その177 純粋悪

 ◇◆◇ リィたんの場合 ◆◇◆


「ミケラルドさん、間に合ったでしょうか……」


 先のレミリアの容態が気になるのか、ネムは心配そうにそう言った。

 確かに、それは私も気になるところだ。


 ――ミック、行け。あれ程の深手だ。おそらくレミリアを回復出来るのはミックしかいない。


「……ふっ」

「どうしたんですか、リィたんさん?」


 覗き込むように私を見て首を傾げるネム。

 あんな言葉、野で暮らしていた私からは想像も出来ないな。

 私は自分の何に笑ったのだろう。過去との違い、変化にか? それとも心の奥にあった私の根底? ……心? やはり変化か。嘆きの渓谷にいた私からは、決してそんな言葉は出てこなかっただろう。

 全てはミックと出会ってから。変化……いや、これは最早もはや進化というのではないか? 生まれ変わったような自分が楽しくてしょうがない。新たな世界を歩む事がこれ程までに楽しいとは思わなかった。

 だからこそそれを、新たな世界を見せてくれたミックには感謝しかない。

 人間の世界ではこの形状し難い感情を何と表すのだろうか。帰ったらエメラにでも聞いてみるか。この前ナタリーに聞いてもむくれるばかりで何も答えてくれなかったからな。


「あ、こっちが救護室みたいですよ。行ってみましょう」

「あぁ」


 ネムの指差す方へ歩いて行くと、私は異変を感じ取った。


「な、何ですかこの圧力っ!?」


 ネムも感じ取っている。

 これはミックの魔力! そう思うや否や、私は廊下を走り始めていた。

 ミックが過去これ程の魔力を放出した試しはない。これは明らかに魔族特有の【覚醒】状態。一体何があった……ミック!


 ◇◆◇ ミケラルドの場合 ◆◇◆


「あははははは! いい! いいねぇその殺気! その殺意! まさかこれ程の魔力を隠してるとは思わなかったよ! あの時のリィたんの倍? いやそれ以上かな!? 魔力だけなら僕と良い勝負するかもね!」

「……やってみるか?」

「いいの~? 今ここで僕とやりあったらそこの二人も、救護室なかにいるレミリアも死んじゃうよ~?」

「………………関係ない」

「嘘だね。その目と魔力を見ればわかるよ。足りない頭使って、どうやってここから僕を移動させるか考えてるんでしょ? でもダメだよ。僕はここから絶対に動かないから」

「煽るだけ煽って……俺に攻撃させようとしているって事か」

「へぇ、足りない頭でもそこまでは行き着くか。でも安心して? 君は絶対に動く。何故なら……!」

「「ひっ!?」」

「……この二人は関係ない」

「あるでしょ? どっちみち死ぬんだし♪」

「っ! お前……どういうつもりだ……!」

「救護室のレミリアを襲ったランクA冒険者のミケラルド、SSSトリプルの冒険者パーシバルによって成敗。犠牲者は三人……ってとこかな」

「周りがそれを信じると?」

「信じるしかないさ。僕を怒らすと国が滅ぶんだからね。あははははっ! 誰が呼んだか破壊魔パーシバルとは僕の事! さぁ、さっきの虫以上だってところを見せてよ! さぁ、僕と遊んでよ! さぁ、今すぐなってよ、僕の玩具おもちゃに!! さぁ!! さぁ!!!!」

「っ!!!!」


 瞬間、俺は駆けていた。

 天使のような笑みを浮かべた悪魔に向かい、一直線に。

 奴が俺を迎え撃とうとしているのはわかった。だがそんな事はどうでもよかった。奴の顔に一発ぶち込まなくちゃ治まりがつかなかったのだ。だが、俺の拳は奴には届かなかった。

 そして奴の迎撃も……俺には届かなかったのだ。


「リィ……たん……?」


 奴の魔法攻撃はリィたんのハルバードによって無力化され、俺の拳はリィたんの左手に受け止められていた。強く逞しく、そして優しい左手に。


「いい一撃だ、ミック。成長しているじゃないか」


 俺は……今……何をした?

 リィたんに……拳を? っ!


「ご、ごめんリィたんっ!」

「謝る事はない。いつもジェイルとやってるような訓練だと思えばいい。ほらな? 怪我もないだろう?」

「そ、そういう事じゃない! 俺は……仲間に……何て事をっ!」

「ミック!!」

「っ!」


 両手で顔を覆う俺に、リィたんは強い言葉を俺に向けた。


「……あの夜の言葉と覚悟をもう忘れたか?」


 リィたんの優しくも厳しい言葉は、先のシェルフでの出来事を俺に思い出させた。


「覚えてる。勿論、覚えてるさ……」

「ならば、今一度心に刻め。お前は水龍リバイアタンわたしを従えた男だ」

「…………わかった。いつもの俺……だな」

「そうだ」


 そんな俺の理解を聞くと、リィたんはいつものように笑って応えた。

 だが、そんな事など意に介さぬように、リィたんの背後にいた悪魔は言った。


「あ~あ、何で邪魔するかなぁ? 折角一瞬でケリをつけようと思ってたのに~。はぁ~、何だか水差されちゃった気分だよ。二人相手だと時間掛かりそうだし、やっぱり大会後までお預けか~」


 言いながらパーシバルは、きびすを返して反対方向へ歩き始める。


「あ、そこの二人~?」


 あの男がラスターとキッカをじろりと見る。その横目はやはり悪魔が棲み着いているかのようだった。


「この事は内緒ね♪ じゃないと国ごと滅ぼすから♪」


 パーシバルは、彼らの返答など気にしていないのだろう。

 彼らの恐怖に引きつった顔こそが答えだと言わんばかりに、パーシバルは作り笑顔に戻った。歩き去って行くパーシバルにほっとした二人だったが、パーシバルはまた足を止める。


「おい」


 そう、リィたんが止めたのだ。


「誰が行っていいと言った?」


 パーシバルはぐりんと顔をこちらに向ける。


「はぁ?」


 その目には、怒気と殺気があった。

 並大抵の冒険者ならば萎縮してしまう程に。

 それを正面から受け止め、パーシバルがリィたんから離れた数歩を、リィたん自らが埋めて行く。

 一歩、また一歩。

 静かなる水の如き魔力が、コップから溢れ、噴き出し、波となり、津波となるように……徐々に魔力が肥大していく。その深淵は……まだ俺には覗けそうもない。

 身体が震える。

 冷や汗、悪寒どころではない。身体が完全に生きる事を諦めたかのようなそんな感覚。

 俺も、ラスターも、キッカも……今この場にいる者は誰一人例外なく…………リィたんを恐れていた。

 当然、それはパーシバルだって同じだ。


「何だ……何だコレ……?」


 ガタガタと震えるパーシバル。

 陽炎のように魔力で歪むリィたんの背中。

 パーシバルを見ているその魔眼とも言うべき龍の眼は、奴に何を与えるのか。

 それは、俺にもわからなかった。きっとリィたんは、俺にその眼を見せないように背を向けたのだから。


「何だよ……! 何だよお前っ!?」


 搾取。あの二人の間に、一方的な搾取を連想した。どちらが奪う側なのかは明白だった。

 恐怖を与えるリィたんと、恐怖にうずくまるパーシバル。


「やめろ……やめろっ!」


 尻餅を突きながら後ずさるパーシバルに、リィたんが言った。

 低く威厳のあるあの声は、正に水龍リバイアタン。


「この事は内緒だ……じゃないとお前の全てを八つ裂きにし、お前の全てを滅ぼす」


 失禁まで晒した少年パーシバルは、先の二人以上の恐怖に、引きつった顔を皆に晒しながら脱兎だっとの如く逃げて行く。

 これまで、物語の主人公が自分だと思った時期も俺にはあった。

 しかし、ここまで役者が違うと俺もヒロイン、、、、に甘んじた方がいいかなと思ってしまう。


「ふふん、どうだ? 我ながら平和的解決だっただろうっ?」


 振り向き、振り撒いた笑顔がなんと美しい事か。

 正直、リィたんになら抱かれてもいいかなって思った三歳児だった。

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