その107 母親

「……ふぅ」

「『ふぅ』じゃねぇよ、ガキ。ここはどこなんだ?」

「ナタリーの家の隣ですよ。新しく家を造ったんです」

「それにしてもおかしな事だぜ。さっきまでと雰囲気がちげぇじゃねぇか」


 正直、それはドゥムガの記憶から抹消したいと思っている。

 何だったんださっきの俺は? 意識はあるのに……まるで、自意識だけが誰かに奪われているような感覚だった。俺の不調でない事を祈りたいが、この世界に来てまで黒歴史を作る事もないだろうに。


「で、これからどうするんだ? 俺様は何をすればいい? 誰を殺せばいい?」


 まぁ、ここからが難題なんだよな。


「ドゥムガさんの食事、改善できますかね?」

「は? そりゃどういう事だ?」

「人間を食料としてみないって事です」

「はぁああああ!? そんなの無理に決まってるじゃねぇか! 魔族ってのはなぁ! 人間を食ってなんぼなんだよ!」


 まぁ、そうなるよな。

 人間にとっての家畜。魔族にとっての家畜が人間なのだから。

 弱肉強食の世界に照らし合わせれば当然ではある。しかし、それを当然と受け入れられないのが人間の世界である。

 やはり、この方々に頼る他ないだろうな。


「「呼んだか、ミック?」」


 入って来たのは人間界を代表する魔族の二人。


「何だ、ジェイルじゃねぇか」


 流石ジェイル師匠。ここに入る前からドゥムガの存在には気付いていたようだな。


「それに……誰だぁ、こいつは?」


 こいつ死んだかもしれないな。


「ほぉ、ダイルレックスがこんなところにいるのも珍しい。それで、これはどういう事だ、ミック?」

「え~~っと……リィたん、こちらドゥムガさん。物凄く偏った言い方をすると、俺とリィたんを出会わせてくれた魔族だよ。ドゥムガさん、こちらリィたん。物凄く包んだ言い方をすると、嘆きの渓谷のヌシです」


 直後、リィたんの目は輝き、ドゥムガは目から輝きを失った。


「ドゥムガといったか!? お前は良い仕事をした! 末代まで誇るといいぞ!」

「お控えなすってお控えなすって! あっしはドゥムガ! ダイルレックス種の端くれでさぁ!」


 俺がナタリーの血を吸った直後に謝罪したみたいになったドゥムガは、こうべを垂れ、唾を撒き散らしながら……ガタガタ震えていた。

 ドゥムガのこういうところは初めて見た。なるほど、流石はリィたんだ。

 それから俺は、ドゥムガがここにいる理由。そして現在俺が困ってる理由を説明した。


「――とまぁ、そんな訳です」

「それなら簡単だろう」


 ジェイル君は即答だった。


 ◇◆◇ ◆◇◆


「はははは、エメラのシチューは最高だな! 俺様の味覚にバッチリ合うぜ!」

「お褒めにあずかり光栄です」


 とまぁ、【呪縛】の力を使い、ドゥムガの味覚を完全に変えてしまえばよかった訳だ。

 因みに、人間を食べたくなると吐き気をもよおすおまけ付きだ。

 これは、ドゥムガの深いごうだと思っている。

 さて、次の難題はそこにいてむすっとしているナタリーだな。


「ぜったい! ずぅええええったいおかしい! 何でこいつがここにいるのっ!?」

「だから、かくかくしかじかって言ったろ?」

「かくさんもしかさんも関係ないよ!」


 そういう受け取り方は初めて見た。

 まぁ、ナタリーの怒りももっともである。

 相手は一度ナタリーを殺そうとした存在。食卓を囲むなんてありえるはずがない。

 憎しみではなく、ここまで単純な怒りとなっているのは、結果としてドゥムガは俺の恩人である事を知っているからだ。

 そう、俺はこいつがいなければアンドゥを倒しナタリーと合流出来なかった。

 リィたんとも会えなかったし、ここまで戻れたかもわからない。

 非常に複雑なナタリーの感情。これを更にかき回したのがナタリーにとって超意外な人物――――そう、何を隠そうこのエメラ夫人なのである。

 そうなのだ。ドゥムガに食卓を囲ませたのはナタリーの母、エメラなのだ。

 当然、彼女にはナタリーがドゥムガに襲われた事も話している。

 しかし、エメラはそれを静かに受け取るだけだった。

 彼女の献身に何の意味があるのか、それは俺にもわからない。

 だが、いつもの食卓であるこの場にいる唯一の人間。それがエメラだ。

 それが彼女の強みなのかもしれない。


「ナタリー、食事中は静かにしなさい」


 おかしい。先日マックスたちと食べた時はもう大騒ぎだったというのに、何故娘に対してはここまで厳しいのか。


「だってお母さんっ!」

「ナタリー、あなたミケラルドさんに協力して多種族が共存出来る場所を作るって決めたんでしょう?」

「……え、そ、そうだけど……」

「魔族の文化を受け入れろとは言いません。ドゥムガさんと仲良くしろとも言いません。けれど、魔族の方々が住める場所を作るというのであれば、全てを呑み込む覚悟をするべきです」


 なるほど、エメラの考えは今の俺に近い。

 魔界あっちの世界の事を人界こっちの世界に持ち込むな。そう言っている訳だ。がしかし、これはまた酷な事を。


「それに、将来お姫様になりたいと言っていなかったかしら?」


 一体何故そんな話が出てきた?


「そ、それは今関係――」

「――大ありです」


 凄い、エメラ無双だ。ドゥムガですら開いた口が塞がらない。


「高い身分の人間がどうやって生きているか知っているの? 勿論、あなたが目指す高貴な存在――そう、ランドルフ様のような」


 ナタリーは俯く事しか出来ない。


「自分を殺して生きています。やりたくない事をやり、人も裁きます」


 俺の知ってるサマリア侯爵はそんな感じではないが、エメラの言いたいところはそうじゃないんだろうな。


「時には、自国の領土を侵した国と和解しなければなりません」

「っ!」


 そういう事か。目指す場所が高ければ高い程、滅私めっしする事は多くなる。

 俺と多種族国家を目指すのであれば、決めたのであれば、今出来ないのはおかしい。

 そう言いたい訳だ。


「ふふふふ、レティシア様なら出来るんでしょうね~」

「うぅ……」


 何このエメラ、超怖い。

 クロードは黙々とシチューを口に運んでる。

 なるほど、お説教モードのエメラには触れない方向か。

 俺もそうしたいが、そうも出来ない。


「ドゥムガさん、ナタリーに謝罪を」

「な、何で俺様が――」

「「謝罪だ」」


 俺以外の魔族二人の目が光る。

 ジェイルズアイとリィたんズアイがドゥムガを捉えると、ドゥムガは観念したように目を伏せた。そして、しばしの沈黙の後――、


「わ、悪かった……」

「………………うん」


 ナタリーがこれを消化するには無理がある。

 しかし、エメラの言葉が謝罪を受け入れる程にまで緩和させたという事か。

 だけど凄いな母親というのも。普通は愛娘を殺そうとした相手に食事なんて振る舞わないだろうに――――ん?


「あ……べべべべべ……?」


 何故ドゥムガは急に倒れたのだろう?


「あら、思ったより早く効きましたね、この麻痺毒」


 ………………お母さんってホント凄い。

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