第53話 ハーモニー

 そして再びの合唱パート。

 歌い出しで私は月華さんと顔を見合わせる。

「合いましたね」

「合ったわね」

 これまで二声が――部長ともうひとつの声が美しく調和することはあっても三声がハーモニーを作ったのは初めてだった。一人がサボタージュをやめつつあるらしい。変化は顕著だった。進行とともに声が溶け合い、響き合う場面が増えていく。

 そして二度目の三味線パート。行方の知れないアイヌ娘を待ちわびる想いが『津軽あいや節』の陰調で奏でられる。三味線は緩やかに三度目の合唱に引き継がれ、官憲たちが望郷の念に揺れる場面がはじまった。

 私と月華さんは再び視線を交わす。歩み寄らなかった最後の一人が他の四人のハーモニーに引き込まれはじめた。曲の進行とともに調和の頻度も精度も高まっていく。

 最後は散り散りになってしまったけれど。

 舞台袖に退いた部長が顔を覆ってしゃがみ込む。続いた五年生たちはまだ互いに顔を背けてはいたけれど部長の背に置いた手を重ねているのが見えた。

 「求心力を音楽そのものに」と口にしたことがあった。その糸口がこの土壇場で掴めたらしい。

 最後の三味線がはじまる。ここからが本当の意味でのカデンツァだ。三味線を弾く主人公のアイヌ娘に向ける愛憎が『津軽じょんがら節』によって激しく掻き鳴らされる。

 ――これは南畝さんと私。

 人形の袖の中で持たれた扇が右手から左手へ渡る際、南畝さんの小指が見えた。

 『じょんがら節』は元々、戦乱から故郷を守ろうとした僧侶を弔う盆踊り歌だ。

 学園に累が及ぶことを恐れたアイヌ娘はとうに行方を消していた。周囲は山ばかり。狩猟民族のアイヌであっても厳冬期の山岳地帯を身ひとつで生き抜くことは難しい。女生徒はそれを知りながらアイヌ娘の行方を隠し続けていた。歴史を歌い故郷を歌うじょんがらは二度と帰ることのないだろうアイヌ娘への呼びかけとなって響く。

 ストーリーはやはり示されない。予備知識のない観客にどんなストーリーかと問えば十人十色の答えが返るだろう。それを、文楽はもとより人形劇さえほとんど見たことのないだろう観客に、観せる。

 最後の三味線パートに入ってから南畝さんは客席の緊張を高め続けていた。最終パートに至るまで括られていた髪は解かれ強く速い四拍子の三味線とともに踊り、舞う。

 松里さんは深く腰を落とし三味線を奏でていた。骨格で音を響かせる、という名手ならではのもので、加えて舞台そのものを骨格の延長とし客席に音を行き渡らせている。文楽三味線の方法だ。十四歳になったばかりの彼女には確執のあった実家の音と技法を取り込むことも抵抗があったに違いないのに。

 リハーサルに参加した全員が舞台を見つめ息を詰めていた。出番を控え待機するグループも実行委員の面々も教員も。最後の一音が消え、静寂を経てすべてのプロジェクションと照明が落とされる。

 拍手が沸いた。今日のリハーサルを通じ初めてのことだった。

 幕が下りた。

 私たちは機材の撤収に向けて一斉に走り出す。

 演出制御用のPCと講堂の通路に配したプロジェクターを引っ掴み、本番と同じ手順で講堂を出る。ストップウォッチを確認する。予定より十秒短い撤退時間。メンバー全員で頷き合ってほっと空気が緩む。

 合唱部の四人は明日の本番に向けて最後の調整をすると言って練習場所を探しに行った。

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