第26話 弱気

 月華さんは松里さん以外にも働きかけていたらしい。

「工作部が喜んでた」

 足運びと基本動作の練習を一通り済ませ人形を交代したところで刀禰谷さんが言う。

「ワイヤーの人形のとこですか?」

「月華さんからアプローチがあったって」

 さもありなん、と私は頷く。

「PC部にも出現しそうですね、あの人」

「PC部? なんで……。あぁ」

「たぶん刀禰谷さんと同じ思惑で」

「うぅ。私、しようとしてること見え見え?」

「いいえ。朧気にだけ、何かしようとしてるというのはわかります」

「南畝さんの、乙女文楽部の選択肢を増やそうって手探りしてるつもりなんだけど、鬱陶しかったら言って」

「ハグ、します?」

 腕を広げると刀禰谷さんが笑って手を振る。髪の一件以来笑顔が少し、硬い。

「手探りが軌道に乗ったらお願いします。そうだ。南畝さんの先生について少し教えて。お教室の様子とか。連絡先とか。良ければ」

「……私から連絡を取りますか?」

「ううん。今んとこはまだ。もう少し下調べして方針が見えて、必要だと思ったら紹介よろしくお願いします」

 ぺこ、と頭を下げるのは副部長モードだからなのだろう。

「生徒会は大丈夫なんですか? これだけ注力していただくとお仕事に支障が出ません?」

「大丈夫。乙女文楽部優先でいくって伝えてあるから」

「松里さんの一人部活も刀禰谷さんが担当したんですよね? 月華さんもですか?」

「月華さんは五期前あたりの先輩が担当したはず。生徒会を顎で使うタイプでさ。は小さいけど声も態度も大きくて」

「態度が大きくて悪かったわねえ」

「わっ。出た」

 いつの間にか教室の戸口に金色の毛並みが佇んでいた。

「人をなんだと」

「月華さん。連日、部活にいらっしゃるくらいなら入部しませんか」

「嫌。あんたたちを見てると胸焼けしそうだもの。――刀禰谷」

「はい?」

「こっちは準備を進めてるわ。でも、あんたが動かないと始まらないの」

「まあ、色々と聞こえてきてはいますが」

 二言三言言葉の応酬がありけっきょく押し問答になってしまったようだったけれど二人が何を議論しているのかはよくわからなかった。月華さんが不満げな様子で引き上げたところで私は訊ねてみる。

「揉めてます?」

「ううん。ええとね、月華さん、乙女文楽とコラボをやりたがってるんだよ」

「なるほど」

 そのあたりの想像の通りだった。

「コラボ自体は良い提案だと思うんだけど、乙女文楽部はまだ活動自体が軌道に乗ってないから検討が始められないって。待ってもらうようお願いしてみたんだけど、月華さん、思いついたらすぐに行動しないと気が済まない人なんだよね」

「部長としてはそれは相談して欲しいです」

「大丈夫? 南畝さん、押しに弱そうな気がしたから、せめて本来の活動方針が見えてくるまでノイズは止めといた方が良いかなって。初っ端に月華さんに引き合わせたのも、失敗だったかなって」

「それで刀禰谷さんのところで修正しようと?」

「うん」

「ならなおのこと私も噛ませてください。乙女文楽部は刀禰谷さんと私、二人で作っているのですから。押しには弱いかもしれませんが、押されてると思ったところで支えてくださる方が嬉しいです。あと、私、乙女文楽の稽古をずっと一人で続けてたくらいには、我が強いです」

「うん……。ごめん」

「いいえ。頑張ってくださったのはわかります。なのでご褒美のハグです」

 えい、と引き寄せると刀禰谷さんは簡単に腕の中に飛び込んでくる。十五キロ近い人形を日々振り回していればそれなりに力も体術も身についた。向かい合わせに捕まえたところで訊ねてみる。

「月華さんのコラボって何をしようとしてるのでしょう」

「南畝さんに、月華さん作の人形劇シナリオを演じさせようとしているんだと思う。うぅ。南畝さん、これちょっと話しづらい」

「私はもう少しタイトにハグしたいです」

「照れちゃうって」

「お好きな髪も楽しんでいただけますよ?」

「うぅ。それは私が悪かったです。そろそろ勘弁して」

「じゃあ、こうですね」

「わっ?」

 乙女文楽は胴金で人形を身体に固定するけれど、刀禰谷さんの好むテレビ布袋劇のように――腕だけで人形を支えて操る「うでがね」という方法もある。その腕金で操るように、あるいはダンスのように刀禰谷さんを半回転させて背中から抱きすくめる。

「これでいかがです?」

「うう。やっぱ照れくさいって」

「あぁ、これなら私がおぐしの香りを楽しめますね」

「ぎゃ。まじで堪忍」

「確か『赤毛のアン』でもアンは親友ダイアナとこんな風に語らってましたよ」

「ほんと?」

「親友らしくて素敵だと思いません?」

 実はそんなシーンはなかったのだけれど刀禰谷さんは「親友」の一言で納得したようだった。

「で、月華さんの企んでいるシナリオってどんなでしょう」

「完成形が思い描けているわけじゃないと思う」

「例えば、刀禰谷さんが見学に連れて行ってくださった部活に参加してもらうような?」

「……うん。たぶん」

「白状しませんか。刀禰谷さんの目論見も」

 彼女の右肩に載せた顎から耳元に囁いてみる。ひゃ、と声が上がって手足が竦められた。

「これといった考えがあるわけじゃないんだよ。南畝さんが人形を遣うところを見たら、絶対に何か思いつくだろうなって人たちを紹介したんだ。彼女らのしていることも見せたかったし」

「後は『なるようになる』?」

「うん。まあ」

「刀禰谷さんが松里さんに嫌われる理由がなんとなくわかりました」

「えっ? 嫌われてた? 私?」

「そういうあたりも」

 刀禰谷さんには刀禰谷さんのエゴがあって私に掴ませたい成功のイメージがある。自身が表舞台に立たなくともその実現が彼女を満たすのだろう。それはきっと月華さんが思い描いたものともそう変わらない。私は左腕で刀禰谷さんを捕まえたまま右手に扇子を持つ。一動作で開いて刀禰谷さんの右手に持たせ、私の手で包む。

「立ちます」

 腰をもたせかけていたラジエーター・ヒーターから立ち上がり、刀禰谷さんの膝裏を私の膝で押して舞いの足運びを伝える。右手も、手ごと握り込む形で扇子を舞わせる。乙女文楽の人形を遣うときと同じように。

「わっ。南畝さんっ。ちょっと」

 最初の三歩は動きが合わなかったけれど四歩目からはそれなりに合うようになった。歩幅や足の運び方、扇子が私の動きを反映していく。文楽は能の舞い、歌舞伎の踊りを兼ね備える日本舞踊ともとても近い。人形の遣い方を覚えるより先に写すべき生身の人の演技を知るのが早道だ。

「人形に逆らっては人形を操ることはできないものなんです」

 さらに十拍ほど舞ったところで動きにずれが生まれてきた。刀禰谷さんの足が軽く縺れ、ラジエーターに寄りかかる姿勢に戻る。

 ふう、と息を吐いた刀禰谷さんを手ごと握り込んだままの扇子で扇いだ。

「上出来です」

「南畝さん、すごいや」

「一人遣いは二人羽織なんです。人と人形の」

「演技の方もこれで教えてもらえるとわかりやすいかも」

「いずれ試してみましょう」

「うん。ところで南畝さん、そろそろ放し……」

「駄目です」

「え?」

「だ、め」

 ウエストに回した腕に力を込める。

「ひゃっ」

「目論見でも思惑でもいいですが、白状するまで放しません」

「いや、それ、さっき」

「さっきは具体的なところをぼかしていましたよね?」

「え……」

「月華さんとPC部と工作部、合わせて私に何をさせたかったんです?」

 想像はつきますが、と付け加える。

「だったら」

「刀禰谷さんの口から窺いたいのです。単に『できそうなこと』を思い描いていたのではなく私に『させたいこと』があったのでしょう? それを私自身で思い描けるよう仕向けてきた。違います?」

「う。その、違わないです……」

「なら、白状してしまいましょう」

 耳元に口を近づけ、囁く。

「白状なんて」

「そうですか。刀禰谷さんは髪がお好みみたいですけれど、私は刀禰谷さんのお耳が気になってました」

「わっ、ぎゃっ」

 口を開けた気配が伝わったのだろう、刀禰谷さんが首を竦める。

「言うから、言うからっ」

「早く説明していただかないと」

 ふう、と耳元で静かに溜息を吐く。吐息が届くように。

「ひゃっ。や、あのね。コラボができたら素敵だなって思ったの」

「月華さんと同じように?」

「うん。月華さんの人形を工作部が動くようにしてPC部の技術で演出を入れて南畝さんが演じて」

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