◆その709 微笑みのシギュン2

「……気のせいでしょうか」

「何かしら?」

「私の分のカステラがないんですけど?」

「じゃあ気のせいね。最初からなかったわ」

「はぁ~……しょうがない人ですね」


 困り顔のミケラルドは、別のティーポットを取り出す。


「……それは?」

「聖水を呑み、聖水で育てた牧草を食べて育った牛のミルクです。紅茶に砂糖はアリですが、少し渋めの紅茶にこうしてミルクを入れてやると……」


 くるくると混ぜられる紅茶とミルク、そしてティースプーンを凝視するシギュン。


「ミルクティーです。これとあわせてカステラを食べると最高に美味しいんですが……」

「カステラがないわね」

「どの口が仰られてるんですか?」

「最初に言ってくれれば我慢したわ」

「どの高みから仰られてるんですかね?」

「交渉をしに来たのでしょう? なら私を満足させる事ね」

「噛みついたっていいんですけどね……」

「カステラが、ないわ」


 呆れた様子のミケラルドが、荒々しく闇空間から新たなカステラを取り出す。そして、先程より大きなカステラをシギュンの前にどかりと置いたのだ。


「やっぱりあるじゃない」

「太りますよ」

「稀にしかないのでしょう? なら太れないじゃない」

「あぁ言えばこう言う女狐ですねぇ……」

「吸血鬼に言われたくないわ」

「ところで」

「何?」

「フォーク、返してくれません?」


 ミケラルドが手を差し出しフォークの返還を求める。

 シギュンの手元にはフォークがある。しかし、ミケラルドの皿の上にあったフォークがなくなっているのだ。


「出し忘れたんでしょう」


 しらばっくれるシギュンにミケラルドが続ける。


「フォーク如きで脱走出来るとは思えませんが、念のためという事で」


 そう言うと、シギュンはすんと鼻息を吐いてからベッドの下からミケラルドのフォークを出した。


「結構です」


 微笑みフォークを受け取るミケラルドと、むすっとした様子のシギュン。


「このフォークで何しようとしたんですか?」

「そんなのは私の勝手でしょう」

「確かにこれはミスリル製ですが、ただでさえ魔力が落ちてるのにオリハルコンの壁ですよ? 傷すら付きませんよ」

「そんな事、最初からわかってるわよ」

「ほぉ~」


 言いながらミケラルドの目が細くなる。


(……なるほど、トロフィーか。俺から盗んでやったという証が欲しかった、そんなところだろう)

「その目、嫌われるわよ」

「嫌われてもいい方にしか向けませんよ。法王国全国民から嫌われてるシギュンさん」

「実力以上に性悪になったわね、アナタ」

「お褒めの言葉、ありがとうございます。さぁ、そろそろ教えてくださいよ。ニコニコしちゃった理由を」

「アナタを困らせたい私が、それを教えるとでも?」

「だからこそですよ」

「どういう意味?」

「私を困らせたいのであれば、無言を貫けばいい。それをしないんですもん。手抜きが見え見えで駆け引きの余地すらありませんよ。それに、私からの誠意は見せたつもりですし、シギュンさんはそれを理解してお茶をご一緒してくれたと思ったのですが?」


 ミケラルドがそこまで言うと、シギュンは口を噤んでしまった。しかし、ほんの十数秒の沈黙の後、シギュンは深い溜め息を吐いて見せた。


「……ホント、やりにくい相手よね」

「それ、最近のシギュンさんの口癖みたいになってますね」

「…………エレノアがここに来たわ」


 遂に観念したシギュンは、ミルクティーを啜り、そう告げた。


「ここに?」


 ミケラルドが聞くと、シギュンは奥の壁に目をやった。


「……なるほど、地下二階の牢獄。それもオリハルコンの牢にどう来たのかと思えば。地中からオリハルコンの壁を叩きましたか。これは私の失敗です。後ほど、対策をとっておきましょう。それで、ラティーファは何と?」

「あれから丸一日経っているから、もしかすると危ないかもしれないわね」

「……どういう意味ですか?」

「在籍が短かったアナタは知らないかもしれないけれど、ときの番人同士が行える信号会話があるのよ」

「ノックの音で指示が出せると?」


 ニコリと笑うシギュン。


(なるほど、モールス信号のようなものか)


「……あの魔族の子、何といったかしら?」

「魔族の子……? もしかしてファーラさんですか?」

「そうその子。あの子の魔力、危なかったんでしょう?」

「え、えぇ……」

「当然、あの特殊な魔力形状は我々も情報共有をしたわ」

「我々……?」

「だから、私たちもあの魔力の形は知っていると言っているの」


 シギュンがそこまで言ったところで、ミケラルドの表情が険しくなる。バッと立ち上がり、膨大な魔力を放出したのだ。


「……怖い魔力ね」


 脂汗を滲ませるシギュンを凝視するも、ミケラルドの魔力には何の変化もなかった。微細な波が見え、美しいとすら思えるような魔力だった。


「っ! クインか!」


 直後、ミケラルドはオリハルコンの牢を抜け、目にも止まらぬ速度で隣の牢に向かった。

 そんなミケラルドを見送ったシギュンの目が動く。

 視線の先には、二人分のカステラと、二人分のミルクティー。


「美味しそうねぇ」


 微笑み、その小さな口でミルクティーを味わう。


「……ん~、おいし♪」

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