◆その279 一人分

 吹き荒れる魔力の波。

【覚醒】状態となったミケラルドの瞳が黄金へと変わる。


(やはり、ボンの正体は……!)


 剣神イヅナが眉をひそめミケラルドを見据える。

 その瞳には恐怖も敵意もなかった。イヅナはただミケラルドを困惑の眼差しで見つめていたのだ。


(ボン、ジェイル、リィたん。この三人はおそらく魔族。ならばジェイルはあの時のリザードマンの子孫? いや、魔族は長命と聞く。一合剣を交えれば本人かそうでないかわかるものだ。しかし何故人間界にやって来た? 何故今になって私の前に現れたのだ。だが違う、今考えるべき事はそんな生温なまぬるい事ではない。この威圧感、この突き刺すような魔力、そして何よりあの目……剣神と称される私を前にしてあの笑み。 男子、三日会わざれば刮目かつもくして見よとは言うが、魔族とはくも早く成長するものなのか? いや……おそらくこの成長速度は魔族の中でも異常。戦力こそ現状リィたんのが上だが、このミナジリ共和国の頭目はボン。先を見据えた上で、ボンの仲間がボンを祭り上げている。……魔王? だが、ボンからはそんな邪気は感じない。ならば一体ボンは何なのだ? いや、それもまた違うのだ。今考えるべきは……――)


 イヅナがかぶりを振る。


「今考えるべき事など何もない。そうだろう、ボン?」

「その通りです。私はただ生きるために、皆を守るために強くなるだけ。それにはイヅナさん、貴方という踏み台が必要なんですよ」

「ほっほっほ、剣神イヅナを踏み台か!」

「あれ? もしかしてその二つ名気に入ってました?」

「いんや」


 首を振るイヅナに、ミケラルドが首を傾げる。


「ただ便利なだけよ。そう、生きるためにのう」


 口の端を上げてそう言ったイヅナを見て、今度はミケラルドが大きく笑う。


「いいですねぇ、そういう考え大好きです、私……!」

「人生の先輩として、少しくらいはボンにいいところを見せんとな」


 腰を落とし構えるイヅナ。


「私としては軽く凌駕したいところです」


 同じく腰を落とすミケラルド。


「ほぉ?」

「剣神イヅナ十人分。オベイルさんにまずはそこを目指すって言ってしまいましたから」

「……なるほど、ではまず一人分。存分に凌駕してみよ」


 直後、辺り一帯は沈黙に包まれた。しかしそれも一瞬。

 両者の踏み抜いた大地が爆ぜた時、周囲は音に包まれた。

 ぶつかり合う金属音。ミケラルドの手甲とイヅナの剣。音だけが響き、二人の姿は消えている。間髪容れない音の波はノイズのよう轟き世界を駆け抜ける。

 やがて現れる剣神イヅナの上段からの一撃。


「神剣、神威!」

「惜しい!」

「ぬっ、グラビティコントロールか!」


 神速の一撃を限界まで緩めるため、ミケラルドが使ったのはラジーンから得たグラビティコントロール。手甲で的確に剣を捉え、外に弾き飛ばすも、イヅナの蹴りがミケラルドの頬をかすめる。

 だが、イヅナがかすめた顔はもうそこになく、一瞬の内に背後へと移動していたのだ。


(【瞬歩】! いや、更に【獣脚】!? 一体どれだけ持っている、ボン……!)


 ミケラルドは大地を五指ごしで掴んで急停止し、そのまま横に顔を振った。ミケラルドの口から飛び出たのは……煉獄の火炎。


「ほっほっほ! 火を噴くか! 神剣、水煉!」


 水魔法【ウォーター】をまといし剣は、火炎ブレスを縦一閃に割り、更にはミケラルドを狙った。だが、その剣はイヅナの視界と共に揺れたのだ。


土塊つちくれ操作!? 大地を掴んだ理由は、支えではなく攻撃!)

「こっちが本命です!」

(まだまだ甘いの、ボン……)


 直後、ふわりと浮くイヅナの身体。それは、イヅナが【軽身功】を使用したからに他ならなかった。イヅナの身体を揺さぶる程度のほんの少しの土塊操作しょうげき。たったそれだけでイヅナの身体は木の上までふわりと浮いたのだ。


「――って、言うと思いました?」

「なっ!?」


 そう、土塊操作はイヅナを狙ったものではなかった。

 イヅナが感じ取った衝撃は、魔法発動の予備動作。イヅナの足下にあった土の波がミケラルドへ向かう。しゃがみ込み、体勢を整えていたミケラルドの足下から、巨大な土壁がせり上がる。

 イヅナへ向かって真っ直ぐに射出されたミケラルドの速度は、たとえ剣神イヅナとて、対応できるものではなかった。

 イヅナがかろうじて受けた剣には力が伝わり切らず、ミケラルドの攻撃全てを受け流せなかったのだ。


「グッ!?」


 化勁を使い身体をよじり、肩で受けたソレはイヅナの体内に大きなダメージを残した。着地したイヅナの顔が一瞬歪むも、すぐにその表情は明るく快活なものへと変わる。


「かっかっかっか! 流石ボン、化かしよるっ!」


 その威勢、生粋の挑戦者。

 その胆力、歴戦の勇士。

 再び跳んだイヅナを、大いなる魔力を纏った吸血鬼ミケラルドが待ち構える。

 勢いそのままに下段から振り上げる一撃。


「神剣、嵐壊らんかい!」


 全能力を投じ、脈動する腕を振り下ろす一撃。


「内緒にしてください、ねっ!」


 ミケラルドの指から飛び出たのは鋭利な爪。

 そしてその硬度は、自身の付ける手甲オリハルコン以上。

 ぶつかり合う剣と爪、バチンという衝撃音が弾けた時、勝負は決した。


「あいちちち……」


 腹部の切傷を押さえ、膝を突くはミケラルド。

 そしてその背後で、静かに佇むは剣神イヅナ。

 物言わぬイヅナの衣服からじわりとにじみ出る黒く、しかし赤い血液。

 ごぽりと響く音はイヅナの口から発された異音。

 大量の血を口から、身体から流しながら、イヅナが言う。


「ボン……見事よ……」


 微笑みながら倒れるイヅナと、それを優しく受け止めるミケラルド。

 掠れた呼吸をしながら、巡り合えた好敵手に感謝するように頷くイヅナ。

 そして、ミケラルドは言う。


「雰囲気ぶち壊しなんですけど、このままじゃ死んじゃうんで天使の囁きエンジェリックヒールぶっ放しておきますね♪」


 言わないはずがないのだ。

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