第10話 ルームメイト:冷めやらぬ興奮
興奮は寝床に就いても収まらず、ベッドの上段にいるルームメイトに向けて声を投げかけてみる。
「いやぁ、南畝さんの演技が素敵でさ」
「あたしもこっから見てた」
「いたっけ?」
「これだよ」
「やっぱり舞台は生で見るものなのかな」
「それはそうだろうが」
「ネット動画だとぴんと来なかったんだよね。南畝さんのお師匠さんらしい人の乙女文楽も、名人の文楽も。圧倒的に上手いのはわかるんだけど」
「あの子、名人たちとは違う事してたろ」
「えっ。違う事? ていうか名人の見たことある?」
「あんたが見ろ見ろってタブレットを押しつけてきたでしょうが」
「そうだっけ」
「いつもながらムカツク」
「南畝さんの人形の遣い方、ほんと素敵だったんだよ」
「だからあたしも見てたって」
「スカートの裾、素敵だったな」
「なんだそりゃ」
「ポニテと操り糸もこうはっとさせられるというか」
「なんかもうその先は聞きたくない気がする」
南畝さんの乙女文楽の良いところなどいくらでも挙げることができそうだったのに、言葉にしてみるとピントの外れた妄念のようなものばかりが口を突いて出た。
上のベッドからの気配が寝息に変わっても眠気は訪れず様々な顔が思い浮かんでは消えていく。生徒会の先輩たちが私が活躍の後押しをしてきた人々の。
――南畝さんは乙女文楽さえできればいいみたいだけど。
乙女文楽は「文楽」と名が付いても伝統芸能のうちには数えてもらえないようだった。国立文楽劇場の演目には見当たらなかった。
文楽では今も女性の人形遣いはいないらしい。歌舞伎と同じ男の世界だ。それでいて乙女文楽と文楽との縁は近い。文楽の人形遣いの名字を、乙女文楽の人形遣いも襲名していた。
――きっと習い方も演じ方も似てる。
伝統的な練習メニューがあって、毎日の練習で少しずつ課題をクリアし身につけていき流派の持つ技のすべてを身につけたときに「皆伝」というやつになる。日本の武術のようなタイプだ。
――足で十五年。
文楽では、人形の足のみを担う役割でさえ十五年の修行を必要とするらしい。左手でさらに十五年。頭と右手を担う「
――布袋劇も八年だっけ。
番組のメイキング映像で語られていた。
――乙女文楽はどのくらいだろう。
情報は少ない。
ネットやわずかな出版物から調べた限りでは成立は大正末から昭和のあたり。創始は文楽の襲名人形遣いの男性とあったけれど、当時演じていたのは十代の少女で、本家の文楽のような熟練の技を見せることはできなかっただろう。
連想したのは有名な少女歌劇団だった。
――宝塚。
女性から絶大な支持を集める女性だけの演劇集団だ。中学から高校くらいの少女を集め、二年の教育で役者として送り出し、一流の舞台に立たせる。短い期間でそれが可能なのは日本舞踊やバレエ、声楽といった技能をある程度身につけた子を選り抜いているからだ。乙女文楽は宝塚歌劇が名声を確立した時代に生まれている。
――少女が憧れ、目指す。
宝塚歌劇のそんなあり方が頭の隅にちらついた。
――南畝さんはどう捉えているんだろう。
彼女は乙女文楽を伝統芸能のひとつと考えていそうだった。まっすぐに伸びた背。整った日常の所作。日々一人で続けられる練習。理不尽に見える練習内容。少女が扱うには重すぎる人形。
伝統芸能のイメージそのままだ。
けれど私には南畝さんが演じた乙女文楽に違うものを見たような気がした。
――たぶん、南畝さんが違うものにしてる。
出遣いであることに意味がないはずがなかった。ルームメイトが言っていた。「違うことをしている」というのがたぶんそれだ。南畝さんは人形にだけ芝居をさせているわけではなく、全身で表現をしてる。そんな風に見えた。
――南畝さん自身も芸と認識にずれがあるのかも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます