛ばされるマスタングに気をとられ、ビクリと反応したレティシアが、ゴブリンから目を離してしまう。
だが、それを止めた者がいた。
「これ、視界の敵から目を切ってはいけませんねぇ」
耳元に聞こえたその声に、レティシアはすぐにゴブリンに視線を戻す。
「既に踏破した小さき道。歩けずして大貴族を名乗れるのかぃ?」
それは、この戦場において的確なアドバイスとは言えなかった。
「そんな構えだったかねぇ? 腰の位置は? 視線は? 朝起きて、制服を着て、
しかし、ことレティシアにおいては最適なアドバイスだったのだ。腰を落とし、視線を真っ直ぐ。リボンは曲がっていない。何故なら、今朝直してもらったばかりだから。
「そうそう、それが小娘の
「えぇ、わかっています……!」
背から離れていく気配を悟り、レティシアが言う。
「ありがとう、ヒミコ」
「いないいないばぁ……」
くすくすけたけたと笑いながら消えて行くヒミコの声を背に、レティシアが走る。
結果はわかり切っていた。ミケラルドと共に過去幾度も倒したゴブリン。その経験をなぞるだけ。レティシアの勝ちは決まっていたのだ。
だが、戦場でそれを成すのは、誰にでも出来る事ではない。
「はぁはぁはぁ……」
膝を突き、剣を大地に突き、呼吸を整えるレティシア。
その視線の先では、ホブゴブリンを両断するルナ王女の姿があった。
残心まで忘れない彼女を見て、大きな溜息を吐くレティシアが次に見たのは、マスターオーガと接戦を繰り広げるマスタングだった。
「カァアアアアッハッハッハ!」
マスタングの攻撃は強く激しく見えるも、その実、マスターオーガの分厚い筋肉を貫く威力を有していない。
しかし、その動きを止める事は出来ている。
今は、それでよしとするしかない。マスタングはそう思い、生徒たちの精神的回復を待った。彼らの支援魔法を待ったのだ。
だが、この大暴走という未曾有の大事態は、マスタングの事を待ってはくれなかった。
「ぐぅ!?」
遠方から肩を突き刺されたマスタングの顔が歪む。
(くっ!? ど、どこだ!?)
見れば、冒険者の槍を奪ったマスターゴブリンが、それをマスタングに投げつけていたのだ。
「くっ、不覚!」
その眼下では大口を開けるマスターオーガ。
いくらマスタングとて、それを防ぐ事は出来なかった。
しかし――、
「……ぬ?」
ガチンと閉じられたマスターオーガの口。マスタングはマスターオーガの顔に着地していた。直後、その顔が揺れ落ちる。
なんと、マスターオーガの首ごと断ち切られていたのだった。
「おぉ……」
落ちた首と共に着地したマスタングが零す。
余りの出来事に呆気にとられていた皆だが、ただ一人だけ小首を傾げたのはルナ王女だった。
(……今、ヒミカさんやフミカさんに差し上げた香水の香りが……?)
直後、ルナ王女の耳に届く、聞き慣れた、聞き慣れない肉声。
「バレてしまったかしら、フミカ」
「えぇ、あのオーガみたいなギルドマスターに見られてしまいましたわ、ヒミカお姉様」
「ねぇ、見て? あのギルドマスター、
「えぇ、オーガが豆鉄砲をくらったかのようですわ、ミミカお姉様」
「「ほほほほほほ」」
笑い声だけがこだまする、西門前だった。
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