第18話 部活紹介:三味線

 工作部を辞してクラブハウスの階段を降りながら南畝さんに訊ねてみる。

「工作部とPC部、どう思った?」

「スクリーンの演出と五キロの人形の話がとても気になりました。皆さん、私みたいな新参者に好意的なんですね。刀禰谷さんがいるからでしょうか」

「私じゃなくて月華さんの力かな」

 校内では月華さんの人気は高く、彼女が何かをはじめる度に話題になった。PC部でも工作部でも設立間もない乙女文楽部がそれなりの関心で迎えられたのは一昨日の月華さんの反応が広まっていたからだろう、と説明する。

「影響力のある人なんですね……」

「カリスマなんだ」

「刀禰谷さん」

「うん?」

「昨日の月華さんもですが、思ったことが」

「何だろう」

「人形や芝居と関わりがありそうなものを選んで見せてくれてます?」

「うぅん。ま、そうかな」

 もう少し何かを言いたそうにしていたけれど南畝さんは思い留まったようだった。

「他にも案内してくださる予定がありますか?」

「まだ迷ってるとこが二つ」

「最初に部活の相談に乗ってもらったとき、三味線をやっている子の話をしてましたよね」

「うん。候補のひとり」

「私、その子の演奏を聴いてみたいです」

「ええと。じゃあ、案内しようか?」

「お願いしようと思ったのですが、頼り切りなのも悔しいので今回は自力で行ってみようと思います」

 少し迷ってから三味線弾きの子の学年とクラスを教える。放課後の練習場所も。

 正直なところ今の南畝さんに引き合わせるのは躊躇する相手だった。とはいえ、彼女が自発的に行くと言っているなら止めるわけにも行かない。落ち着かない気分で寮に戻り、一時間ほどで戻ってきた南畝さんを見て懸念が的中していたことを悟る。

「三味線の子、津軽でした」

 それが第一声だった。

「うん……」

「じょんがらを聴かせてもらいました」

「凄かったでしょ」

「はい」

 三味線にも種類がある。津軽三味線は楽器自体はいわゆる――太棹――で歌舞伎や文楽の伴奏に使われるものと変わらないけれど曲や技は大きく違う。有名な『じょんがら節』も初めて聴く人は三味線のイメージとかけ離れた音に驚くだろう。音量と激しさを追求するようになった津軽三味線の起源は幕末、定着したのは昭和中頃であるというから能や歌舞伎、文楽の連なる伝統に比べればずっと新しい。

 南畝さんはそんな津軽三味線の奏者に、乙女文楽の伴奏を頼むつもりで会いに行き、想像と違うものを耳にしたのだろう。

「あの子、津軽三味線の大会で賞をもぎ取ってくるような子なんだ」

「伴奏を頼めないかって切り出したら思い切り笑われて」

 津軽三味線弾きの子は中等部生だったけれど、演奏の実力とともに性格の激しさでも有名だった。高等部の南畝さんに対しても「ボクの三味線シャミに釣り合う演技ができるの?」くらいのことは言いかねない。

「南畝さん。ハグしよう。頑張ったから、私からの労いのハグ」

 腕を広げて促すと戸惑いつつも南畝さんは私の肩に額を当てた。腕の中で話し出した彼女の声は震えていた。

「演奏を聴いて笑われた理由がよくわかりました……。どんな三味線を弾くのかも知らないまま伴奏をお願いするなんて、私はとっても失礼な大ばか者でした」

「ヘヴィメタのギタリストにミサの伴奏は頼まないもんね」

 私の間の抜けた喩えに南畝さんは弱く笑う。

「本当に。だから刀禰谷さんは浮かない顔をしてらしたんですね」

「うん……。まあ」

「悔しかったです。笑われて当然のことを口にしたのが恥ずかしくって。私の芸が到底あの子の三味線に届かないレベルなのがわかったのも」

 二の腕に食い込む南畝さんの指が痛かった。

「あの音は聴けて良かったです。衝撃でした……」

「最初の一音で鳥肌が立つよね、あの三味線。うちの学校のホープなんだ」

「名門の子でしょうか」

「名門だよ。けど、津軽じゃない伝統三味線のおうちを飛び出してきて一人でここで頑張ってる」

「…………」

 腕に縋る指に少し違う力が込められる。南畝さんからは水の気配がした。今にも溢れそうな器いっぱいの。

「私、目が悪くてさ」

 言いながら眼鏡を外す。実は近くであれば眼鏡がなくてもよく見えたのだけれど。

「こうすればぼんやりしちゃう。それに私の腕の中なら誰からも、人形からも南畝さん自身からも見えないよ」

 力を込め、間違っていないという確信とともに南畝さんの頭を抱き寄せる。

「刀禰谷さんっ」

 震える声は嗚咽となり、堰を切って溢れた。知らない名や家族に向けられた言葉があったような気もしたけれど今の私は一本の葦だ。きっと知り合う前から胸につかえていたものがあったのだろう。

 私を揺さぶり拳で打った南畝さんの昂ぶりは時間とともに緩やかに収まっていった。

 南畝さん、と呼びかける。

「はい……」

「部を軌道に乗せてさ。練習もいっぱいして芸を磨いてさ。あの三味線に認めさせるのはどう? 卒業までに」

「素敵な、目標、ですね」

 一呼吸毎にしゃくり上げながらも笑んだ気配が返ってきた。

「いいことを教えてあげる」

「はい?」

「三味線の子、松里まつざとさんは月華さんの大ファン。人形のモデルになりたがってるんだ。とても。でも月華さんは、南畝さんの乙女文楽に動かされてるみたいだったよ。あの人の反応を引き出せるのは特別なんだ。うちの生徒たちにはそう思われてる」

 南畝さんが顔を上げ、視線を注ぎ込んでくる。

「……腑に落ちなかったのですが」

「うん?」

「刀禰谷さん、やっぱり何か企んでますよね?」

「企みというほどのことじゃないけど」

「けど?」

「そこはかとない思惑はある、かな?」

「思惑」

「南畝さんも漠然と『こうなったらいいな』みたいなイメージを持って部を作ろうとしてるでしょ」

「それは、そうです」

「私も、たぶん南畝さんとは違う『こういうのもできる』があるんだ。いくつか。漠然としてて、私自身でもよくわからないけど」

 南畝さんが気配だけで笑う。眼には充血が残っていたけれどこんな顔も様になる人なのだと感心してしまう。

「私には刀禰谷さんの思惑の向き、はっきりしているように思えます」

「嫌な方向だったりはしない?」

「いいえ。でも、闘いですね。たった二人の部活で思惑が違うのですから」

「南畝さん、楽しそう」

「刀禰谷さんとなら、楽しくぶつかれそうです」

「ハグじゃなくてぶつかり稽古だった?」

 小さく笑った南畝さんは、でも、と顔を伏せる。

「月華さんや松里さんとぶつかるのは不安です……」

「大丈夫。私は南畝さんの味方だよ」

 そんな言葉を口にできたことが嬉しくてたまらなかった。

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