◆その708 微笑みのシギュン1
ミケラルド・オード・ミナジリが法王クルスにアーダインからの伝言を伝え、ホーリーキャッスル地下二階の牢に続く扉を開けると、正面のオリハルコンの牢には、頭部を打ち続ける元聖騎士クインがいた。
そして、ミケラルドを見つけるや否や、噛みつくように言ったのだ。
「ミケラルド! ミケラルドォ! 殺す! 殺してやるっ!」
強い殺意を帯びたクインの目。
しかし、ミケラルドはこれを受けても尚涼しい顔をしていた。
(相変わらずすげぇ筋肉だな。牢屋の中で筋トレでもしてるのだろうか。だが、心なしかいつもより殺気が薄いような気がする)
横目にクインを見ながら牢を通り過ぎるミケラルド。
「絶対お前をぶち殺してやる! 一族郎党皆殺しだ! ミナジリ共和国の民も同じだ! 男は
(普通逆だろう。斬新過ぎて突っ込む気にもならないな……)
「ハハハハハッ!」
クインの笑い声を背で受け、ミケラルドは更に奥の扉へと向かう。
開いた扉の先にいたのは、元聖騎士団長オルグ。
「これはミケラルド殿」
そんなオルグの言葉を聞き、牢の中にいたシギュンがピクリと反応する。ミケラルドが頷きアイコンタクトを送ると、オルグは一礼してからその場から去って行った。
扉がパタリと閉まると共に、シギュンが言う。
「あら、久しぶりね」
まるで今ミケラルドに気付いたという様子で。
「本当は明日遊びに来る予定だったんですが、都合もあって今日来ちゃいました」
「ふふふ、それはどんな都合かしら」
「あまりオルグ殿を嘗めない方がいいですよ」
言うと、シギュンが口を噤んだ。
「報告がありました。シギュンさんが笑った回数がいつもより多いと」
「………………ほんと、この【歪曲の変化】は厄介ね。どんな微細な表情も拾い、誇張してそちらへ届ける」
オリハルコンの壁に触れ、ミケラルドをじっと見るシギュン。
そして、その壁に爪を立てうらめしそうに天井のマジックスクロールを見たのだ。シギュンの魔力を常時吸い込み、日常生活レベルでしか活動出来なくさせるミケラルドの自信作。
シギュンがマジックスクロールからミケラルドに視線を戻す。
「っ!」
すると、ピタリとオリハルコンにくっついているミケラルドがいたのだ。
「な、何……?」
ミケラルドが凝視する先は……シギュンの立てられた爪。
あわてて爪を隠すシギュンを前に、ミケラルドは闇空間を発動した。
中から取り出されたのは、何の変哲もない
「爪、伸びましたね。整えましょう」
言いながらミケラルドが【壁抜け】を使い牢の中へ入る。
「っ! レディの部屋に失礼じゃなくて?」
「何か勘違いされてるようですけど、ここはホーリーキャッスルです。家主はクルス殿ですよ。アナタはここにいるだけ。部屋の
ムッとしたシギュンが諦めたようにベッドの上に腰掛ける。
「フンッ、好きにすれば?」
「えぇ、もう終わりましたよ」
「なっ!?」
驚きの余り自身の手足を見るシギュン。
そこには見事に磨かれた爪があった。
ぽかんと口を開けるシギュンがハッとした様子でミケラルドを見る。
「アナタ、また強くなったでしょう」
「あ、気付いちゃいました? 今日は機嫌がいいので、なんかご馳走しますよ」
ミケラルドがそう言うと、ベッドの前にオリハルコンのテーブルが現れる。手際よくソーサーにカップ、ティースプーン、茶菓子用の皿とフォークが用意され、美しい水龍のミスリル細工のシュガーポットが、テーブルの中央に置かれる。
「お砂糖はおいくつ?」
「どういうつもりかしら?」
「模範囚には稀にこういった特典もあるんですよ」
「不快な記憶しかないのだけれど?」
「あぁ、オルグさんが希望したメイド服ですか? 似合ってましたよ」
「そういう事を言ってるんじゃないのだけれど?」
「黒のソックスにするか白のソックスにするか迷ったんですが、やっぱり白かなーと」
「くっ! …………一つよ」
観念したシギュンが、ミケラルドがずっと待っていた質問に答える。
「そうでしょうともそうでしょうとも。やっぱり甘いは正義ですよね。あ、これミケラルド商店の試作品です【カステラ】っていうんです」
「実験台になれと?」
不服そうにシギュンが言う。
「試食は済ませてます。卵のアレルギーないですよね? 試作品なのは包装による保存がうまくいってないからなんですよ。あ、聖水で育った鶏の卵から作ってるので、濃厚で美味しいですよ」
そう言いながら、ミケラルドが宙に腰掛ける。
シギュンがカステラを見、微笑むミケラルドを見、カステラを見、微笑むミケラルドを見……フォークをとる。
フォークで一口大に切り分け、じっとミケラルドを見ながら、カステラを口に運ぶシギュン。
頬張った瞬間――、
「っ!」
シギュンの顔に一瞬笑みが零れた。
が、ミケラルドの微笑みがそれを邪魔した。
「美味しいでしょう」
ミケラルドのからかい交じりの言葉に、シギュンは反応を見せない。見せてやるかといった表情である。
だが、カステラの魔力には勝てないようで、シギュンは、ただフォークでつんつんとカステラをつつき、ミケラルドをじっと見た。見続けた。まるで、自分を見るなと訴えかけるように。
「はいはい、見ませんよ」
降参と言いたげに両手を挙げ、シギュンから目を離して背を向けたミケラルド。
すると、ミケラルドの背から、小さな……本当に小さな咀嚼音だけが聞こえて来たのだった。
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