その448 おすわり

 それは、【フェンリル】にとって正に奇襲と言えただろう。

 極限まで魔力を鎮め、弱者を装っていた俺との賭け。

 フェンリルのげんによれば、俺が勝てばフェンリルは俺のペットになってくれるそうだ。フェンリルが勝った場合、それは当然食用ミケラルドをゲット出来る事にあるだろう。


「へ? ……へ?」


 このフェンリル、確かに速い。

 真っ向勝負であれば、負けはしないものの少々手こずっていた。いや、場合によっては逃してしまっていただろう。


「ななななな何なのだこれは!? 死んじゃうのだだだだだっ!」


 だが、炎龍ロードディザスターがバグってしまう程の俺を前に、一気に魔力含む多くの能力を解放した俺を前に、フェンリルが起こした行動は……硬直そのものだった。

 ピクリとも動かない身体。当然だ、ただでさえフェンリルを上回る魔力を見せつけ、【威嚇】、【強威嚇】、【超威嚇】の揃い踏みだ。

 腰が引け、八の字、、、になった目元は既に勝負を捨てている。

 そう、これは既に勝負ではない。

 フェンリルの戦いの意思は、俺の魔力解放と共に消え去った。

 だが、賭けもあるし、相手もそれを呑んだ結果だ。

 フェンリルも笑って許してくれるだろう。


「へ……えへへへ……へ?」


 危ないクスリでもやっているのかと思うくらい、フェンリルは笑ってくれた。

 人は一定の痛みや恐怖を超えると笑うと聞いた事がある。

 それが本当かどうなのかはどうでもいい事だ。事実、フェンリルは萎縮し、恐怖し、心が折れてしまったのだ。


「怖くないよー」


 遠方から俺の魔力の底を確認出来たのであれば、フェンリルはここへ来る事もなく難なく逃げられただろう。しかし、フェンリルは気付いている。いや、理解していると言った方がいいだろう。

 この場からはもう逃げられないと。

 そして、この奇襲があったからこそ、フェンリルの頭には炎龍を先に襲うという冷静な判断が出来ない。相手が人間だったら難しいだろうが、相手は獣。

 特に、Z区分ゼットくぶん相手には【ミケラルド式とんでもトンチ大作戦】と相性がいい。


「フェンリル君」

「は、はいっ!」


 毎秒寿命を削られているような顔をくしゃくしゃにしながら、フェンリルは元気に返事をした。絶対に逆らってはいけない相手を見ているようだ。

 事実、フェンリルにはそう見えてしまっているのだろう。可哀想に。

 俺は【闇空間】からオリハルコンの塊を取り出し、薄く引き伸ばして見せた。

 肌触り良く、角という角に丸みを持たせ、簡単な調節細工を施しフェンリルに言う。


「どうかな? フェンリル君のサイズに合わせた首輪なんだけど?」

「と! とてもよろしいかと!」

「そうか、気に入ってくれたようで何よりだよ」


 俺が微笑み一歩進むと、フェンリルが一歩じりと下がる。


「おや、どうしたんだい?」

「い、いえ! 足が、足が勝手に……!」


 ガチガチと歯を鳴らし、怯えている。

 おかしい、ここにはとても優しそうな吸血鬼さんしかいないのに。


「死んじゃうのだぁあああ!?」


 岩陰にいる頭隠して尻隠さずを体現した炎龍の嘆きも聞こえる。


「だいじょうぶ、いたくない。いたくないよ~」


 爪を伸ばしながら微笑みフェンリルに迫る俺。


「痛いの嫌! 痛いの嫌!」


 動物病院を怖がる犬のようである。


「痛いの――あれ!?」


 いつの間にかフェンリルの背後には岩の壁があった。


「な、何で……?」

「手術室へようこそ」


 そう、俺とフェンリルを囲う岩壁も、屋根も、俺が【土塊つちくれ操作】で用意したものだ。そして最後に――。


「ひっ!?」


 地面からせり上がる手術台に乗ったフェンリルの小さき悲鳴。


「いいこだね、いたくないよ~」


 俺が手をワキワキさせながら近付くと、フェンリルはここが世界の中心であるかのように叫んだ。


「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?」


 ◇◆◇ ◆◇◆


 よし、【きわみ嗅覚】と【きわみ獣脚】をゲット。

 ぐったりと疲れ果てている【フェンリル】と、どこか距離を感じる【炎龍ロードディザスター】。


「お、お前一体何なのだ!」


 はて、今日何回目の質問だろうか、と考えたところで思い出した。

 そうだった、俺はまだ二人に自己紹介をしていなかった。


「初めまして、俺の名はミケラルド・オード・ミナジリ。北にあるミナジリ共和国の元首ね」

「げんしゅ?」

「まぁ王様みたいなもんだよ」

「王か! 道理で強いはずなのだ!」


 俺の話に興味津々な炎龍との距離が元に戻ると、フェンリルがちらりと俺を見て言った。


「北東に魔界がありますが、そこではないのですか……?」

「人類の国だよ」

「っ! それでは、ここ最近、水龍の加護を受けたというあの!?」

「へぇ、詳しいな。どこから仕入れたんだ?」

「森や山にいても人がいない場所はありません。自然と会話が耳に入るのです」

「へぇ。あ、その首輪の付け心地はどう? 痛かったら言ってね」

「いえ、とても馴染みます」

「そりゃ何より。いくつか魔法を付与してるから前より強くなってるはずだよ」

「あ、ありがとうございます」


 ヒクヒクしながら笑うフェンリル。後でナタリーに名前を考えてもらおう。

 その内、フェンリルも慣れるだろう。まずは闇エメラの餌付け大作戦から始め、人間界の素晴らしさを伝えていこうと思う。


「それで、この後は何をするのだっ?」


 可愛らしく首を傾げる炎龍。

 そう、問題は炎龍コイツなんだよなぁ。

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